小林秀雄の語る本居宣長。
本書は、本居宣長の評伝ではない。宣長の仕事が時系列的・体系的に語られるわけでもないから、宣長を知らない人には読みにくい。本書は11年半にも及ぶ連載によるもので、著者自身がどこに着地すればよいやもわからないままに書き綴ったもののように思える。いうなれば、本書は「本居宣長研究ノート」とでもいうべきものだ。
この長大な作品において、著者が執拗に主張したこと、それを一言で言うなら、「宣長の研究は、古事記に書かれた荒唐無稽な神話をそのまま首肯するところが弱点だったと思われているが、これはむしろ宣長学の核心であり、弱点どころかこの態度こそが古典文学の読解に必要なものだったのである」とでもなるだろうか。
このような例が本書中に出されているわけではないが、話を簡単にするためにフランス文学に譬えて、この主張を少し解説してみよう。
フランス文学を真面目に研究しようとすれば、誰しもフランス語を習得する必要があると思うだろう。日本語への翻訳作品によっても、フランス文学の一端を捉えることはできるし、普通の人が楽しむ分には十分だ。しかしその機微、空気感といった微妙な芸術の襞を理解しようと思ったら、やはりフランス語を習得する意外にはなさそうだ。
その上、例えば18世紀のフランス文学を研究しようとすれば、18世紀の風俗や社会情勢、その当時の人々の心のありようがどんなだったか理解しなければ、本当に文学作品を理解したことにはならないだろう。当時の人が、どんな気持ちでその文学を読んだかということが自らの中に再現できて初めて、作者の意図や表現の価値が分かってくる。
こういったことが、『源氏物語』や『古事記』を読解する上でもいえるのである。『古事記』を本当の意味で読もうと思えば、『古事記』が生まれた社会のことを理解し、その言語を習得して読まなければならない。象徴的ないい方をすれば、『古事記』を「翻訳」せずに、『古事記』当時の人のこころになりきって読む必要がある。
ところがこの『古事記』当時の人のこころ、というのがくせ者である。この頃の言葉は、どこにも残っていないからだ。 『古事記』そのものは、当時の人の言葉ではない。これは変則的な漢文で書かれているが、当時の人が漢文でしゃべっていたわけはないからだ。よって、『古事記』として残された変則的な漢文から、まず『古事記』当時の肉声を再現するという作業をしなくては、そもそも『古事記』を「読む」ということすらできないのである。これが、宣長の『古事記伝』という決定的な『古事記』研究であった。
宣長は、言語というものは翻訳が不可能なものだ、と考えていたのではなかろうか。凡百の古典文学研究家が、古典に「何が」書かれているか理解しただけでそれを読解したと思ったのとは対蹠的に、宣長は「どう」書かれているかまで理解しない限り古典を読めたとは考えなかった。意味を摑むだけならば「何が」書かれているかだけで十分だ。だが言語の本質は意味のみにないと宣長は考えていたようだ。むしろ「書きざま」の方が重要であると彼は考えていた。そして「書きざま」を味わうには、当時の人のこころになりきるしかないというのだ。
しかし、もはや後代の人間には「当時の人のこころ」がどんなだったか分からない。なぜなら、日本語は「漢字」を受容したからだ。漢字のない日本語など、今になっては考えられない。そして受容したのは「漢字」だけではない。「漢字」を受容したことで、必然的に日本語には中国風の観念が導入されたはずだ。それを宣長は「漢(から)ごころ」と呼び、『古事記』を理解するためにはそれをどうしても排除しなければならないと考えた。
というのは、神話は漢字がないころから口伝えで生き残ってきたはずである。漢字を知らない人々によって語られてきたはずである。だから宣長は「漢ごころ」を棄て、古代人になりきって古典を読むという、知的な荒行ともいうべき読解を試みた。彼は実際に、古代人になりきったと信じた。
しかしこの読解方法には、決定的な弱点が内在していた。それは、「古代人になりきる」以上、古典に対する批判精神を失うことを意味していたのだ。現代の科学では、古典の文献を研究する場合には必ずテキスト・クリティークすなわち「史料批判」をする。史料自体の正当性や妥当性を批判検証することだ。文書というものは、現代においてすら現実の社会を丸のまま写したものではない以上、こうした作業を経なくては、古代の本当の姿は見えてこないのである。史料をそのまま事実だと信じれば、文辞によって飾った歴史しか理解し得ないだろう。
一方で、史料批判を行うことと、文学を理解することは別の次元の話である。例えば、「吾輩は猫である」という文章を味わうことは、その猫が実在したかどうかというようなこととは全く関係がない。「私は猫です」でも「拙者は猫でござります」でもなく、「吾輩は猫である」という表現をとっていることを味わうのが文学を理解するということの一端であって、これを"I am a cat."とだけ理解して、その猫の実在性について議論しているようでは、いつまでも文学を理解することはできまい。
そういうすれ違いが、上田秋成と本居宣長との間に、後に「日の神論争」と呼ばれる論争を引き起こした。秋成は神話がそのまま事実とは考えられないという常識的なことを述べ、宣長は神話は全てありのままの事実だと反駁にならない反駁をした。今日から見ると、筋の通った主張をする秋成に対して、滑稽なまでに狂信的な宣長と思われるのであるが、小林秀雄は、あくまで宣長を擁護するのである。
私が本書で理解できなかったところはそこである。著者も、この論争は議論の土台からすれ違っていて、いわば議論の体を成していないということは認めている。しかしそれでもあくまで宣長を擁護していて、秋成については文学に対する理解が浅いとでもいわんばかりの態度である。だが議論がすれ違っている以上、宣長を擁護するにしても秋成の「史料批判」も首肯することはできたはずである。いやむしろ、宣長の研究態度は言語の本質にまで通暁した徹底的なものであると称揚するにしても、やはり神話をそのまま事実と認めることは科学的ではなかった、と批判すべきだったように思う。
宣長の態度は科学的なものではなかったが、彼の文学上・言語学上の業績は失われるものではないし、実際に宣長の古事記訓は、記紀神話が事実として認められなくなった今でも通用している。であるから、著者が執拗といえるほどに宣長を擁護する、その気持ちが私にはよく分からなかった。ただ、作品と同一化してしまうほどに言葉の世界に没入した宣長を見習って、小林秀雄も、『古事記伝』と同一化しようのであろう。一切の批判を棄てて、その作品を味読することによって作品の真価を体得しようとしたのだ。
本書は、長大で引用も多く、論旨は不明確であって、表現が文飾に流れがちであり、決して端正な評論とは言い難い。重複や繰り返しも多く、著者自身が何をいおうとしているのかよく分かっていないような箇所もある。一方で、言語や文学作品といったものに対して真摯な思索が繰り広げられており、その重複や論旨の不明確といったことは、言語という捉えがたいものをどうにか捉えようとしている苦闘の跡のように見える。
かなり難解であるが、宣長の言語に向かう研究態度について徹底的に思索し尽くした労作。
0 件のコメント:
コメントを投稿