2012年9月4日火曜日

『生活の世界歴史(3) ポリスの市民生活』 太田 秀通 著

古代ギリシアの民主制とそれを支える奴隷制の内実を描く本。

古代ギリシアというと、素晴らしい彫刻、建築、文学、哲学といった文化的精華に目を奪われて、ついついそれが(現代的に見て)素晴らしい時代だったかのように思いがちだけれども、その内実は意外に暗鬱な部分がある。

本書では、彫刻や建築といった文化面はほとんど取り上げず、ポリスの市民生活がどうだったかということに焦点を当てて記述する。特にアテネの民主制の実態は興味深い。

アテネの民主制は徹底しており、政治のみならず司法(裁判)も市民の手で運営されていたので、市民はとても忙しかった。しかしそれは所詮素人の仕事であり、話術の巧みな者に唱導されてしまい、衆愚的な方向に陥りやすい。それでなくても、忙しい民主制を維持するためには労働を肩代わりする奴隷制が必須であり、新規奴隷を獲得するため自然と侵略戦争を必要とする。民主制のアテネが地中海の覇権を争う帝国主義国家になったのは、まさしくそれが民主国家であったためということが大きい。

古代アテネの民主制を知ることは、民主主義への幻想を打ち砕く一助となる。確かに素晴らしい部分もあったが、民主制は手間がかかり、国庫の負担も大きく、しかも賢明な選択をなしづらい制度であった。著者は、アテネ民主制の黄金時代は57年間だったと述べる(p.116)が、後代賞賛された民主制とは、ほんの一時期だけ、幸運に恵まれて実現した泡沫の夢であったと言えよう。

しかし意外だったのは、当時の奴隷観だ。私は激しい身分差別が存在していたのだろうという先入観があったが、実際はそうでもないようだ。例えば、身分の別にかかわらず同一労働同一賃金が保障されていたり、奴隷と共に労働することが何ら恥ではなかったりといったことが挙げられる。これは、人権意識があったということではなくて、アテネの経済構造を支える奴隷の利益を保護し、生産を滞りなく進めるためだったらしい。

奴隷とアテネ市民の間には懸隔があったのは確かだが、「弱者が強者に支配されているだけのもので、いわば運命によってそうなっているだけにすぎず、王子も王妃も王女さえも、弱者なるが故に他人の奴隷となることがある、と考えられていた(p.232)」のである。

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