2020年9月4日金曜日

『太陽と月—古代人の宇宙観と死生観(日本民族文化体系 2)』谷川 健一 編

天体と世界観の民俗学。

本書は太陽と月を中心として、現代に残った民俗や史料、神話・伝説から古代人の宇宙観や死生観を考察する論文集である。収録されているのは、次の諸編。

序章 古代人の宇宙創造:谷川健一
第1章 太陽と火:大林太良
第2章 月と水:松前 健
第3章 星と風:窪 徳忠・谷川健一
第4章 古代人のカミ観念:谷川健一
第5章 葬りの源流:土井卓治
第6章 他界観—東方浄土から西方浄土へ:田中久夫
第7章 日本人の再生観—稲作農耕民と畑作農耕民の再生原理:坪井洋文

狩猟採集社会における原始的な信仰では、アニミズム(全てのものに精霊や神が宿るとする考え)やトーテミズム(動物を神と考え、特定の動物を人間の祖先と見なして崇拝する)が中心だ。太陽や月の信仰は、農耕を大規模に行うより進んだ社会に生まれるものである(レオ・フロベニウスの説)。また太陽信仰は王権と結びつく。天体の信仰は農耕と王権によって生まれるもののようだ。

しかるに日本の場合どうだったか。例えば、日本神話の太陽神であるアマテラスは、天皇の祖先神と位置づけられて崇敬された。国産みのイザナミ・イザナギ(おそらくこちらの方が古い神なのだろう)ではなく、また天孫降臨のニニギでもなく、アマテラスが最重要の祖先神であったことに、太陽信仰の影響が窺えるのである。

とはいえ、民衆の間にも太陽信仰は自然発生的に生まれており、本書はそういう事例について散発的に紹介している(特に沖縄の例が多い)。またそれに火の信仰が関連づけられ、「消えずの火」が各地にあったことや、潔斎を行う場合に特別な火を使うことなどから、火の持つ意味が推測されている。

月については、月と不死の結びつきがやや詳しく紹介される。月の満ち欠けが再生を思わせるからであろう。特に若水(一年の最初に汲む水)を浴びる風習と月の関係について考察している。しかし月については、月待ちの習俗などは扱われず、やや簡素に感じた。

星について扱った「星と風」は、ほとんどが中国思想の紹介である。日本の星信仰はほとんどすべて中国にその源流が求められるということだ。中でも「緯書」(陰陽・五行説などを使い、経書の文書を解釈して予言するもの)の説明が面白かった。「緯書」の予言は占星術が使われていたため、それが日本に伝来して星の信仰を形作っていったという。星の信仰とは関わりは薄いものの、庚申講についても述べられている。中国における元々の守庚申では一人静かに徹夜するものだったが、仏教的守庚申では賑やかに過ごすものになった。これが伝わった日本でも平安時代の庚申講は賑やかに過ごすもので、15世紀あたりから(再度)仏教と結びついて、精進潔斎をするようになっていくというのは逆の現象で興味深い。なお、彗星は日本では中国以上に嫌われて、全ての不祥事の原因が彗星に帰せられたという。簡単にしか書いていないが、面白い現象である。

この他の諸編は、カミの観念、死生観、墓の造営に対する観念、他界観などの観念的なものを扱う。これらは、事例紹介というよりもこれまでの民俗学研究史の整理という側面が強い。 全体として興味深い話がちりばめられてはいるが、体系的な考察ではないのでやや散漫である。その中で面白かったのが、阿弥陀信仰が、「死の国」のイメージを変えたという説。「死の国」は、それまでは汚穢(おえ)に満ちた恐るべき場所と思われていたが、阿弥陀信仰によってそれが明るい世界へと変化したという。

最後の「日本人の再生観」は、ハレとケを巡る民俗学であり、前半は柳田国男と折口信夫の説(ハレ・ケの考察)を批判検証していく内容である。 中心的な論点は、ハレと米の関係である。後半は、稲作儀礼や穀霊信仰について考察されているが、そこで面白い指摘がある。近代以前の田んぼには金肥(厩肥や油粕などの高窒素肥料)は入れず、刈敷(かりしき)と呼ばれる肥料を入れていた。これは、山から刈ってきた草や、小枝といったものである。刈敷は大量に投入したため、山から取ってきて田んぼに入れるのは、田植えと並ぶ重労働だったという。著者は「日本の刈敷の研究は稲作技術のひとつとしてしまうには、あまりに大きな問題を含んでいることを指摘しておきたい」と述べている。

著者の考えは、刈敷の投入目的は大地の再生であり、山の神が春になって田の神として下りてくる信仰とも深い関係があるが、それが後に肥効を期待する技術の次元へと変化したのではないかというものだ。しかし著者は「刈敷には肥効がほとんどない」と考えているようだが、これは現代の農学では「高炭素資材の多投入」という技術であり(炭素循環農法とも言う)、ちゃんとやれば肥効は期待できる。むしろ確立した技術がいつしか形骸化されて、信仰によって支えられるようになったと考える方が合理的である。この部分は、本書全体の論旨からは蛇足的な部分であるが面白かった。

論文集としての視座は首尾一貫していないが、いろいろと面白い話が出てくる本。

【関連書籍の読書メモ】
『神と仏—民俗宗教の諸相—(日本民俗文化体系4)』宮田 登 編 https://shomotsushuyu.blogspot.com/2023/09/4.html
神と仏をめぐる民俗文化の考察。神と仏をより広い視野から捉えた名著。

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