2020年1月30日木曜日

『本朝幻想文学縁起 [震えて眠る子らのために]』荒俣 宏 著

日本の古代から江戸時代までの幻想の系譜。

本書は「幻想文学」を掲げているが、江戸川乱歩や小栗虫太郎、海野十三とか澁澤龍彦、夢野久作などといった、いわゆる「幻想文学」を取り扱うものではない。そうではなくて、未だ「幻想文学」という西洋から輸入された概念がなかった江戸時代までの日本の文芸を、幻想性をキーにして著者なりに繙くというものである。

構成としては百物語の形で、体系的というよりは、あれもあるこれもある式に、様々な事例が登場する。とはいえその配列はだいたい時代ごとになっているから、大まかには中世から幕末までの幻想の系譜を辿るものである(ただし江戸時代が中心で中世はほんのちょっと)。

本書を通読して思ったのは、現実と思えない奇譚の類は、まさにそれが現実ではありえないからこそ拡大再生産され、様々に料理され変形され、糾合していく性質があるということである。つまり、幻想は幻想を呼ぶのである。

本書の劈頭を飾るのは、小野小町伝説である。よく知られているように、小野小町は花の盛りが過ぎてから遊女となり、世を儚む老婆となって無惨に死んだという(全く史実に基づかない)伝説がある。この伝説は様々に変転して、遂には小野小町は菩薩の化身だったという面白い展開となっていく。まさに幻想はさらなる幻想を生んだのだ。

また似たような事例として、空海(弘法大師伝説もたいがい荒唐無稽で面白い)、安倍晴明も取り上げられる。

本書の白眉は『南総里見八犬伝』の読み解きである。この巨大な作品は、曲亭馬琴の周到なプロット作成とこれでもかと言わんばかりの暗号的・言霊的な言語世界によって表現された。『八犬伝』は江戸時代の幻想文学の最高峰の一つだということである。私は『八犬伝』は未読なので非常に読みたくなった(しかし長さも超弩級なので手に取るのが怖ろしい)。

本書の最大の特徴は、神道・国学関係についてかなり詳しく紹介しているということである。特に平田篤胤について著者は思い入れがあるのか何度も登場する。確かに篤胤は面白い。地味な古文辞学を修めた本居宣長は、死後の世界についてまことに恬淡としていた。ところが宣長を師と仰いでいた篤胤は宣長が黙して語らなかった死後の世界について異常にこだわり、神仙の世界や幽冥界(現世と並行的に存在している見えない世界)を実在するものと考えて厖大に叙述した。そうした死後の世界のイメージを獲得したことが、国学が普及する要因となったのではないかという。

また、篤胤の説を継承してさらに狂気じみた思想を展開したのが佐藤信淵(のぶひろ)で、彼は篤胤の神学を具現化し、日本が世界を征服して支配するための『宇内混同秘策』という世界征服計画書までつくった。

同じ国学者でも篤胤と対称的なのが上田秋成である。秋成は他の国学者たちが荒唐無稽な神の世界を無批判に受け入れているのについていけず、その立場の違いは本居宣長との有名な論争(日の神論争)にまでなった。しかし宣長の古文辞学を受け継いでそれを文学作品として具現化したのは秋成だったかもしれない。伝統的な幻想の材料をふんだんに使ってつくられた秋成の『雨月物語』は国学者最大の文学的精華であろう。「かれは江戸時代中期の夢みる魂が一斉にあこがれた<古えの日本>、<神代の美>についての思いを、ロマンスという新文学の実作を通じて完璧に実現させた、ほとんど唯一無二の人物だった」(p.382)。

江戸時代、歌舞伎や浄瑠璃、能といった芸能では、ごく普通に超自然的存在が登場した。能の基本プロットは、旅人が不思議な人物に会い昔話を聞いて、やがてその人物は昔話に登場する人物そのものの霊であるということが明らかになる、というものだし、歌舞伎や浄瑠璃には複雑怪奇な因縁をちりばめた伝奇的な話が溢れかえっていた。文芸においては、現実を写実的に表現するより、不思議な巡り合わせが次々にやってきたり、妖術や占いが登場したり、魔道士が活躍したりするほうが、ずっと面白いと考えられていた。しかもその話は作り話ではなく、歴史的な事実に基づいているとみなせる方がさらに有り難かった。だから人々は過去の幻想的な言い伝えを積極的に転用し、さらなる幻想を追加して拡大再生産していったのである。

つまり江戸時代までの人々の想像力を刺激したのは、現実よりも「夢幻」であった。秋成や馬琴がつくったのは、そうした夢幻の集成であったと言える。新しい物語を作るためにも、作家は古い夢幻に立ち返る必要があった。逆説的なことだが、夢幻は夢幻であるがゆえに「歴史性」を獲得していった。

だが、(本書にはそこはかとなくしか書いていないが、)そうした夢幻の物語は明治維新後にはあまり受け継がれなかった。近代文学は夢幻よりも現実を活写することを望んだ。そうして江戸時代までの長い間に培われてきた日本的夢幻は、いつしか忘れられてしまったのである。

本書は、そうした日本的夢幻に改めて光を当てるものである。

【関連書籍】
『本居宣長(上・下)』小林 秀雄 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/04/blog-post.html
小林秀雄の語る本居宣長。
かなり難解であるが、宣長の言語に向かう研究態度について徹底的に思索し尽くした労作。「日の神論争」についても詳しい。

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