かの玄奘がはるばるインドまで旅して求めたのが、アビダルマ哲学と唯識の本だったという。唯識はインドの仏教思想においてその到達点といえるものである。
しかし私は唯識はあまり日本の仏教に影響を与えていないと考え、これまでこれを知らずに済ませて来た。先日『往生要集』を読んで、本当に日本仏教に唯識があまり取り入れられていないのが検証する必要を感じ手に取ったのが本書である。
唯識の源流は『華厳経』の「三界唯心」の一文である。「三界はただ心なり」、これは鴨長明が『方丈記』の終わりにいう「夫(それ)、三界は只心ひとつなり」の元ネタである。世界に存在するのは心だけだという認識は、インドではどう発展していったか。
本書にはそれが丁寧に跡付けられているが、私にはよくわからなかったことも多いので、大まかにメモする。
紀元1世紀ごろに、インドではアビダルマ(論・哲学)が盛んになった。これは仏教的な哲学で、存在論である。アビダルマでは、存在するということを思弁的に考え、いくつもの存在の基本単位(原子のごときもの=法:ダルマ)を措定した。地水火風空といった物質(色)についてはもちろんのこと、アビダルマでは心理作用とか文章のようなものも法があるとみなした。物質のみならず現象にも、心とは独立して原因の元があると考えたのである。
一方で2世紀には、空思想がナーガルジュナ(龍樹)によって大成された。紀元後に述作されていた大乗仏典にはすでに空の思想が説かれていたが、これを精緻に理論化したのがナーガルジュナの『中論』である。空とは、この世の全ては相互依存的に存在しており、絶対的な実体はないとする思想である。
ところがすぐにわかる通り、これはあらゆるものに原子のごとき普遍の素(法)があると考えたアビダルマ哲学と矛盾する。そこで2~4世紀頃には、アビダルマ哲学を受け継ぎながら、その存在論を転換させ、空の理論を取り入れた認識論である唯識が『解深密教(げじんみっきょう)』において登場するのである。
これを受けて唯識思想を体系化したのが、マイトレーヤ(彌勒、ただし実在の人物ではない可能性が高い)であり、アサンガ(無着)・ヴァスバンドゥ(世親)の兄弟であった。特に重要な著作としては、マイトレーヤの『瑜伽師地論』、アサンガ『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』、ヴァスバンドゥ『唯識二十論』・『唯識三十頌』が挙げられる。5世紀ごろまでに現れたこれらの著作が唯識の基礎を築き、6世紀にはこれを発展させるとともに、それらに対する注釈の形で理論が精緻化した。
そうした仕事をしたのが、例えばディグナーガ(陳那)、ティラマティ(安慧)、ダルマパーラ(護法)、パラマールタ(真諦)である。中でもダルマパーラの『成唯識論』は基本原典の位置づけが与えられ、法相宗の根本経典となった。なおこの頃に玄奘はインド旅行をした。さらに7世紀には、ダルマキールティ(法称)が出て認識論、論理学を発展させた(有形象唯識論)。この頃にインドを訪れたのが義浄である。
日本で唯識をはっきりと受け継いでいるのは法相宗である。法相宗大本山の興福寺には、有名な無着・世親像があるが、あれこそが日本における唯識のアイコン的なものであろう。
ではその思想はどのようなものだったか。
それを簡単に言うと、「この世界には実在するものは何もなく、それは幻のようなものである」ということである。これは西洋哲学でいえば、ソリプシズム(独我論)にあたる。もう少し正確に言えば、唯識派は、あらゆる外界の対象は実在せず、ただ表象とその認識だけがあると考えた。だから「唯識」なのである。
例えばここに牛が歩いているとする。だが唯識の考えでは、実際には牛は存在しない。ただ「牛が存在する」との認識だけがあるのである。さらに牛の前に大きな岩があったとしよう。唯識ではもちろん岩も存在しないが、牛は岩を避けて歩くであろう。存在しないはずの岩をわざわざ牛が避けるのはなぜか。またこの牛が視界から過ぎ去ったとする。もはや牛は認識されないので、存在しない。しかし、その先で別の人は存在していないはずの同じ牛を見ることになる。このように、明らかに牛も岩も存在しているように見える。どういうことか。
これに対し、『解深密教』ではアーラヤ識というものを考えた。アーラヤ識とは、「無限の過去世から、現象にかかわる心のはたらきの余習を蓄積しながら流れを形成している潜在意識(p.55)」である。つまり、誰かが牛を認識したことはアーラヤ識という識のアーカイブに記憶されているため、別の誰かもその牛を認識するのである。
ところで、単純な独我論では、世界で確実に存在しているのは自分(の心)であるとされる。デカルトが「我思う、ゆえに我あり」といったように、外界の対象が全く幻に過ぎないとしても、それを知覚している自分というものは存在すると考えるほかない。では唯識では自己及び他者をどう考えるか。
唯識では、自己は識の集合体であると規定される。つまり識(認識作用)がまとまったものが人間である。もちろん他者もそうである。認識作用のみがあるのである。西洋哲学の独我論では、自己は存在したとしても他者は幻かもしれないと考えるのだが、インド哲学の特徴なのか、唯識では自己と他者は峻別されずに考察されている。本書では詳らかでないが、おそらくは生物は全て識の集合体と考えられているようである(もしかしたら無生物もそうかもしれない)。
では、牛という実体は何もないのに、なぜ我々は牛を認識するか。言い換えれば、アーラヤ識はどのような原理で我々に牛を認識させるか。細かい議論は省くが、アーラヤ識にはあらゆる現象の種のようなものが内包されており、その種が現勢化することで牛が認識される。ところで唯識に先行するサーンキヤ学派では、現象のすべては因果律に支配されていると考え、その根源に第一原因を考えた(新プラトン学派と全く同じである)。ところが唯識になるとアーラヤ識が因果律の体系であるとはみなされず、識は瞬間ごとに生成・消滅するとされる。アーラヤ識に因果律が内包されているのではなく、それはあくまで種が現勢化することで識を変化させる。
つまり識は、素朴には認識作用ではあるのだが、認識というのは対象があって初めて成り立つ。対象がないのに何を認識するのかというと、アーラヤ識によって識自体が変化するのみなのだ。これを「識の変化<パリナーマ>」という。
このように考えると、煩悩や輪廻といったものも、アーラヤ識によってある(ように見える)ものであるのは明らかだ。すなわち解脱とは、アーラヤ識の流れを断ち、アーラヤ識から自由になることに他ならない。それが真如の境地なのである。
これはずいぶん思弁的な観念論に見える。ところが実はそうではないのである。唯識派は観念論を弄んだ学者だったのではなく、瑜伽(ヨーガ)を実践していた人たちだったのだ。
彼らは、ヨーガによって深い瞑想に到達し、そこに真理の世界を見た。その実践から得られたことを理論化したのが唯識だったと考えられる。例えば、瞑想していると、如来や菩薩が現れ、いろいろ教えてくれたりする。そうしたものは虚妄であろうか? さらに深い瞑想に入っていくと、全宇宙の真理が溶解した光の世界などに到達するとされるが、それはただの幻覚なのだろうか?
瑜伽行者たちは、現実の方がかえって虚妄であり、ヨーガの実践によって見られる世界の方に真如があると考えた。これが唯識の基本的な立場である。瞑想の時に見る世界は、何ら外界の対象が存在せず、瞑想が終わったら消えてしまう。しかし現実世界も似たようなものではないか、と彼らは考えた。むしろ、現実世界の流れ(アーラヤ識の作り出す流れ)を断ち切った世界にこそ、真実があると確信していた。
唯識は、一種の存在論・認識論であるが、観念的な哲学ではなく、むしろヨーガ理論であると考えた方がよいのである。実際、唯識の諸著作ではヨーガの実践によって得られる境地を10とか12に分けて細かく説明しているのである。
ただし、ディグナーガ=ダルマキールティの系統は、ヨーガの実践は遠のいて認識論・論理学の方向に進んでいる。
この世に実在するものは何もない、という思想は、世間的なものに執着しない態度を予想させる。例えば美女も美食も、実体は何もないのだから捉われるな、という態度である。しかし唯識ではそうは考えない。美女や美食を認識するという識(認識作用)こそが汚れであるとするのである。その識の働き(正確には、識を機能させているアーラヤ識)をヨーガの実践により断つことで煩悩をなくすのである。先述の通り自己も識の集合体であり、それを存立させているのもアーラヤ識である。ということは、アーラヤ識が断たれたら、自己も無になる。それが真如の境地なのである。
なお本書は、3部に分かれている。第1部が服部正明による唯識の概論、第2部が上山春平と服部の対談、第3部が上山による解説である。このシリーズは上山春平と梅原猛が仏教思想について繙くという構成をとっており、上山の専門は西洋哲学であるが、非専門家の立場から見た唯識が語られている。しかし意外と西洋哲学との対比や類比はなく、アビダルマからの思想的発展とヨーガとの関連を中心に述作されている。
ちなみに本書は唯識が日本にどう影響を与えたかはテーマの範囲外であるため述べられていないが、日本の法相宗が上述のような議論を盛んにしていたという話は聞かない。そもそも法相宗では唯識は「学問」であり、ヨーガの実践を伴っていなかった。ヨーガがなくては唯識の真の価値は発揮できなかっただろうと思う。
今でこそ唯識について述べた本はたくさん刊行されているが、本書の原著刊行の時点(昭和45年)では、本格的かつ平易に唯識を紹介した一般書としては貴重なものだったと思う。
唯識を思想的に平易に解説した良書。
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