2026年3月15日日曜日

『魔の系譜』谷川 健一 著

日本史において魔とされる存在をエッセイ風に語った本。

本書は、在野の民俗学者、谷川健一の処女作である(民俗学者はそもそも在野が多いが)。ただし正確には最初の単著ではないのかもしれない。著者自身が「私には本書を処女作と呼んでみたいものがある(p.3)」と書いている。

谷川はもともと平凡社の編集者で、雑誌『太陽』の初代編集長をつとめた。その後執筆活動に入り、持ち前の編集能力によって『日本庶民生活史料集成』、『日本民俗文化大系』などもまとめている。そうした著者の仕事に通底するのは、人の交流・移動に大きな関心が寄せられているということだと私は思う(後半生では特に南島との交流に力がそそがれた)。ところが、この処女作ではそういう要素がほとんど感じられない。著者自身が「処女作とよびたい」というこの本が、彼のライフワーク的なテーマとは少しずれていたというのがなんだか興味深い。

著者が「魔の系譜」に注目するのは、日本では善良さよりも悪の方に積極的な意味が見出されてきたからだ。強烈な怨みを持った人には、自ら「往生」を拒否し、魔となって復讐することを誓った人がいる。つまり復讐するためには魔とならざるを得なかった。キリスト教圏ではそもそも幽霊や怨霊が教義的に位置づけられていないが、復讐のために魔となった人はちょっと見当たらない。

しかし日本では、そういう魔の存在がかなり実体的に捉えられた。慶応4年8月、明治天皇の勅使が崇徳上皇の霊を讃岐から京都に迎えたことはそれを如実に示している。本書にはその宣命が掲載されているがその中で「この頃皇軍に向かい奉る陸奥出羽の賊徒をば速やかに鎮め定めて云々」と祈られている。戊辰戦争を鎮める力が崇徳上皇の霊に期待されていたのである(!)。

讃岐に流された崇徳上皇は、指から流れる血で五部大乗経を書き、それをどこかに納めて欲しいと希望したが、信西はこれに不審を抱き天皇も拒否した。魔の力を怖れたのである。こうして崇徳上皇は爪も髪も切らず「生きながら天狗の姿にならせたもう」(『保元物語』)と言われた。讃岐では崇徳上皇ゆかりの地には、「血の宮」とか「煙の宮」という普通の神社とは違う祀り方がされている。崇徳上皇を祀る頓証寺には天狗の相模坊(なんと大権現だと言われる)が合祀された。貴人の恨みのエネルギーは非常に大きいのである。

世の中が不穏になると、崇徳上皇の恨みのエネルギーが怖ろしくまた頼りがいのあるものに思われるようになった。文久3年(1863)には崇徳上皇の第七百回忌が行われているのはその象徴だ。

仏教の教説では、死者がいつまでも現世に留まって社会に害悪を及ぼすという理屈はないが、人々は強い恨みを持って死んだものは怨霊や天狗、天魔となって災いをもたらし、時にはその霊威を以て災いを鎮める力も持っていると考えていたのである。

次に著者が取り上げるのは「バスチャン」である。これは、長崎の隠れキリシタンたちが禁教の中で作り上げた独自の教説に現れる実在の人物である。これは古代ローマで殉教した軍人サンセバスチャンに由来した名前と思われる。バスチャンは、禁教下で儀式を暦通りに行うため「バスチャン暦」を寛永11年(1643)に作ったとされる(島原の乱の4年前)。

そもそも隠れキリシタンの教義は元の形からかなり変容していた。それを示すのが彼らが造った教義書『天地始之事』である。ここには土俗化したキリスト教世界観が表明され、デウスはもはや万能神ではなく農耕神のようなものになっている。またマリアがルソン国の帝王ゼウスから求愛されるなど荒唐無稽な説話も含まれる。

バスチャンは隠れキリシタンの指導者で、密告通報されて78回の拷問の末斬首された。彼は処刑前に、いつか黒船に乗った司祭がやってきてキリシタンが公認されるだろうとの予言を残していた。このバスチャンが信仰対象になり、それはやがてキリスト教というより「バスチャン信仰」と呼ぶべきものになっていった。著者は、それはバスチャンが処刑されたということによるのではないかと考える。しかもこの場合、崇徳上皇のような恨みの力ではなく、処刑による「苦痛の快楽」が影響していたのではないかというのだ。

「苦痛の快楽」とは矛盾するようだが、著者はそこに「苦しむ神、悩む神、人間の苦しみをおのれに背負う神」が重ね合わされたと考える。イエスが人間の罪を背負って処刑されたことの変奏なのだ。ここで急に話題転換し、諏訪大社(上社)の「外県御立座神事(そとあがたみたてましのしんじ)」と「大御立座神事(おおみたてましのしんじ)」が取り上げられる。これは神使の出発式なのだが、この神使を務める幼い童男は、馬上にくくりつけられて虐待され、かつては殺されたこともあったと言われる。占いによって神に選ばれた者が殺されるということは、人間を生贄にした時代の痕跡なのかもしれない。

このほか、著者はほとんど脈絡なくさまざまな民俗信仰や他界観念を取り上げる。例えば平田篤胤の『勝五郎再生紀聞』。これは前世の記憶を持つという少年にインタビューした記録である。同じく篤胤の『仙境異聞』。これは天狗の世界と行き来した少年寅吉のインタビューである。篤胤が寅吉に入れ込んだのは彼の性格から当然としても、多くの国学者や知識人が寅吉に興味を持ったのは当時の世界観を窺う上で興味深い。ちなみに篤胤には『霧島山幽境真語』という、霧島の明礬山で26年過ごした時の不思議な体験談もある。著者はこうした記録を、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を起点に(⁉)読み解く。私にはそのつながりがちょっとよくわからないのだが(著者は夢野久作のファンで、本書には随所に夢野作品への言及がある)、冥界とのつながり、生まれ変わりの思想、死者が蘇ることへの恐怖などが混然となって表明されているという。

また、百姓が害虫を亡霊と見立てたこと、享保の飢饉で年貢の減免を行ったことで失脚して失意の中に死んだ久留米藩の稲次因幡を農民たちが神として祀ったことなどを取り上げ、「虫送りにともなう亡霊供養は、(中略)飢饉にともなうさまざまな犠牲者の鮮烈な記憶をながく保存しようとする意図も含まれていた(p.201)」とする。

ここでは割愛するが、こうした多様な事例が本書では登場するが、それらを通底する概念を私なりに提示すると、それは「日本では、異界(あの世)が現世を補完するものとして捉えられていた」ということになる。もちろんキリスト教でもそういう面はある。例えば悪人があの世で裁かれるといったことはそれにあたる。だがそれは、現世での報いをあの世で受けるという一方通行な性格が強い。ところが日本の場合は、現世→あの世という方向だけでなく、あの世→現世という方向でも影響が及ぼされる。現世とあの世は地続きであり、あの世は現世の矛盾やままならなさを埋め合わせるだけでなく、時に現世に浸潤してその是正を求めるのである。

そしてその媒介をしたのが、魔と呼ばれる存在であった。キリスト教では善良なものこそ神の下に伺候して影響力を行使した。聖人はその代表的な例だ。ところが日本では、善良な魂や幸福な魂は子孫を遠くから見守りはするが現世への影響は限定的だった。強い恨みをもって死んだもの、異常な死に方をしたものなどがその負のエネルギーによってあの世とこの世をつないだのである。そしてそれとは少し違うが、天狗もそういう存在だったのかもしれない。天狗はこの世のものでもあり、あの世のものでもあった。つまり境界的なのだ。魔についての考察は、その後の谷川民俗学とは少し異質な出発点かと思ったが、境界的なものに注目する点では通底するものがあるのかもしれない。

谷川民俗学の原点。

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