2019年3月2日土曜日

『バッハ(大作曲家 人と作品(1))』角倉 一朗 著

実証的なバッハ像を提示するバッハの伝記。

バッハの伝記は、これまでに数多く書かれている。しかしそれらには、バッハを理想化したり、さらには神格化したりするような面があった。また作品の作曲年代についても、思い込みやいい加減な措定がまかり通っていた。

ところが戦後、バッハ研究は実証的に進展した。例えば作品の作曲年代については、筆跡の鑑定や自筆譜の透かし模様の研究が行われ、かつての作曲年代を大幅に変更しなくてはならなくなった。バッハとはこういう人物だから、この曲はこの時期に書いたに違いない、というような思い込みから離れ、作品を並べることでバッハの人生を再構成していくと、今までのバッハ像を修正する必要が生じた。

そうして書かれたのが本書である。本書が書かれた時点(1963年)で、「新しいバッハ研究の成果をとり入れた評伝は、これが世界で最初のものである」と著者は自負している。

本書が提示する新たなバッハ像で最も強調されているのは、「バッハは教会音楽を最上の目的としていなかった」ということである。バッハが若い頃に書いた手紙に「自分は整った教会音楽を作る事を目標にする」といったことが書かれており、従来のバッハ評伝では、バッハは教会音楽こそ自分の使命と考え人生の選択を行ってきたと解釈されてきた。

しかし実際には、バッハが最も幸福な作曲生活を過ごしたのは、教会においてではなくケーテンの宮廷楽長として働いた期間であったようだ。後半生に長く務めたのはライプツィヒの教会であったが、そこでは教会とも大学(バッハは大学の音楽や教育にも関わった)とも、そして行政とも軋轢を抱え、やがて作曲の意欲をなくしカンタータはほぼ作曲されなくなってしまう。バッハにとって、教会音楽は重要なフィールドではあっても、それは人生の目的といえるようなものではなかった。従来のバッハ像は「宗教的先入観に基づく誤解」だったと著者は言う。

また本書で描かれるバッハ像は、喧嘩っ早いトラブルメーカーで、些細なことでも自分の権利を主張するには妥協がない、ラーメン屋のオヤジのような職人肌の人物だ。神に捧げるための崇高な音楽を創り出す人物とは、ちょっと似つかわしくないのである。しかしそちらの方が、ずっと人間味があってリアリティもあり、私は納得した。バッハの超越的な音楽を前にすると、それを作曲した人間もまた世俗を超越した人間であってほしいと思うのは人情だが、それは幻想というものだろう。

等身大のバッハを実証的な研究によって描き出した、バッハ伝の好著。

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