2024年1月22日月曜日

『中世神話』山本 ひろ子 著

中世神話を概観する本。

中世神話とは、「中世に作成された、おびただしい注釈書・神道書・寺社縁起・本地物語などに含まれる、宇宙の創世や神々の物語・言説(p.4)」をいう。要するに、中世に生み出された新しい神話群が中世神話なのだ。

これには主に3つのジャンルがある。第1に「中世日本紀」。これは『日本書紀』の注釈や引用の形で述べられたテキスト群である。なお、注釈や引用といっても、原文をも改変している。卜部兼文・兼方の『釈日本紀』などが代表である。

第2に中世神道書の神話世界。神典の注釈活動から生まれた、宇宙の創世や神々の始原についての言説がこれにあたる。

第3に本地物語。これは神々の本地や前生を語り、本生譚(ジャータカ)の形式を持つものが多い。14世紀成立の『神道集』がその代表である。

本書はこのうち、第2の中世神道書の神話世界について、特に「天地開闢」「国生み」「天孫降臨」の3つの神話にフォーカスを当てて述べている。

中世神道の大きな潮流を作ったのが伊勢神道である。伊勢神道は、伊勢神宮で生まれた神道説であるが、その大きなエネルギーとなったのが外宮の地位向上であった。いうまでもなく外宮は豊受大神を祀るが、これは記紀神話には登場しない神であり、さらに伊勢神宮の建立縁起においても、豊受大神は天照大神の食べ物を準備する神に過ぎなかった。だが外宮の神官たちは豊受大神を天照大神と同格またはそれ以上にしつらえようとし、そのために様々な理論を生み出すことになった。それらは神道五部書としてまとめられた。

そしてそうした理論の背景となったのが、神仏習合であった。神話を仏教(密教)的に解釈しなおし、変奏することで新しい神話を構成していったのである。特に内宮・外宮をそれぞれ胎蔵界・金剛界の曼荼羅として捉える両部神道はその強力な援軍となった。本書は、こうした再解釈・変奏・再創造の過程を丁寧に追っている。

(1)天地開闢

記紀神話では、混沌から世界が生まれた。最初に生まれたのは天之御中主神であるが、これは特に活躍することなく退場する。ところが中世神話では天之御中主神を重視し、天之御中主神が梵天の化現であるとか、豊受大神として化現したとか主張し、様々に利用した。

しかしながら、食べ物を準備する神と宇宙創成神ではあまりにも性質が違いすぎる。そこでどうしたか。外宮神官の渡会氏は、御饌を司る神は名前のよく似たトヨウケビメ・トヨカウノメであるとし、豊受大神から御饌の性格を切り離した。

代わりに、豊受大神は「御饌(みけ)」の神ではなく「御気(みけ)」の神であるとし、抽象的な始原神としての性格を再定義した。

さらには、外宮神官の渡会氏は『旧事本紀』にある天孫降臨に供奉した神の中から、天村雲命を選び出し、天之御中主神から天村雲命を経て渡会氏に続く系図を創作した。こうして渡会氏は中臣氏や忌部氏のような神話的起源をもつ一族になった。

(2)国生み

記紀神話では、イザナミ・イザナギが海をかき混ぜて国を生む。ところが中世神話ではなぜかイザナミ・イザナギの存在感はほとんどなく、かき混ぜた道具である「天の瓊矛(あまのぬぼこ)」の方に注意が向いている。そして日本には「大日如来の印文」=「金輪」が元々あったとされる。金輪とはインドの聖王・転輪王が持つ宝物であり、密教の真理を表す道具である。そして日本には金輪王が先住していたとする。また国生みに際して第六天魔王が登場するのも面白い。さらに、天の瓊矛は密教の法具である金剛杵であったとされた。

(3)天孫降臨

記紀神話では、天孫降臨するのは天照大神の孫のニニギノミコトである。しかし中世神話では、降臨するのは「杵独王(きどくおう)」となっている。「ニニギ(瓊瓊杵)」の杵と「独鈷」の独から作られたイメージであるが、ニニギの稲のイメージが全くなくなっているのが興味深い。

また、ニニギが天孫降臨した時に覆われていたのが「真床追衾(まとこおうふすま)」であるが、このイメージは中世神話でふくらまされ、豊受大神ゆかりの聖なる御衣「小車の錦の衾」と重ねられた。

さらに、天孫降臨では三種の神器が授けられる(ただしこれは後に整理されて重視されたもの)。中世神話でも天界から様々な宝物が与えられているが、北畠親房『元元集』で筆頭に掲げられたのがなんと「天の瓊矛」であった。

天孫降臨の後に、ニニギを迎えたのが猿田彦であるが、『皇大神宮儀式帳』などの記録には猿田彦の名前は全く登場せず、神宮で祀られた形跡もない。ところが『倭姫命世記』では猿田彦がフォーカスされ、正殿の一角にあった興玉神が猿田彦だと付会した。

ここにメモしたのは、中世神話のごく一部であり、本書ではこの10倍以上の複雑さで中世神話が述べられている。またそれはしばしば一貫しておらず、『日本書紀』とも矛盾していた。

では、なぜ中世人たちはそのような神話群を創作したのだろうか。先述の通り、大きなエネルギーになったのは外宮の地位向上運動であったのは間違いないが、その背景にあった思想はなんなのか。

その一つのヒントとなりそうなのが、彼らはあくまで文献主義で神話を再構築していったということだ。つまり、彼らは神託を得たとか夢告があったといったような神秘体験に頼るのではなく、文献にはこう書いている、という立場を堅持し続けた。例えば渡会家行の『類聚神祇本源』は多くの典籍からの引用により神々の本源についての記事を類聚したコラージュ作品で、緯書・宋学・陰陽五行書など漢学からたくさん引用されている。権威の源泉として漢学が使われていることは象徴的だ。

つまり、中世神話のなんでもありの無秩序さとは裏腹に、それはいちいち典拠を要するものだった。だからこそ中世人は使えそうな典籍を縦横無尽に駆使して新たな典拠を作り出したのである。しかし一方で、例えば『日本書紀』などが多くの人に参照されていた形跡はない。というのは、もしそうであれば『日本書紀』との矛盾が問題になったであろうからだ。重要な典籍が公開されていないのに、というか公開されていないからこそ重要視される、という倒錯した文献主義によって生まれたのが、中世神話なのかもしれない。

本書は全体として、語り口は平明であるが、先述のとおり中世神話自体は複雑豊穣であるために頭に入れようとするとかなり難しい(わけがわからなくなる)。本書は中世神話の入門編のそのまた序説みたいなものかもしれない。

中世神話の世界に気軽に触れられる入門書。

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