2020年9月2日水曜日

『葬式仏教の誕生—中世の仏教革命』松尾 剛次 著

仏教が葬式を担うようになった変化を描く。

日本に伝来した当初の仏教は、葬式には関与していなかった。仏教の活動の中心が葬儀を執り行うこととなったのは、中世からである。本書は、その変化がどのようにして起こったかを述べるものである。

古代の僧侶たちが葬式に関与しなかったのは、死穢を避けたからであった。僧侶は律令国家により規制を受けていた(僧尼令)。彼らは官僧であって、国家の法要に従事する必要があった。ところが人の死(や死体)に遭遇すると死穢に冒されると考えられ、30日間も謹慎しなくてはならなかったのである。こうなると官僧としての職務を果たすことができない。よって僧侶たちは死を避けていた。教団の中で死亡したものも十分に弔われることもなく、遺棄に近い形で葬られた。

もちろん、死に瀕した人々は、看取られることもなく、自分の遺体がぞんざいに扱われることを快く思ってはいなかっただろう。しかし当時の日本では風葬や遺棄葬は一般的なものだったし、古代の日本のあの世観では、誰でも死ぬと別の世界にゆくというくらいの観念しかなく、いわゆる「後生を願う」というようなこともなかったので、死に際して殊更の宗教的儀式を必要としていなかったようだ。

ところが、古代末期(平安時代)からそうした日本人のあの世観に変化が起こってくる。末法思想と、それに伴う弥勒信仰・阿弥陀信仰によってである。弥勒信仰では、この世で仏法に逢えないのなら、遙かな未来に現れる弥勒仏に教え導いて欲しいという、遙かな未来への期待が醸成された。56億7千万年後の弥勒下生(げしょう)=現世への降臨に立ち会えるよう生まれ変わりたい(弥勒下生信仰)、あるいは直ちに弥勒の兜率天へ生まれたい(弥勒上生信仰)と願ったのである。 阿弥陀信仰では、末法の世でも人々を救ってくれる阿弥陀仏にすがるため、念仏や往生法といった具体的な方法が種々考案され、それを実践するものが多くなった。

そんな中、源信は「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」という念仏結社を作った。これは看取り・葬送を互助するという、いわば葬送共同体であった。この頃の阿弥陀信仰では、往生するためには念仏の他いくつかのプロセスを死の間際に必要とした。よって、それを互いに提供しようというのである。この結社が仏式の葬送を生む上で画期的な意義を有した。二十五三昧会を走りとして鎌倉時代には様々な葬送共同体が結ばれるようになり、僧侶が葬儀に関与する仕組みができていった。

しかしやはり官僧は死穢を職務上避けなくてはならなかったので、葬儀に携わったのは「遁世僧」と呼ばれた僧侶たちだ。遁世僧とは、要するに官僧であることを辞めて、既存の教団から飛び出した僧侶のことである。彼らが鎌倉新仏教を担う旗手たちになった。また著者は、律宗の叡尊や華厳宗の明恵といった旧仏教の改革派も遁世僧であることに注目し、「鎌倉新仏教」よりも「遁世僧教団」が社会的に大きな影響を与えたとしている。

遁世僧たちは徐々に仏式の葬式の手続き(法事)を整備し、また墓所の造営法などを考案していった。そうしたことで14世紀初めを画期として、天皇の葬送も遁世僧が担うようになっていくのである。

著者の松尾剛次(けんじ)は律宗の研究者であるため、こうした動きに果たした律僧の役割については詳しい。律僧とは、叡尊を中心として戒律護持を勤めた教団で、13〜14世紀には10万を超える信者を有する教団であった。特に文永元年(1264)から始まった「光明真言会」は信者の獲得に役立ち、またこの法会で加持した土砂を死者や墓に撒けば後世で菩提が得られるということで葬送活動においても重要だった。

律僧たちは、墓塔として2メートルを超える大型の五輪塔を全国に建てており、五輪塔の普及に大きく貢献した。これは、花崗岩や安山岩など硬い石で出来ていて、遙かな未来の弥勒下生までちゃんと残るように丈夫に作られた。また五輪塔が巨大だったのは、個人の墓塔というよりは共同墓であったためだ。一結衆とか六道講衆、光明真言宗一結衆といった、葬送共同体・宗教互助組合のようなものの惣墓・共同墓として巨大五輪塔は造営されたのである。

また叡尊教団は、戒律を厳しく護持することで、死穢を避けられるという論理を生みだし、死穢を気にせず葬送活動に従事することを可能にした。

ちなみに、念仏僧たちは「念仏を唱えて死んだ人は往生できる。往生人に死穢はない」と考え、やはり死穢を気にせず葬送活動を行った。

なお禅僧たちも死穢を気にせず葬送に携わっていたが、どうして気にしなくてよかったのか理屈はよくわからないそうだ。禅宗については、中国における葬儀システムを日本に導入したことで、葬送儀礼の確立に重要な役割を果たした。『禅苑清規(ぜんえんしんぎ)』という禅宗教団の生活規範のテキストに、教団の人間が死んだ際の手続きが記されており、例えばこれにより死後戒名をつけるシステムが始まった。

このようにして生まれた仏教による葬儀は、江戸時代には寺請制度と一体となって完全に普及したのである。

本書の前半部は、勝田 至『死者たちの中世』の議論がベースとなっており、同書ではあまり触れていなかった死生観の変化を付け加えたものだと言える。また、後半部の律宗の巨大五輪塔については、著者の『中世叡尊教団の全国的展開』などの研究書の成果をコンパクトにまとめたもののようだ。

葬式仏教の成立についての社会状況、死生観、各教団の動きなどが簡潔にまとまっておりわかりやすく、律宗についての情報に価値がある。しかし念仏僧の活動については若干物足りなく思った。特に葬送に大きく携わったらしい時衆についてほとんど触れられていないのは残念だった

葬式仏教の成立を広い視野でコンパクトにまとめた良書。

【関連書籍の読書メモ】
『死者たちの中世』勝田 至 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/10/blog-post_9.html
中世、多くの死者が墓地に葬られるようになる背景を説き明かす本。
思想面は手薄だが、中世の葬送観について総合的に理解できる良書。


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