中世の葬式がどうであったか検証する本。
江戸時代になると葬送や墓制(火葬し、その後石塔に納骨するなど)は現代とさほど変わらない。しかしその前の中世では、死者に対する態度、死体の扱い方、葬送の仕方、墓の造立、墓参の仕方まで、その基本的態度がだいぶ違うようである。本書は、中世の葬送・墓制がどうであったか、各種の資料に基づいて推測するものである。
「第1 中世の葬送・墓制」では、藤原良通、藤原俊成、中原師右(もろすけ)の死にあたってどのようなことが行われたか記述される。この頃の葬送はこっそり行われ、各種の儀礼がかなりの期間にわたって行われたが、必ずしも造塔は伴わなかった。墓は忘れられていたわけではないし、墓参もあったようだが、後代の常識とは異なって石塔は必須とは考えられていなかったようだ。
「第2 中世的葬送・墓制の淵源」では、平安貴族、後醍醐天皇、貴族・庶民の葬送が検証される。ここでも貴族の日記などから葬儀の様子が述べられているが、後醍醐天皇の葬儀でもほとんど仏式に行われていることが注目される。この時代の葬式は今のように決まった形態がなく、バリエーションが非常に大きい。
「第3 石塔の作り方」は、技術的な意味での石塔の作り方ではなく、どのような思想によって石塔が造立されたかを述べる。この項は基本的なことであるが面白い。石塔を作ることは故人を弔うというよりも、積善・作善の行為であったとし、であるから必ずしも墓に石塔がなくてもいいし、逆に墓以外にも石塔をたくさん建ててもよいのであった。もちろん積善の行為は造塔だけでなく、仏事を修する、仏像を造立する、梵鐘を鋳造する、風呂を施す、罪人を解き放つといったことも積善と見なされていた。また生前に自らの供養をする逆修供養の事例が紹介されているが、文明3年(1471年)の例で、初七日や一周忌、十三回忌までを圧縮した日程で実施しているものがあり、逆修供養で生前に葬式の全課程を終えておく場合があったことを初めて知った。
「第4 中世における葬送・墓制の諸相」では、足利将軍家、僧侶、女性の葬儀について検証される。かつては仏式というだけで特に何宗ということのなかった葬儀が、14世紀、室町時代になると何宗という分化が生じ、時宗の影響を受けた禅宗の葬儀が盛行するようになる。また葬儀の執行が相続の正統性を示すものと受け止められるものとなったという。
「第5 色々な墓」では、文字通り墓にまつわるいろいろな話を列挙している。中でも葬送や石塔の費用について分析した部分が面白い。貴族の葬式では大変な出費があり、例えば母の追善供養のためにその領地を売却した例も紹介されている。なおその中で石塔の造立にかかるコストは比較的小さく、数多くの仏事を修するのが費用のメインである。とにかく葬式を正式に修すると大金がかかったので、逆修供養とは葬式の簡略化によるコスト削減でもあったのかもしれないと思った。
「第6 中世的墳墓の形成と実態」では、14世紀頃から葬送と石塔の造立がセットになっていったことが推測され、それには禅宗が積極的に関与したことが示唆されている。また墓が寺に営まれるようになったことが簡単に指摘されているが、これはさらに詳しく過程を知りたいところである。さらに悉皆調査が行われている埼玉県の板碑についての統計的な分析が行われ、墓の変遷がデータで述べられている。このデータは非常に示唆的で興味を引く。
全体的に葬儀の事例を列挙していく感じの内容であり、普通には退屈な本であるかもしれないが、中世の葬儀への興味を持って読むとどの項目も興味深く、意外と退屈せずに読んだ。ただし、事例の列挙であるためにあまり分析や考察はなされていない。一つひとつの事例についてもう少し突っ込んだ考察が欲しかった。また、副題が「石塔を造立すること」であるにもかかわらず、石塔そのものについての話(どのように制作されたのか、どのような形式の石塔があったのかなど)がほとんどないのは残念だった。
葬儀事例を数多く紹介することで中世の葬送を知る真面目な本。
【関連書籍】
『死者たちの中世』勝田 至 著
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/10/blog-post_9.html
中世、多くの死者が墓地に葬られるようになる背景を説き明かす本。
思想面は手薄だが、中世の葬送観について総合的に理解できる良書。
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