2014年5月1日木曜日

『Citrus: A History』Pierre Laszlo 著

老化学者によるカンキツ類の四方山話。

本書は「A History」という副題だったので、カンキツ類が辿ってきた歴史に関する本かと思い購入したのだが、分量的には歴史部分は半分程度である。また、歴史の記述についても、中心的なのは米国のカンキツ産業がどうして興ったか、ということで、世界的なカンキツの歴史は簡単に触れられるに過ぎない。

例えば、大航海時代においてカンキツは大変重要な役割を果たした果物であるわけだが、具体的にどこでどのようなものが生産されていたのか、というような話は出てこず、概略的・一般論的にその重要性が指摘されるに留まっている。ただ、イギリス人は17世紀までカンキツ類でビタミン欠乏を防げることを知らなかったので命がけの航海をしていたが、ポルトガル人は知っていたので健康的な航海ができたというのは知らなかったのでナルホドと思った。

米国のカンキツ産業の歴史についてはやや詳しい。いかにして米国にオレンジが渡ったかから説き起こし、それが次第に広まり、寒波などの天災を乗り越えて一大産業を築き、またやがて生産過剰となって「オレンジを飲もう」キャンペーンを実施し、オレンジのジュースとしての消費を開拓してアメリカ人の朝食にオレンジジュースが不可欠なものとなるまでが説明されている。 このあたりの歴史のダイナミズムは大変に興味深いところで、より詳しい文献で調べてみたい気持ちになった。

歴史を除いた残りの半分に何が書かれているかというと、著者の思い出やカンキツが文化的にどう扱われてきたか、そしてレシピといったところで、正直私は興味があまり湧かなかった。例えば、絵画作品において柑橘類がどう描かれてきたかという項があるが、著者の提示する作例が絵画史的に見て妥当なものであるのか判断もつかないし、そもそも話題に出ている絵画のサムネイルが載っていないし、著者の好みの単なる羅列なのか、学術的に意味のある話なのか不明である。

詩におけるカンキツ、という項目もあるが、これに至ってはWallace Stevensという詩人の”An Ordinary Evening in New Haven"という詩を紹介したかっただけなんじゃないかなあ…というような内容で、カンキツが表現された詩を体系的に見渡してみようという意志が感じられず、思いつきで挙げていった感が強い。

というように、歴史の部分は記載が表面的であり、それ以外の部分については思いつきや著者の思い入れが先行して散漫である。ただ、カンキツというテーマでこうした本は他にないと思うので、特にカンキツに対して思い入れがある人は、面白く読めるだろう。

ところで、本書について個人的に失敗したのは、邦訳があったのにわざわざ原書で読んでしまったことだ。別段原書で読む価値がある本でもなかったので、ちゃんと調べてから購入すべきだったと思う。カンキツの文化誌という比類ないテーマでまとめられながら、内容には今ひとつ深みが足りない本。

2014年4月2日水曜日

『薩摩民衆支配の構造―現代民衆意識の基層を探る』中村 明蔵 著

薩摩藩がどうやって民衆を支配し、それが現在の県民性にどのように影響を及ぼしているかを推測した本。

本書では、近世の薩摩藩における農民の統治政策を概観しているが、著者は古代史の専門家であり、近世史は「興味ある分野」としているに過ぎないので、その記述ぶりは随分と大雑把であり、「民衆支配の構造」というほど重厚な分析はされていない。だが逆に様々な統治政策の全体像を見渡すのには便利ではある。

私が本書を手に取ったのは、薩摩藩の宗教政策について知りたいことがあったからなのだが、実は疑問点については解消しなかった。また、内容は郷土誌等でよく説明されることが多い「門割制度」「外城制」や高率の税制などが中心なので、特に新規な事項もなく、個人的にはさほど勉強になる本ではなかったが、そうしたことが教科書風に手際よくまとまっているところに本書の価値がある。

内容を簡単に紹介すると以下の通りである。

少し長いプロローグでは、江戸期に鹿児島を訪れた人の目を通してその実態を探り、他藩にくらべて遅れた社会であったとする。

第1章では鹿児島の土地の低い生産性と近世以前の鹿児島の歴史を概観する。

第2章は薩摩藩の統治政策の説明であり、武士が極端に多い社会だったこと、その帰結としての外城制、そして農民を均一で弱い存在とするための門割制度、高率の税制を述べ、それらが他藩の一般的状況とどう異なっていたか比較する。

第3章は文教政策の説明であり、武士階層は郷中教育があったが庶民階層には教育施設・仕組みらしきものはなかったとし、特に鹿児島には寺子屋がほとんど存在していなかったことを指摘する。また宗教政策では真宗禁制と廃仏毀釈について述べる。

第4章では、そうした統治政策を「中世的」であったとまとめ、そのために農民が無知蒙昧で無気力な状態に置かれたとする。

第5章は明治以降に士族・平民の意識がどう変化していったかを簡単に見るもので、士族的な考え方や行動様式が平民にも次第に浸透していった(その逆ではない)と推測し、郷土芸能などにも民衆的なものが少なく武士階級のものがよく残っているとのはその証拠であると示唆する。

これらそれぞれの項目について、それぞれ一冊の本が必要であるような大きなテーマなのであるが、本書では深くは立ち入らず、簡潔にまとめている。そこに不満もないではないが、薩摩藩の統治政策を大まかに掴むにはよい本。

【関連書籍】
『鹿児島藩の廃仏毀釈』名越 護 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/10/blog-post_18.html
鹿児島の廃仏毀釈の実態について、郷土資料を中心にまとめた本。

2014年3月25日火曜日

『 生活の世界歴史(7) イスラムの蔭に』前嶋 信次 著

生活の世界歴史〈7〉イスラムの蔭に (河出文庫)
地中海周辺のイスラム文明圏の生活と文化について、10世紀を中心として記述する本。

生活と文化といっても、庶民の衣食住についてはさほど触れられない。むしろ、イスラム文明を担った中心的人物たち、具体的にはカリフとか宰相とか、あるいは文化人たちの織りなす人生のタペストリーを眺めてみましょうという体の本である。

叙述の形式は、縦に流れる歴史というより、「こんなこともあった」「あんなこともあった」というようなエピソードを連ねるもので、 まさに千夜一夜物語風の、アラビア文学的なとりとめもない話の集成である。これが歴史の本としてどうかというのは人それぞれの好みだろうが、私には結構面白かった。

特に、典拠としているアラビア文学の書物に書かれていることが生き生きしているのがよい。本書に紹介されている書物のみで判断すれば、アラビア文学は同時代や少し後の時代のラテン語文学と比べると随分と平明で人間性があり、近代的とさえ言える。アラビア語は、イスラム文明圏の共通語であったので、キリスト教文明圏におけるラテン語のような位置づけにあったわけだが、アラビア語とラテン語では発展していった方向性が全く異なっていたようだ。

アラビア語は物語を記述するのに便利だったのか、どこが始まりとも終わりともつかないような問わず語りの文学が数多く残っている(らしい)。本書ではアラビア文学の豊穣な世界を垣間見ることができるが、あまりにも面白そうなので、アラビア語を学びたいという気持ちにさせられてしまった。

本書は、イスラム文明圏に生きたいろいろな人の悲喜こもごもを並べた本であって、生活の歴史を解説するものではないし、イスラム文明圏の何かを学ぼうという本でもない。ただ、10世紀のイスラム文明圏に生きるというその雰囲気を、少しだけ感じてみようという本である。

2014年1月16日木曜日

『道教の伝播と古代国家』野口 鉄郎、酒井 忠夫編

日本への道教伝播に関する重要な論文をまとめた本。

本書は、「選集 道教と日本」の第1巻を飾るもので、日本への道教伝播について考察する1920年代の津田左右吉の「天皇考」、黒板勝美の「我が上代に於ける道教思想及び道教について」といった先駆的論文から始まり、1980年代の論文まで収めた、この研究分野の発展史を縦覧するような本である。

道教の日本への影響についてはとかく「これまで閑却されてきた」などという枕詞がつくことが多いが、現代提示されているような日本文化への影響については、既に1920年代に指摘されていたことを知った。第1部に収録されている、津田左右吉、黒板勝美、妻木直良、小柳司気太、那波利貞の各論考では、現代における当該テーマの基本的着眼点が大凡提示されていると言っても過言ではない。

本書は日本文化と道教ということを考える際に土台となる部分を提示するものであるが、決して基礎的な内容ではなく、例えば「功過格」「老子化胡経」といった言葉が注釈なしで出てくるために、ある程度の道教の知識を前提としている。既に日本への道教の影響がボンヤリと見えている人が、その輪郭をはっきりさせるために読む本という感じで、ある意味では退屈な部分もあるが、必ず一度は目を通すべき内容と言える。

道教と日本という大きなテーマに分け入っていく上で、先人の考察の肩に乗るための本。

2013年12月1日日曜日

『近代日本の戦争と宗教』小川原 正道著

明治時代の戦争に、各宗教団体がどのように「対応」していったかを詳述する本。

明治政府というものは事実上クーデターによって成立したため、その正統性があやふやなところがあったし、一方、各種宗教団体は自らの存在意義を政府に認めてもらうため積極的に政府に協力する素地があった。そのため、両者の利害が一致し、かくして宗教団体は明治政府の戦争を積極的に支持し、寄付を集め、戦地へ赴くものを激励し、皇恩に報いよと教えたのであった。

この基本構造は、仏教も神道も、そしてキリスト教においても変わらない。ごく少数の例外はあったけれども、当時の宗教界は諸手を挙げて開戦に賛同し、戦争で人を殺すことはなんら教義に悖るものではないと人々を諭したのであった。ただ、もちろん、具体的にどのような協力をしたかは、各団体がおかれていた状況によって異なることは言うまでもない。

本書を読む上での私の関心は、浄土真宗西本願寺派の動向にあったのであるが、同派は明治期の戦争協力において、宗教団体として最大の貢献をしている。信徒から莫大な金を集め政府に寄附し、戦地へ従軍僧侶を大量に送りこんだ。そして、戦後は台湾、朝鮮、満州において積極的な布教活動を展開している。

どうして西本願寺派がこのように政府に協力的な姿勢を見せたのかというと、神道を国家の祭祀としていた明治政府に対し、真宗の存在意義を示す必要があったということ。そして本願寺派と政府要人との関係が深かったということがあるだろう。

本書の白眉は、西南戦争の項目である。私自身、西南戦争と宗教の関わりについてはあまり認識していなかったのであるが、蒙を啓かされる思いであった。西南戦争について、著者は別に一巻の本をものしておられるので、そちらも読んでみたい。

戦争と宗教ということについては、従来様々な研究があるが、このように通史的にまとめられたのは稀有であり、しかも、やや引用が煩瑣に過ぎるきらいはあるとはいえ、各種の資料を縦横に駆使しているため記述が総論的になることはなく具体的であり、しかも物語性と臨場感もある。完全な書き下ろしではないが、労作といえよう。

ただし、少し不満な点もある。それは神道界の動向がややあっさりと記述されていることだ。浄土真宗西本願寺派の必死の戦争協力に比べれば、神道界の動きは地味であったのは間違いないが、何しろ「国家の祭祀」であるわけで、もう少し丁寧に書いて欲しかった。国家神道の成立過程については既にたくさんの書があるということで、少し遠慮したのではないかと見受けられたが、せっかくの「通史」であるのでより詳しく説明した方がよかったと思う。

2013年11月30日土曜日

『日本の道教遺跡を歩く―陰陽道・修験道のルーツもここにあった』福永 光司、千田 稔、高橋 徹 著

日本にも道教ゆかりの遺跡があることを紹介する本。

かつては日本には道教は(少なくとも体系的には)伝わってこなかったと考えられてきたのであるが、近年日本文化にも道教が様々な影響を及ぼしてきたことが徐々に認知されてきた。本書は、著者たちが「これも道教関係ではないか?」と考える史跡を次々に列挙していくというものである。

彼らがそれらを道教関係と考える根拠には、ナルホドと思わされるものもあるし、うーん、それは牽強付会ではないかなあと思うものもある。随所に「〜かもしれない」「〜の可能性もある」と畳み掛け、遂には「〜であることは容易に想像される」などとまとめる。私は、こういう推測と断定が混淆した論考というのは苦手である。

とはいうものの、これまで看過されてきた道教の影響力に注目した功績は大きいものがある。面白いと思ったのは、浦島太郎と八幡神社、妙見菩薩信仰について道教の影響を指摘した点である。浦島太郎の伝説は中国にそのプロトタイプのようなものがあり、妙見菩薩信仰については道教の星辰信仰の影響は明らかである。八幡神社については、やや関係は薄い部分も感じるがどうも道教的な何かがそこに混入していることは間違いないようだ。八幡神社についてはそもそも謎が多いので、これは大変面白い切り口であると思う。

本書は、朝日新聞に連載されたものを大幅に加筆して執筆されたものであり、元が新聞連載であるだけに少し散漫な点も見られる。特に副題になっている「陰陽道・修験道のルーツもここにあった」というのは看板に偽りありで、陰陽道については触れられるが修験道についてはほとんど取り上げていない。私は修験道と道教の関係に大変強い関心をもっているので、ここがほとんど閑却されていることには少し落胆させられた。

道教と古代日本文化の関係を考える上では導入として面白い本。今後のより体系的な論考が期待される。

2013年11月24日日曜日

『生活の世界歴史(6)中世の森の中で』木村 尚三郎、堀越 孝一、渡辺 昌美 著、堀米 庸三 編

中世ヨーロッパ、特に12世紀から14世紀のフランスを中心にして、当時の社会の有様を描いた本。

当時の世界観、食と住、都市の構造、城の生活、キリスト教による支配とそれへの反発、そして叙情詩の登場前夜がテーマである。

本書の最大の問題は、後半の渡辺昌美氏の担当部分が他に比して読みにくいことだ。論旨が不明確で表現が文飾に流れ、悪い意味で「文学的」。興味を惹く記述がないではないが、読んでいて後味の悪い文章である。

それ以外は、ややとりとめのない部分が見受けられるとはいえ、よく纏まっている。特に前半の森との関わりについては、面白く読ませてもらった。その他、中世の人は僧職以外は裸で寝ていた(その理由は書いていない)とか、風呂が盛んで公衆浴場(混浴)が賑わっていたとか、意外な記述がたくさんあり、16世紀以後のヨーロッパの風情とは随分異なる部分があることに驚いた。

そして、中世というと停滞した時代、どんよりと澱んだ社会と思いがちなのであるが、本書では中世を「身構えた社会」と捉える。これは、いつ何時でも忍傷沙汰が起こるか知れぬ社会、主従関係が簡単に破棄される社会、頻繁に暴動が起きる社会であった。要は、社会の秩序が十分に確立しておらず、暴力同士の危うい均衡が社会を支えていたのであった。

その他、私個人として気になった所は、中世の農業の著しい低生産性である。播いた種を僅かに超えるほどの収穫しか得られなかったというのは、農業の常識からすると俄には信じ難い。そういう状態で生活を営めたという秘密はどこにあるのだろうか。ドングリなどの採集による食糧確保が大きかったのかとも思うが、一方で「中世の人はパンをよく食べた」という記載もあり、どうやって小麦やライ麦を確保していたのか謎である。