2016年4月13日水曜日

『花と木の文化史』中尾 佐助 著

人間が観賞用の花と木の栽培をどのように発展させてきたかを概観する本。

本書は「花と木の文化史」という大変広大なテーマを標榜するが、実際に書かれているのはほとんどが品種改良の歴史である。すなわち、人間が花や木とどう付き合ってきたかということの全体像を提示するものではなくて、植物学者の著者らしく、具体的な栽培品種に注目してその来歴を解き明かしつつ、その背景にある花と木の文化について考察するものである。

本書は4部構成となっている。

第1部では、人間はなぜ花を美しいと感じるのかという難しい問いから出発し、文化的な美意識の発展について考察している。

第2部では、世界の花の歴史を概観する。世界には2つの花文化の中心があった。すなわち、中国を中心とする東洋と、エジプトやバビロニアからローマ、西ヨーロッパへと至る西洋である。文明は世界のあちこちで起こったが、本格的な花の栽培・育種がされたのはごく一部しかない。花は観賞以外の実利的な目的がないために、高度に文明が発展すれば必ず栽培されるというものでもないのである。例えば、大変高度な文明を築き上げた古代ギリシアは花の栽培という点ではさほど見るべきものがなかった。

さらに第2部では、いわゆる大航海時代におけるプラント・ハンターの活躍について述べている。花卉園芸文化の発展には異国趣味的なものが意外と大きな役割を果たしており、有用植物の探索と相まって園芸文化の大発展が起こったのが大航海時代である。当時の航海では博物学者も同乗して各地の植物が熱心に検分された。その情熱は、今となってはちょっと想像できないほどである。

第3部では、中国から受け継いだ花卉園芸文化を非常に高度に発展させた日本の花卉栽培の歴史について述べる。日本の花卉園芸は、室町時代以降独自の発展を遂げ、特に江戸時代に至って当時世界最高の水準に達した。桜や椿といった高木性の花木の品種改良は当時の世界で類を見ないことで、他にも専門の園芸業者・植木業者の出現は世界に先駆けており、庶民にまで花の栽培が広まっていた裾野の広さも注目される。日本の誇るべき歴史であろう。

そうした園芸文化の極北として、日本人は現在「古典園芸植物」と呼ばれているものを生みだした。例えば、マツバラン、イワヒバ、オモトといったものである。これらは派手な花が咲くわけでもなく、その奇異な外観を楽しむという非常に地味なものでその観賞には文化的な素養を要し、いわば抽象芸術的なものである。こうした植物は今では細々と栽培されているに過ぎず、世界的にもその価値が認められていないが、日本の花卉園芸文化の到達点を示すものである。

一方で、多種多様な園芸用の品種改良がされながら、日本では育種の原理、すなわち遺伝学の理論が全く存在しなかった。日本(中国でも)の品種改良では、なんと人工交配が全く行われなかったのである。江戸時代にはアサガオの育種が非常なる流行を見たが、実質的にはメンデルの遺伝の法則が使われていながら、それが名人芸的な「秘伝」となり理論化されなかった。他方西洋では、メソポタミアの時代から既に植物の有性生殖の原理が知られており、これが西洋と東洋の花卉園芸文化の相違の一つである。

第4部では、栽培植物ではなく、自然の花と木の景観への観賞ガイドである。自然の中に存在する美しいものを選抜・育種してできあがったのが園芸植物なわけなので、本来は栽培植物による景観の方が自然の景観よりも美しいはずである。しかし著者は植物学者らしく、自然の植生の美に惹かれており、世界各地にある植生の美のスポットを紹介して本書を終えている。

全体を通じてみて、世界史的な花卉園芸文化の到達点は19世紀にあるように感じた。西洋においても、プラントハンターの活躍(その中心は18世紀かもしれないが)や植物学への熱の入れようを考えると、その最高潮は19世紀である。有用植物の探索という実利的な側面があったにせよ、新しい土地での見なれない植物をよく理解したいという文化的営為を強く感じさせられる。日本では、江戸後期から明治にかけて花卉園芸文化は世界最高の水準に達し、多様な品種改良とその観賞態度は簡単に理解できないところまで行き着いた。

翻って現在の花卉園芸文化を考えると、もちろん技術的には長足の進歩を遂げており比較にならないほどだが、異国の土地・植生・気候などへの興味や理解、一見地味な植物にもその美しさを見いだす観賞態度などは、逆に退化しているように感じる。わかりやすい美しさを持った花だけが表面的にだけ持てはやされていないか。つまり花卉園芸文化が悪い意味で大衆化してしまっていないかと思わされた。

現代の遺伝学による新しい品種改良について触れることもできたはずなのに、著者がそれをせずに最後は自然の植生の美について述べたのは象徴的である。人間は不可能と言われた青いバラを作り出すことができた。だが、それを観賞する文化の方が育っていなくては「青いバラすごいねー」という一瞬の話題性だけのことである。花卉園芸文化というのは、ただキレイな品種を求めるコンテスト的なものであっては虚しいのだ。

観賞用の花と木の品種改良の歴史をコンパクトにまとめつつ、それを観賞する人間の態度の方も考えさせられる好著。

【関連書籍】
『人はなぜ花を愛でるのか』日高 敏隆・白幡 洋三郎 編
(読書メモ)https://shomotsushuyu.blogspot.com/2016/04/blog-post_14.html
地球研(総合地球環境学研究所)が企画して人間文化研究機構が開催したシンポジウムに基づいた本。 中尾佐助が『花と木の文化史』で述べたことをより探究する話が多い。

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