2019年10月9日水曜日

『死者たちの中世』勝田 至 著

中世、多くの死者が墓地に葬られるようになる背景を説き明かす本。

平安末期、京都には日常的に死体が放置されていた。貴族の屋敷や内裏においてさえ、野犬が死体の一部を置いていくことが珍しくなかった。当時は死の穢れが神経質に避けられていたから、屋敷で死体の一部がみつかれば「五体不具穢(ごたいふぐえ)」となって、7日間の出仕停止(謹慎)が必要であった(※この「五体不具」は、死体の一部によるという意味)。彼らは死体が見つかった気味の悪さや死者への弔いの気持ちよりも、7日間の謹慎を食らうことを気にしており、日記に書き留めた(ちなみに全身死体の場合は30日の謹慎だった)。それが仕事に影響することだったからだ。

よって、貴族の日記にはたびたび遺棄された死体のことが記録された。著者は、その記録を詳細に分析し、12世紀には「五体不具穢」などの記事が頻繁に出てくるのに、13世紀前半にそうした記事が急減することを突き止めた。12世紀の京都では死体放置・遺棄が日常的であったが、13世紀前半にはあまり死体は放置されなくなり、14世紀には稀な出来事になっていた。これはどうしてなのだろうか? それが本書の問題提起であり、この謎解きが本書のテーマである。

そもそも、なぜ死体は放置されていたのだろうか。それにはいくつか理由があった。

第1に、死者の葬送はほとんど親族しか携わることができなかった。その背景には死の穢れへの懼れ・忌みがあったと思われる。このため、肉親が少ない人は死を目前にすると自ら(!)葬所へ赴いたりした。また家の中で家族の死体が放置されていることもよくあった。死体が重すぎて女一人では移動させられなかった場合などだ。つまり葬送は、あくまで家族が自力でやるもので地域社会はこれに協力しなかった。

第2に、当時は鳥葬が行われていた。貴族や財力のある人は火葬を行うことが出来たが、火葬にはかなりお金がかかった。よって河原や山に死体を放置することにはそれほど抵抗感はなかった。鳥葬は山野で行う方が好ましいとは思われていたが、死体をそこまで運んでいくのも一苦労だったので、荒廃した貴族の屋敷地やそのあたりの空き地に死体を置いておくのも珍しくはなかった。そもそも低層の人々にとって、死体の遺棄と鳥葬の間には明確な線がなかったと思われる。

第3に、使用人が病気になり死にそうになると家を追い出すことが一般的に行われていた。もし家の中で使用人が病死すれば、死穢によって30日間の謹慎になるからである。今から見ると非人道的と言うほかないが、こうして死に瀕した病人が追い出され、路傍で死んだ。

こうした理由から、疫病が流行した時には当然河原には死体が溢れ、そうでなくても京都には若干の死体が放置されていることは珍しくなかった。もちろん国家はそれを好ましいものとはせず、検非違使に死体清掃のパトロールをさせることはあったが、それも何か行事がある時に限られ、積極的にこれを対策しようという気はなかったようだ。死の穢れを神経質なまでに気にしていたのに、「開放空間(道路や広場)にある死体の穢れは伝染しない」というような屁理屈で街中の死体を黙認していたのが平安朝であった。

それがなぜ13世紀前半に放置死体は急減するのか。その謎を解くため、本書では当時の葬送がどうであったかをまとめている。死の直前から年忌法要に至るまでの各段階における儀礼がこれまでの研究に基づいて整理されており、この項目は大変参考になり、便覧としても便利である。

その中でも火葬場の様子が興味深い。この頃は常設の火葬場はなく、そのたびごとに火葬場(「山作所」という)をしつらえていたが、上級の人々の場合、その形式は、荒垣で囲んで四方に鳥居で門を設けるものだった。四門はそれぞれ発心門、修行門、菩提門、涅槃門と呼ばれていた。門の名前だけでなく葬送儀礼全体が仏式で行われながら、「鳥居」が使われているのが面白い。やや時代は下るが天文5年(1536年)制作の『日蓮聖人註画讃』にはその様子が描かれており、仏式の場に鳥居が並んでいるのが奇異である。なぜ仏教は葬送の場において鳥居を必要としたのだろうか。大変興味を引かれる。

なお葬儀には死霊を恐れ、その害を避ける儀式が多いが、「貴族はそれを行いつつも「世俗の忌」として否定的に見ているようである(p.123)」という指摘が目を引いた。貴族は死霊を実体として扱うことを迷信的と思っていた節がある。「貴族は葬送のやり方を詳細に日記に書いているが、個々の儀礼について、死霊や魔がどうとかは一言半句も書いていない。(中略)彼らはそういう解釈を系統的に排除しているような感じがする(同)」とのことである。しかし死霊を避ける儀礼(出棺後に竹箒で掃くなど)は徐々に貴族社会にも浸透し、12世紀中期からは「世俗の忌」的儀礼が取り入れられるようになる。普通、文化は上流から下流に伝わっていくが、この時代の葬送儀礼に関しては民衆的な「俗信」が貴族社会に逆流していく感じがする。

葬送儀礼は全体として、鎌倉時代にかけて整備が進んでくる感じである。また散発的・個別的だった墓地(その都度適当な山野を選んで墓を作っていた)が12世紀後半になると全国的に広域の共同墓地が営まれるようになってくる。京都では、「鳥辺野」に加え「蓮台野」という墓地が12世紀中頃に成立している。また墓地が一門の繁栄の源泉という考え方も現れ、一門墓地も形成された。墓地=穢れという感覚が希薄になり、むしろ聖性を帯びてくるのである。共同墓地の場合も、ただ墓をまとめただけというのではなく、そこに葬れば必ず極楽往生できるといった聖性を帯びた「勝地」と捉えられ、実際僧侶によって結界が行われるなど聖域としての性格を有していた。なお平安中〜後期には墓自体が全国的に少なく、どのように葬ったのか謎が大きいそうだ。

このように当時の葬送を外観し、それが13世紀にどう変化していくのかを見るのであるが、その変革の兆しとなったは、「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」である。これは僧侶が極楽往生するための互助組合のようなもので、恵心僧都源信が寛和2年(986年)に組織した念仏結社である。お互い極楽往生を遂げられるよう念仏を欠かさないようにし、死にそうになったら他のメンバーで面倒を見て葬儀も共同で行うというもので、「寺院内部でさえ葬式互助がなかった当時としてまさに画期的なものだった。(p.179)」

この「二十五三昧会」は12世紀には天台系の寺院で普及し、また死を目前とした貴族がこれに加入して共同の火葬場を利用させてもらうことも出てきた。さらに13世紀後半からは「念仏講」のような形で次第に一般社会にも浸透していき、血縁のない人の葬式の手伝いをするという行為が普及していく。こうして死体が放置される理由の第1は徐々に解消されていくのである。

さらに死者が葬られるべき共同墓地が出現したことで、鳥葬をするにせよ、どこかの空き地に放置するのではなく、「鳥辺野」や「蓮台野」まで持っていくことが期待されるようになった。さらに著者はそうした死体運搬に「坂非人」(清水坂にいた非人)が活躍したのではないかと推測している。

平安時代の「非人」は後の被差別階級とは異なり、ハンセン病患者などによって構成され、救恤の対象と見られていたのであるが、鎌倉時代になると彼らは「葬送得分権」を持つようになり強固な集団となっていく。この「葬送得分権」というのは、死者の葬儀を行う代わりにその衣服や葬具を奪取する権利であり、やがて彼らは京中の葬送に関する権利を持つようになって、南北朝時代(14世紀)には死体を運ぶ輿を独占する権利(輿独占権)を有し、輿の貸しだしで収入を得るようになった。さらに16世紀になると寺院が独自の葬式をする場合に、葬式一回あたりいくらの権利料を非人集団に支払うまでになるのである。

そして著者は、非人集団が「葬送得分権」を持つようになったきっかけが、葬送において鳥辺野や蓮台野まで死体を運ぶサービスを行ったことにあるのではないかと推測する。いくら共同墓地が「勝地」であったにしろ、死体を運ぶのは重労働である。しかし死体の衣類などと引き換えに非人集団が代わりに運んでくれるのであれば、あえて死体をそこらに放置するより運んでもらうことを選ぶだろう。こうして死体が放置される理由の第2が解消されたというのが著者の考えである。

ただし、(1)京中の放置死体の減少するのと歩調をあわせ、(2)蓮台野が大規模共同墓地として成長し、(3)同時期に非人の組織が史料に現れる、という状況証拠はあるものの、非人が棺を運んでいたこと自体を証明する史料は存在しないそうだ。

なお死体が放置される理由の第3については特に変化したとの指摘はないが、行き倒れの死体や極貧で身寄りのないものの死体は川や野山に棄てられるのは中世後期(14〜15世紀)でも続いていたと述べている。

本書は問題設定が極めて明解で、中世の葬儀に関する情報が総動員されており、著者の推測は史料の裏付けはないとはいえ説得的である。放置死体の減少から京都の葬儀事情が繙かれるという構成は読みやすく、葬送という地味な話題を扱っているにもかかわらず引き込まれる。

ただし思想面では若干記載が弱く、13世紀前半に放置死体が減少する背景に思想的な変遷もあったのではないかという気がさせられた。例えば本書には鎌倉新仏教とか浄土教の流行といったものはほとんど触れられていないが、こうしたものは葬送儀礼には影響していないのだろうか。唯一、葬送儀礼の整備には禅宗が積極的だったと簡単な記載があったのみだが、このあたりはもう少し考察が欲しかったところである。

思想面は手薄だが、中世の葬送観について総合的に理解できる良書。


【関連書籍】
『中世の葬送・墓制—石塔を造立すること』水藤 真 著
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/10/blog-post_4.html
中世の葬式がどうであったか検証する本。
葬儀事例を数多く紹介することで中世の葬送を知る真面目な本。

0 件のコメント:

コメントを投稿