2017年10月9日月曜日

『島津斉彬公伝』 池田 俊彦 著

島津斉彬の伝記。

本書は、鹿児島出身の西洋史学者である池田俊彦が、伝統的な資料(斉彬と関わりがあった人の残した資料など)に基づいて書いた島津斉彬の伝記である。

明治生まれの著者らしく、文語文で書かれており、慣れていない人には少し読みづらい。またかなり難しい漢字も使われており、平易とはいえない。

記述は、襲封(しゅうほう:藩主の地位を継ぐこと)以前は概ね経年的に書かれ、襲封以後はテーマ毎に斉彬の事績を辿る構成になっている。具体的には、「勤王の事績」「民政、勧業、経済」「将軍継嗣問題」「外交上の諸問題」「薩摩藩士風の改善と教育」「洋式造船ならびに科学的事業」「斉彬の経綸とその臨終」等である。これらは、経年的記述ではないためそれぞれの前後関係がわかりにくいきらいもあるが、斉彬の多彩な側面を概観できる。

ただし、本書は歴史家の視点から斉彬の伝記を編んだというよりも、斉彬の讃仰のために書かれたという面がある。実際、本書は最初「岩崎育英奨学会」から出版され無料で頒布されたものである。そのため、随所に斉彬への賛美・讃仰がみられる。決して無理に斉彬称讃をしているわけではないのだが、 やや過剰な感じは否めない。

とはいっても、時代を遙かに超えた見識を持ち、仁政を敷いて国を富ませ、その上温和な人柄だったというのだから、鹿児島にとってというよりも、全国的に見て稀有な名君であったことは、本書を批判的に読むにしても明らかなことである。実に、鹿児島を明治維新を主導する雄藩に仕立て上げたのは、斉彬の功績であった。

そんな斉彬であったが、唯一、子どもだけには恵まれなかった。六男五女に恵まれるものの、男子は全て夭折。女子も長じたのは3人だけであった。斉彬の人生は天才的な慧眼と活発な行動力に裏付けられ、ほとんど陰らしい陰がないのに、子どものことに関してだけは、夫婦の間に深い悲しみが漂っているのである。本書は公務での業績を辿るものであるので、そういった個人的側面はほとんど描かれていないが、私はそこにも興味を抱いた。

なお、伝記としてはちょっと古びたところ(情報が古いところ)もあり、斉彬伝の決定版とは言えない。しかし本書は600ページ近くもありかなり詳しく総合的な斉彬像が提供されており、斉彬に関する通説を形作ったという意味で存在感の大きな本である。

やや難しいが、情報量が豊富で斉彬伝の嚆矢として価値ある本。


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