2016年10月26日水曜日

『稲の大東亜共栄圏―帝国日本の「緑の革命」』藤原 辰史 著

戦前日本の植民地における稲の育種を紹介し、新品種の無理な導入が現地の生活を変えていく”帝国主義的な”ものであることを主張する本。

戦前日本は、食糧増産に躍起になっていた。主食である米の生産が追いついてなかったからである。そのため、植民地(台湾、朝鮮)からの移入米が重要になってきた。だが、台湾や朝鮮も米文化圏ではあるが、現地米は日本の食文化に合わず、日本の気候とは異なるため日本の稲を栽培するのも難しい。そこで、植民地において日本人の舌に合う米を生産するため、稲の育種(品種改良)が盛んに行われた。

台湾においては〈蓬莱米〉、朝鮮においては〈陸羽132号〉といったものが、そうして生みだされた品種である。

新品種の導入は、農民への普及という点ではやりやすい技術革新である。農業機械や施設の導入は資本が必要だし、新しい農法に変えるのには抵抗もある。しかし品種を変えるだけなら旧来の施設設備や道具をそのまま使えるからだ。新品種の導入は、一見「ただ育てるものが少し変わるだけ」に見える。

だが現代においてモンサントのやり方が批判されているように、実は新品種の導入は、生活そのものをそっくり作り変えさせられてしまうほどの威力がある。

例えば、台湾における米は南方種(インディカ米)であったが、日本はそこにジャポニカ米の〈蓬莱米〉を普及させようとした。しかし桿(普通の植物の茎に当たる部分)が長いインディカ米ならば、桿を水牛の餌にしたり生活雑器を作る材料に出来るが、ジャポニカ米の短桿種の場合そういうことができなくなる。

そしてもっと大きいのは、日本が食糧増産のために開発した新品種は、多くの肥料を必要としたということである。肥料をやればやるだけ穫れる——それが日本の品種改良の目標だった。土地が限られていた日本では、多肥・多収穫の品種が求められていたからだ。だが、多肥・多収穫の品種は、肥料が少なければ収量も少なくなるという弱点がある。肥料をさほどやらなくてもそれなりに穫れる在来種と違って、新品種を作っていくとなると肥料を購入しなくてはならなくなる。

日本は既に1934年の時点で、世界第3位の硫安(窒素肥料)製造国家であった。その硫安の販売先としても、植民地の農業生産は注目されていたのである。

こうして、植民地の自給自足的経済が、資本主義的経済に飲み込まれていくのである。それ自体は、日本が望んでやったことではないのかもしれない。本当は、ただ食糧増産をしたかっただけで。しかしこうした、食料生産を通じた社会のあり方の意図せざる改変は、食料生産の生態系を変えてしまうためにかえって強力である。著者はそれを、アメリカの歴史学者アルフレッド・W・クロスビーの提唱する「生態学的帝国主義(エコロジカル・インペリアリズム)」概念を援用しつつ紐解いていく。

稲の品種改良という非常に地味な素材を扱いながら、植民地主義のリアルを考えさせられる好著。

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