2024年11月30日土曜日

『葬式仏教』圭室 諦成 著

仏教が葬式を担うようになった次第を述べる本。

日本では、葬式と言えば仏式と相場が決まっているが、日本に伝来した元来の仏教は葬式を行うものではなかった。それが葬式を行うようになった次第については、今では多くの研究が蓄積されている。本書はそうした研究の嚆矢となった、最も早くまとめられた葬式仏教論である(昭和38年(1963)の出版)。

なお、「葬式仏教」の語は、今では「葬祭だけを担う精神性を失った仏教」という批判の意を込めて使われることが多い。この語は本書によって広く知られるようになったのだが、実は本書ではそういう意味はなく、単に「葬式を担う仏教」という言葉として使われている。

ただし、「葬式仏教」に対する著者の見方は両義的だ。葬式を担うようになってはじめて仏教は民衆的なものとなりえた、という肯定的な評価をする一方で、はっきりとはそう書いていないものの、それが本来の仏教の在り方からは逸脱したものだという語気も感じられる。その背景に、著者は曹洞宗の僧侶でもあるということが関わっていそうである。

「第1部 政治と宗教」では、まずそもそも宗教とは何かが政治や国家との関連で述べられる。ここでは、神話が支配者にとって都合よく作為されたものであったことが糾弾されるような調子で主張されている。ここで著者が強調することは、宗教というものも作為の産物であるということだ。ここは葬式仏教を語る上ではあまり必要ないように思ったが、戦時中には宗教(国家神道)が為政者にいいように利用されたのだという怒りがこのような内容を書かせたのかもしれない。

さらに、神仏習合や本地垂迹説が触れられるとともに、僧侶や教団が世俗化・貴族化し堕落していったことが述べられる。著者はそれを「宗教として失格」とまで断じている。辻善之助の『日本仏教史』では、ことさらに近世仏教の堕落が強調されたのだが、本書ではさかのぼって平安仏教までが堕落していたとされている。

そして堕落した仏教界から抜け出たのが遁世僧と呼ばれる存在である。その先駆者として教信沙弥、空也、空阿弥陀仏などが取り上げられる。しかし遁世僧に対しても著者は批判的だ(!)。それは、(1)彼らの態度が逃避的でひたすら浄土往生のみに執心している、(2)苦行にこだわって、肉体的な苦痛に耐える以外の修行の形式を見出さなかった、(3)遁世するにも生活費は準備しなくてはならず、貧乏人には遁世者になれなかった、という理由からだ。遁世僧は総じて非社会的であったため、「社会不安がとりのぞかれると霧消すべき運命にあった(p.60)」。

葬式仏教の端緒を開いたのは、恵心僧都源信である。本書では彼の『往生要集』が詳しく紹介される。それが臨終に大きなウェイトを置いており、その実践として彼が二十五三昧講を組織したことが仏式の葬式を推し進める契機となった。

「第2部 葬式の展開」では、各宗派での葬祭の成立が述べられる。

まず葬祭や墓の民俗が概観される。そこには死霊を恐れて封じ込める意図と死者を悼む意図の両方が見られる。次に縄文時代からの葬法を振り返り、仏式以前の葬法がいかなるものであったか述べている。

まず天台宗の葬送について史料に基づいて述べているが、特に1036年の後一条天皇の葬式は興味深い。それは念仏→呪願→荼毘+念仏→土砂加持→骨を拾って寺に納骨、というものである。念仏僧が活躍していることとと、墳墓ではなく寺に納骨しているのが特徴的だ。天皇家は仏式の葬儀を最も早く受け入れており、ここでは御一条天皇以降の天皇の葬儀・納骨の例がまとめられている。

次に真言宗については、光明真言によるによる土砂加持と葬祭を述べている(しかしこれはむしろ律宗の特徴かもしれない)。真言宗では過去帳が重視され、また高野山では11世紀末から納骨の勧めが盛んになされるようになった。

次に浄土宗・浄土真宗。天台・真言に比べるとこれらは民衆に浸透するのがずっと早かった。『今昔物語』の「播磨国印南野において野猪をころした語」では、浄土教の葬祭が農村に浸透していた様子を窺うことができる。

次が禅宗である。中国の禅宗では、儒教の影響を強く受けて葬法を整備した。古い形は1103年に編纂された『禅苑清規』に見える。これでは「尊宿」と「亡僧」の葬法の2つを述べている(「尊宿」とは「仏法の真理を体得した僧」で「亡僧」とは「修行の途中で亡くなった僧」)。「禅宗の葬法が完成した12世紀は、中国の葬法のうえでも、そのピークの時期であった(p.122)」。この時期に司馬温公は仏教の葬祭を批判し、朱子は『文公家礼』を著して儒教の葬法を整備している。

さらに日本の禅宗での葬法を詳細に述べているが、日本の禅宗では僧侶だけでなく武家や庶民の葬法も担うようになっている。この中では、尊宿葬法で故人の肖像画を須弥壇の上にかける作法が興味深い(在家では棺の前に肖像画をかける)。これは現代の遺影の原型にあたるものだろう。ここで著者は面白い分析をしている。禅語録から座禅関係と葬祭関係のページ数を調べているのである。それによれば、臨済宗でも曹洞宗でも、13世紀には座禅関係が圧倒的だったのに、15世紀では葬祭関係が主になっているのである。禅宗は15世紀には葬式仏教になったのである。

「第3部 追善と墓地の発想」では、死者の冥福を祈る追善の仏事が徐々に肥大化していったさまを宗派ごとに述べている。

葬祭が魂をあの世に送るだけであれば墓は必要ないが、日本人はその魂がいつまでもどこかにとどまっていると感じ、ある程度の期間の祭祀を必要とした。つまり墳墓および追善のための法要や施設を設けたのである。その一つが五輪塔や宝篋印塔といった石塔である。

追善のための法要では、四十九日の仏事は10世紀頃から盛大に行われるようになり、百か日・一周忌・三年忌に加えて、様々な仏事が行われるようになった。平安時代ころには一周忌で終わっていたのが、鎌倉時代に入ると三年忌が行われるようになり、次第に追善は長期化した。

これは中国における仏事の長期化に対応していた。実は11世紀の中国では葬式・七七日・百か日・一周忌・三年忌という葬制が定まっていたのである。中国では偽経『十王経』に基づいて10回の仏事「十仏事」が確立していた。日本でも偽経『地蔵十王経』が創作された。これらにより、(1)初七日:秦広王、(2)二七日:初江王、(3)三七日:宋帝王、(4)四七日:五官王、(5)閻魔王、(6)六七日:変成王、(7)七七日:泰山王、(8)百カ日:平等王、(9)一周忌:都市王、(10)三年忌:五道転輪王、というように、追善の仏事とその主宰神が対応させられた。面白いのが、それぞれの仏事において「本来は地獄行きだが、追善の功徳によって次の王のところへ送られる」という先延ばしがなされることである。

さらに、12~14世紀頃には、七年忌、十三年忌、三十三年忌を加えて十三仏事となった。16世紀には、十七年忌、二十五年忌を加えて十五仏事という言葉も見えるようになる。しかし本来、仏教では中有の期間(49日)を過ぎれば転生して次の命となるはずで、こうした長期間にわたる仏事は仏教教理上では位置づけられない。光厳院が1332年の日記で「後嵯峨院以後代々すべてこのことなし。よって不審の間、由緒ならびに先例を忠性、憲守らに相たずぬ」としているのは面白い。こうした疑問に答えるために『地蔵十王経』が加工されて『十三仏抄』が15世紀ごろに偽作されているが、結局、なぜそうした偽経を作ってまで追善を長期化させたのかといえば、「信者の宗教心理をたくみに利用して、寺院がわが、追善の回数をふやしたまでのことである(p.173)」と著者は冷ややかだ。

ただ、そこには「信者の宗教心理」すなわち、死者を長く弔いたいという需要に基づいていたわけで、民衆の気持ちに寄り添っていたともいえる。さらに祥月と月忌が庶民の間でも一般化した。故人への仏事の回数はひどく増加したのである。

また、中世後期からは仏教は幼児の死に強い関心を持ち始めた。7歳までは死去しても仏事は行わないというのが普通だったのに、徐々に幼い子供にも仏事が必要であるとみなされ、「賽の河原和讃」(一重つんでは父のため…)も作られた。これは経典には全く根拠はない、民間信仰である。

このようになると、寺院経営は庶民の葬祭なくして成り立たなくなった。真宗では、念仏を唱えれば往生するという理念と追善とは両立せず、当初は追善を拒否していたが、蓮如に至って十王信仰を全面的に肯定し、追善の功徳を強調する「御文」を書いた。だがその中でも「三十三年なんどまでも、その追善をいたすことは、聖教のなかにあきらかなる説なしといえでも…」と書いているのは興味深い。蓮如としては追善に前向きではなかったが、それを求める庶民の要望に応えたいという気持ちがあったようだ。葬式仏教化は、仏教の庶民化でもあったのである。

ここで、日蓮宗と天台宗の庶民化について述べ、天台宗は特に庶民化が遅れたとしているが、その評価がまた辛辣である。曰く「天台宗は、その独自の葬法をすてて、浄土宗・真言宗・禅宗の葬祭儀礼のなかで、社会的に好評なものを採りいれて、あたらしい、ただし個性のない、万人向きの葬祭法をつくりあげた(p.188)」。

さらに流行した仏事として逆修と施餓鬼会が取り上げられる。特に施餓鬼会はなかなか類書では取り上げられない内容で面白い。施餓鬼会は平安時代から行われていたが、特に室町時代に追善の方法として流行した。施餓鬼棚の壇上に安置する位牌を「三界万霊牌」というが、三界の「霊」「幽霊」の冥福を祈るというのが仏教教理の上でどう位置付けられるのか謎だ。この頃、武将は戦争が終わるごとに大施餓鬼会を催しており、それは慈悲の心といううより「亡魂のたたりを封ずる呪術(p.198)」の面も大きい。敵味方を区別せずに供養するのも敵の死霊のたたりを恐れたからだと、いくつかの実例を引いて示している。その背景には、不遇な死に方をしたものは、必ずたたるという信仰があった。

さらに、盂蘭盆会、彼岸会について取り上げている。特に彼岸会は完全に日本製の仏事で、その初見は806年の崇道天皇のための仏事である。

「第4部 葬式仏教の課題」では、近世および近代の仏教がいかに展開したかが述べられる。

「葬式、仏事の普及版が一応完成したところで、1467年いわゆる応仁の大乱という、画期的大事件を迎えた(p.211)」。そして諸寺院は郷村に根を下ろし、農村の機構に深く浸透していったようである。寺院構成は「郷村の、自治的・惣的結合の確立過程に、照応する(p.257)」。

ここで本書では、宗派ごとの伝道についてまとめている。その詳細は割愛するが、要するにそうした運動の結果、1467年から1665年までの200年の間に、現在の寺院分布の大筋が出来上がったのだという。

次に近世~近代の寺院分布についてさまざまな史料によって述べている。ここで興味深いのは、別当寺(本書の見方では辻堂・神社などに寄生して成立した寺院)や山伏に注目しているところである。なお地域としては、東京、足利、会津、米沢、高山、能登、人吉が取り上げられる。これらの地域で、どんな寺院が建立されまた維持されたかを検証してみると、農民が仏教に求めていたものは、葬祭と治病だったということが言える。

江戸時代には檀家制度が作られ、全ての人はいずれかの寺院に所属させられることとなった。「宗門寺壇那請合の掟」は、檀那寺への奉仕を果たさなくてはならないという偽作の掟であるが、形式的に檀那寺に所属しなくてはならない以上の義務感を庶民に喧伝した。檀家制度には庶民から寺院が収奪するという弊害や、僧侶がその地位に安住して堕落するという問題が生じ、それらは様々に記録された。だが「この時代における堕落が、相対的にはなはだしかったと考えるよりも、何がゆえにそのことが、とくにこの時代に問題にされねばならなかったかを考えることが、問題の正しい提出の仕方であると思う(p.268)」として、著者は辻善之助の近世仏教堕落史観に修正を加えている。

さらに廃仏論(熊沢蕃山と中井竹山)と17世紀の廃仏を取り上げ、さらに吉田神道が葬祭を担うようになったことについて述べている。ここで天台宗・真言宗の寺院が中世末になると修験道の手に移り、山伏が神主化することで吉田神道に流れていくというシナリオが描かれている。神葬祭については、「儒葬祭の換骨奪胎にすぎない(p.282)」とこれも手厳しい。神葬祭の初見は1687年、吉田家から黒田肥前守京都留守居にあてた答申書にあり、実施の初見は1785年、寺社奉行が吉田家から許状を受けた神職などは神葬祭を行ってよろしいという寺社奉行の指令である。

さらに平田篤胤や廃仏毀釈について簡単に触れ、最後に明治維新後の檀家制度の廃止について述べているが、この部分は非常に簡略である。しかし「それから100年、葬祭宗教としての仏教の地位は、依然として牢固たるものである(p.291)」として擱筆している。

冒頭に述べたように、本書は最も早くまとめられた葬式仏教論であるために、非常に粗削りな面がある。例えば、ある項目ではかなり細かい議論をしたかと思うと、別の項目では極めて概略的にしか述べられない。だが本書が執筆された時期には、こうした研究がまだほとんど蓄積されていなかったことを鑑みると、それはやむを得ないと思われる。それに著者は論文ではなく様々な史料を博捜して、努めて実証的に述べている。いちいち史料の記述にあたる必要があるため、細かい議論に立ち入る必要が出てくるのである。

また、本書では常に各宗派の動向に目配せがしてある。仏教と十把一絡げにするのではなく、常に宗派ごとに分析しようとするのは緻密な態度である。

そして驚かされるのは、本書の後に様々な研究者によって展開される葬式仏教論の論点が、すでにほとんど全て本書に盛り込まれていることだ。本書は小著でありながら視野が非常に広い。私はこの分野の本をそれなりに読んでいる方だが、本書には原点としての新鮮さを強く感じた。

葬式仏教論の嚆矢である名著。

【関連書籍の読書メモ】
『死者たちの中世』勝田 至 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/10/blog-post_9.html
中世、多くの死者が墓地に葬られるようになる背景を説き明かす本。思想面は手薄だが、中世の葬送観について総合的に理解できる良書。

『中世の葬送・墓制—石塔を造立すること』水藤 真 著
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/10/blog-post_4.html
中世の葬式がどうであったか検証する本。葬儀事例を数多く紹介することで中世の葬送を知る真面目な本。

『葬式仏教の誕生—中世の仏教革命』松尾 剛次 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2020/09/blog-post.html
仏教が葬式を担うようになった変化を描く。葬式仏教の成立を広い視野でコンパクトにまとめた良書。

『先祖の話』柳田 國男 著(柳田國男全集13)
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2024/11/13.html
日本人の最も大きな信仰が先祖崇拝だったことを述べる本。日本人のあの世観を初めて文章化した名著中の名著。

『葬式と檀家』圭室 文雄 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2023/03/blog-post_21.html
檀家制度がいかにして生まれ、それが何をもたらしたか述べる本。近世の檀家制度成立をわかりやすくまとめた良書。

『日本葬制史』勝田 至 編
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2024/02/blog-post.html
日本の葬制史の概説。葬送史をまとめることで、死への考え方の変遷まで垣間見える労作。

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