本書では、紫尾山、冠岳、金峰山など、山岳を中心としてその周辺の民俗文化や神話・伝承を紹介している。
紫尾山では、石童丸物語が地元に実際にあった話として伝承されている。石童丸物語とは、「かるかや(刈萱)」として知られる説経物語で、本来の物語の場面は高野山(と比叡山)である。
紫尾山は「西州の高野山」と言われたというが、この石童丸物語が鶴田町や東郷町に残っており、「石堂山」という山もあるそうだ。東郷町(南瀬と斧淵)には、石童丸物語が人形浄瑠璃で伝わっている。
では、なぜ紫尾山周辺に石童丸物語が、史実として伝承されたのか。はっきりとは分からないが、著者は紫尾山には古くから熊野修験がやってきており、著者はその影響を重視している。高野聖もそこに関与していた可能性はあるが、むしろ熊野修験の関わりが大きいという(ただ、このあたりの根拠はよくわからない)。
本書ではあまり考察されていないが、仮に熊野修験や高野聖がやってきていたとして、なぜ石童丸物語が地元の史実として伝承されてきたのか、ということは不可解だ。彼らは熊野や高野山のありがたさを強調したはずで、紫尾山でそれを代用するとは思えないからだ。なお紫尾山には、高野山と同じく遺骨や毛髪などを山中に納める風習があったという(『三国名勝図絵』)。熊野修験や高野聖の直截の影響よりも、それが「民俗化」していったことを考えなければならないのかもしれない。
また紫尾山麓の「現王(げんのう)様」という不思議な信仰が紹介されている。これは本書中で最も興味深かった。現王様とは、さつま町泊野・白男川・二渡折小野、薩摩川内市旧高城町・吉川・長野などにみられる信仰である。現王様は、都から「泊野現王・津田万右衛門・笹野道清」といった三兄弟(あるいは三俣容良を加えた4兄弟、さらに折小野五郎七も加える場合もある)が下ってきて、田畠を切り開いたとか、超人的な力を持っていとかで、後に神として祀られた、とされる。それは農耕神というより狩猟神であったようだ。
この信仰の背景には、日光修験による狩猟民俗があったのではないかと著者は推測している。ただ、「(現王様は)現人神と呼ばれる霊験あらたかな人神という意味である(p.95)」などと速断しているようにも見受けられる。それは貴種を先祖とする伝説ではあっても、現王様には人神の要素は薄いように思った。また著者は東北のマタギ集団が来ていたのではと推測しているが、これも根拠はよくわからない。ところで知人に「現王園(げんおうぞの)さん」という人がいる。これは現王信仰とかかわりのある名前である。他の地域にはない独特な信仰がなぜ紫尾山麓にのみ見られるのか、不思議である。
冠岳と金峰山については、さまざまな史跡を紹介し、特に霧島山信仰と日向神話との関わりについて述べている。著者は、これらの地域が神話のふるさとであるということを主張しているのではないが、地域の神話や伝説に対して批判的でもない。具体的に言えば、「こういう神話がこの地域に残っていることは事実」として話を進めたがる。それは事実には違いないが、ではなぜ日向神話がそこに残っているのか、ということはあまり検証されない(というより本書の対象外である)。そして最後に、「こうした神話の伝播には修験者が関わっていたのかもしれない」というようにまとめている。
本書は全体として、修験道研究というよりは民俗学のフィールドワークの記録であり、そこに掲載されている事例はどれも興味深いが、それらを通じて何かがわかるというものではない。それは、民俗文化というものが、そもそもはっきりと開明できるような、理屈に基づいたものではないということを示しているのかもしれない。
【関連書籍の読書メモ】
『説経集(新潮日本古典集成)』室木 弥太郎 校注
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2024/10/blog-post_5.html
中世の説経の代表的作品を収録した本。「かるかや」についてはこちらのメモを参照。
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