2016年2月14日日曜日

『風景学入門』中村 良夫著

日本の景観工学の第一人者による「風景学」の入門書。

景観工学は、土木建築の際に周囲の環境と調和してしかも見栄えよく、そして機能的な構造物を作るのに必要な学問であるが、「風景学」はそれをさらに敷衍して、我々が日々暮らす都市や田園、そして自然の風景の諸相をよく理解するための学問であるといえる。

本書では、まずは風景を物理的に考察する。例えば、視角が何度の時に風景は収まりがよいか。山は大きければ大きいほど迫力があって風景として好ましいかというとそうでもない。むしろ、垂直方向10°・水平方向20°くらいにひとかたまりの図がある方が好ましい。例えば、仙巌園から見る桜島の大きさがこれくらいらしい。また、星座なども20°×20°の大きさにほとんど収まるという。これ以上図が広がると、それが一つのものと認識されなくなったり、全体を見渡すために首を回さなければならなかったりして図としての心地よさが減じる。

次に、風景は自然や都市のありさまそのものではなく、それによって我々が行う解釈、つまり心象であると主張する。我々は現実の風景を見る前に心の中に「理想の風景」を持っていて、その理想の風景という型に沿って風景を理解している部分がある。例えば田んぼがたくさんある山里の景観は、我々にとっては「日本の原風景」と認識される好ましいものであっても、砂漠に生きる人たちにとっては異なる解釈になるであろう。風景が心象であるならば、風景を論ずるためには我々は心理学者たらねばならないのである。

また、風景が心象であるならば、風景を構成する事物そのものに絶対的な存在感があるわけではないということになる。松いっぽん、橋ひとつとっても、それがどこにどのように存在しているかによって風景としての意味は変わる。それあたかも、大乗仏教で「いっさいの存在は空(くう)である」とされるようなもので、全ては相互関係(仏教用語で言えば「縁」)に基づくのである。まちづくりなどで土木工事を行う際も、構築物そのものの存在のみを考えていては好ましい景観は生まれない。構築物自体は空じて、場所との結縁(けちえん)の中でそれが風景にどうあるべきかを考えなくてはならない。

最後に、そうした風景についての考察に基づいて、これからの建築土木がどうあるべきかを提言している。そこに書かれた内容は至極納得できるものであるが、本書の出版から30年以上経っても、依然として心地よい風景が顧みられない公共事業がなされている現状には落胆せざる得ないところがある。

本書は、景観工学を土台にして書かれているが、漢詩、俳句といった文学を豊富に引いて、我々が風景をどのように捉えてきたかという歴史や人間心理を紐解いたり、仏教の考え方を援用して風景を考えるといった学際融合的な取り組みをしていたりと大変読み応えがあるもので、著者の提案する「風景学」の奥深さを感じることができる。「心地いい風景はどんなものか」「都市や農村を美しくするためには何が必要か」というような答えをすぐ出すのではなく、その答えや問いそのものの基盤にある、風景と人間の関係について理解を深めていく構成が心地よい。

新書であり、また「入門」を銘打ってはいるが、風景と人間についての本格的な論考。

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