2018年4月7日土曜日

『西郷隆盛紀行』橋川 文三 著

西郷隆盛を巡る思索と対話の記録。

橋川文三は西郷隆盛の評伝を書くように依頼された。しかし西郷をどう評価していいのか、そして既に汗牛充棟する西郷本がある中でどういう視角から描けばこれまで見過ごされてきた一面が表現出来るのか思案する。そしてそのヒントを見つけるため、様々な人と対話し、小文をまとめた。本書はそうして出来上がったものである。

本書で最も面白かったのは島尾敏雄氏との対談である。周知の通り西郷は二度遠島に処されている。一度目は大島に、二度目は(徳之島を経て)沖永良部島に。この島暮らしの中で西郷はどう変わったのか。

島尾によれば、一度目の島暮らしは西郷をさほど変えなかった。失意の中で荒れた生活をしていたし、大島での生活は、実際には服役ではなかったものの幽閉に等しい感覚だったという。だから島から呼び戻された時は当然喜んだ。

しかし沖永良部島での暮らしは違った。土持政照という地元の利発な青年と出会って慕われ、幽閉の形はとっていたが悠々と過ごすことが出来た。また絶海の孤島は、逆に恰も世界の中心にいるかのような感覚を催したのではないかという。そうして著者は、西郷は本土へ帰る気が失せたのではないか、と推測する。少なくとも、本土の方で繰り広げられている幕府と勤皇派の争い、そういうものが何か違うんじゃないか、そう思うようになったのではないか。ここで西郷の思想は他の志士たちとは違うものへと転化したのかもしれない。

本書の半分は、征韓論をどう考えるかということと、それに付随して西南戦争をどう評価するかという議論に当てられている。征韓論については、基本的に毛利敏彦『明治六年政変』(中公新書) の立場に賛成している。一方、西南戦争についてはこれといった見方は提出していない。封建主義の揺り戻しであり反革命と見るか、それとも明治維新の理想が現実には骨抜きになっていく中であくまで明治維新の革命を貫徹するための戦いと見るか、それすらも決められないという。

結局、西郷を評価することは、近代日本の歩みを評価することと等しい作業となる。あまりにも対象が大きく、つかみどころがない。著者は結局、病気(パーキンソン病)のためもあって、遂に西郷隆盛の評伝を書き上げることはなかった。本書は、この書かれなかった評伝のために準備した7、8年間の思索の記録である。

西郷の評価を考える上でヒントに溢れた小著。

【関連書籍】
『明治六年政変』毛利 敏彦 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/03/blog-post_21.html
いわゆる「征韓論」の虚構を暴き、その真相を究明する本。
明治六年の政界を実証的に解明した名著。


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