2018年4月23日月曜日

『西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦』小川原 正道 著

西南戦争のコンパクトな伝記。

西南戦争について書かれた本は厖大にあるが、新書という形でコンパクトにまとめられることは少なく、本書は西南戦争の入門編として珍しい。

入門編であるだけに記載はわかりやすく、特に戦争に突入してからの説明は簡潔で要を得ている。

一方、類書に比べて記載が充実しているところは西南戦争と民権派の関係についてである。西南戦争は、全体として見れば不平士族の封建揺り戻し闘争であった。彼らは明治政府の急進的な改革を不満とし、その不満のはけ口として戦争が起こったのであるが、一方で明治政府の改革が民主的でないとして不満を抱くグループも政府に対峙していく機会を窺っており、西南戦争の蜂起は民権拡充の好機と捉えられた。

例えば中江兆民は、自身が西郷隆盛を擁したクーデターを構想したし、政府と鹿児島の対立を煽った『評論新聞』は、士族反乱を支持し政府の開化政策を批判する一方、言論の自由や地方民会・民撰議院の設立、立憲政体の樹立なども要求している。さらに熊本では民権党も薩軍に加わったが、その中に宮崎滔天の兄で「九州のルソー」と呼ばれた宮崎八郎もいた(彼は『評論新聞』の記者もしていた)。

薩軍は、全体として士族意識によった反革命的性格を持ちながら、そこに民権拡大、言論の自由など民主的な主張が奇妙に同居していた。西郷隆盛と共に政府の改革を目指した人々は、そのさまざまな主義主張を西南戦争に託したのである。

ところが肝心の西郷隆盛は、この戦争では黙して語らなかった。というよりも、語らせてもらえなかったというのが正しい。彼はまさに「玉」として扱われたように見える。蹶起の正統性は、実際には何もなかった。ただ、「西郷を擁している」ことそのものが正統性と考えられたため、戦争の現場へ関与すらさせられず、恰も人質のように扱われたのが西郷その人であった。そして西郷は、その役割を甘んじて受け入れたかのようだ。

本書の記載がさほど充実していない点は、私学校党の動向である。「私学校とは何か」ということは、戦争の主体であるのだからもう少し丁寧に書いてもよいと思う。特に、実質的な戦犯である篠原国幹、桐野利秋などについては戦争前の動向を丁寧に追うべきだ。別府晋介、淵辺群平、辺見十郎太については「反乱の本当の首謀者」(西郷従道)とまで言われるので、人物像まで知りたいところである。また、私学校が成立するにあたって大きな役割を果たした大山綱良(県令)についてはその動きが本書にはほとんど書いていないが、これはちょっと残念だった。

本書では、最後に「西郷星」など西郷伝説についても触れ、そうした伝説が生まれた背景を簡単に考察している。曰く「西郷は、明治国家が成長過程を歩むなかで切り捨て、廃除してきたさまざまな可能性と、まだ見ぬ未来の可能性とを象徴していた」(p235)とのことである。

西南戦争が持つ多様な側面を切り出しつつ、経過をわかりやすくまとめた好著。


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