2024年10月13日日曜日

『「戦後」を読み直す—同時代史の試み』有馬 学 著

本の再読によって戦後を歴史化しようと試みた本。

著者は「同時代を歴史として語る形式を見つけたいと考えてきた」という。

自分が過ごしてきた時代は、「歴史」ではなく「経験」であり、それをいくら客観的な「歴史」として語ろうと思っても、なかなか難しい。そこで著者は「後世の研究者に、その時代の日本社会を描くならこれがいい史料になると教えたくなるような本(p.6)」を「読み直すことを通して、「戦後」を再考(同)」しようとした。

これには少し説明を要するだろう。そこで本書にこういう説明があるわけではないが、私が括弧付きで使う「歴史」についてちょっと補足したい(本書では歴史を括弧付きで使っていない)。

最近の若者言葉に「黒歴史」という言葉がある。自分の恥ずかしい過去や、振り返って考えると恥ずかしくなる自分の作品などを表すネットスラングである。例えば若い頃に書いた詩や小説がそれに当たる。この言葉に「歴史」が入っているのは、なかなか鋭い言語感覚だ。詩やマンガを書いたのは自分でも、それをある程度の距離から離れて見ると、ダメすぎて目も当てられない…ということは、自らの「経験」を客体化、すなわち「歴史」化しているからだ。このように、「歴史」は、現象を「ある程度の距離から離れて見る」という作業が必要なのだ。

つまり、「経験」をそのまま語るだけでは決して「歴史」にならない。仮に源頼朝が鎌倉幕府を開いた時の自叙伝を書いていたとしても、それは第一級の史料ではあるが、そのものは歴史書ではない、というのと同じである。

そして「ある程度の距離から離れて見る」ということは、「歴史」は必然的にナマの「経験」からは変質したものとなる。それはあたかも、モザイク画は近くから見ると幾枚かのピースが無造作に並んだものであるが、遠くから見れば一枚の絵になるのと似ている。

であれば、自らの「経験」を「歴史」として語るにはどうしたらいいのか。著者は若い頃に読んだ、時代を象徴する本を再読するという手法を考案した。再読してみれば、かつてとは違った印象が得られる。なぜ違った印象になるのか、それは、「ある程度の距離から離れて見る」からに他ならない。すなわち、「経験」は、時間をかけて自らの中で変質しており、わずかに「歴史」化しているのである。

このように、いくつかの本について再読した時の印象の差異を細かく考察することで、自分の中にある「歴史」を抽出しようと試みたのが本書なのである。

なお、以下のメモで「著者」と書くときは、(取り上げられた本の著者ではなく)常に有馬学を指す。

第1章では、その本として小学校5、6年の国語の教科書が取り上げられる。「ぼくらの村」や「T・V・Aの話」といった題材が取り上げられるが、その要点は「綴方(つづりかた)教育」にある。綴方教育とは、「日常生活のありのままを書く」という一種の作文指導法である。「ぼくらの村」などは、まさにその綴方教育運動の中心を担っていた人たちによるものだった。しかしこれらを今見直してみると、国土計画と身近な改革によって社会が進歩していくという「ありのままイデオロギー(p.41)」に過ぎないように見える。

「日常生活のありのままを書く」指導を受けた(はずの)個別的な「経験」が、振り返ってみればありのままを書くという要素は極めて希薄で、それどころか国語の授業なのにイデオロギーを吹聴するものに過ぎなかったことが明らかになる。このようにして著者は「歴史」を語るのである。

それにしても、著者の記憶力は異常である。小学5、6年の国語で何を習い、何を思ったか、そんなことは漠然として覚えていないのが普通だ。私の世代で言うと、かなり印象的な宮沢賢治の“クラムボン”ですら、元のタイトル「やまなし」を覚えている人は僅かだし、カニたちがどうなったか記憶している人はほとんどいない(私もそうだ)。なのに著者は国語の教科書がどんな文章であったかを相当の精度で記憶している。本の再読という手法は、この記憶力の良さがものを言っている(=普通の人には不可能)。

第2章で取り上げるのは、むのたけじ『たいまつ十六年』と山口瞳『江分利満(えふりまん)氏の優雅な生活』である。

著者は若い頃『たいまつ十六年』を読んで魂をゆさぶられる体験をしたが、再読してみれば「イライラすることも少なくなかった(p.52)」。「黒歴史」と一緒である。なぜイライラするのか、それを細かく検証していくことが、「経験」がどう「歴史」に変質したかを探る作業となる。

『たいまつ十六年』は、反骨のジャーナリストむのたけしの自叙伝である。彼は農村のリアルを描き、社会矛盾を糾弾した。そしてその現実を変えるために日本共産党に入党し、政治家にもなった。いわば彼は「正義漢」なのだ。しかし著者が『たいまつ十六年』を読み直すと、「民族」よ団結し「独立」を勝ち取れ、のような主張には、当時から共感はしていなかったものの強い違和感があった。その主張は、(そうとは本書には書いていないが、)戦中のスローガンを変奏したものに過ぎなかったからではないか。

『江分利満氏の優雅な生活』は、サラリーマンという存在を活写した本である。戦前生まれの江分利満氏は、昭和30年代の社会をサラリーマンとして生きる。「優雅な生活」は反語であるが、それでも、どんどん豊かになっていった時代であり、サラリーマンを悲哀に満ちた存在などとは全然書いていない。だがその背景には、「個人の努力で豊かになったのではなくて、それは時代の趨勢に過ぎなかった」として、個人の人生に対する悪戦苦闘が無効化される風潮に対するそこはかとない反発があったように思える。「だって時代がよかったんでしょ?」そう言われれば終わり……なのか?

ここで著者は、「高度経済成長」という大文字の「歴史」に、個人的な「経験」から微妙な修正を迫ろうとする。それは、「サラリーマン」が高度経済成長という波に乗った存在として「歴史」的に位置づけられることへの異議申し立てであるような気がする。

第3章では、『暮しの手帖』、特にその中の「ほくさんバスオール」という移動型簡易シャワー付お風呂と、アラジンの「ブルーフレーム」(ストーブ)の検証記事が取り上げられる。高度経済成長の中で、たくさんの商品が粗製濫造された。それらを評価し、買うべきもの・買わないべきものを見極める指針となったのが『暮しの手帖』である。

これを読み直すことで見えるのは、『暮しの手帖』は一見冷徹に商品を評価するようでありながら、「その商品で満足せざるを得ない層」への配慮が働いていた、ということだ。今見れば明らかなその配慮が、逆に昭和30〜40年代の「歴史」を物語っていた。

ところで、『暮しの手帖』の花森安治は、戦中にはプロパガンダ広告を手がけていた(大政翼賛会宣伝部)のは有名で、それはほとんど『暮しの手帖』のスタイルを予言している。それは「ぜいたくは敵だ」のような言い切りの短いスローガン型ではなく、読者に語りかけ、考えさせるコピーである。

本書の主張とは少し違うが、著者の語る『暮しの手帖』から、私は「消費社会」に向けた方向性を感じた。昭和30〜40年代に『暮しの手帖』を読んでいた家庭は、「賢い買い物」をしようとしていた。『暮しの手帖』は「賢い消費者」になるための雑誌だった。賢い消費者は粗悪品を買わず、無駄遣いをせず、暮らしを美しく整える。しかし「消費者」であることそのものに欲望(つまり無駄遣い)が内包されていたのではないか。

著者は「ブルーフレーム」を皆が欲しがったのは、暖房器具が欲しいという実利的な理由より、「青い炎が美しい」という情動の方が先立っていたのではないかという。いかに「賢い消費者」であっても、それは「消費者」であることから免れない。消費者は製品を「評価」する。そこに、生産と消費を分離する現代社会の溝がある。消費者は、商品を評価する側に立っていながら、あくまで受け手にすぎないのである。そして『暮しの手帖』が「消費者」を創り出したことは、皮肉なことに「高度経済成長」の先の「大量消費社会」を準備したように思われる。

第4章では、萩元晴彦ほか『お前はただの現在にすぎない—— テレビになにが可能か』と小林信彦『テレビの黄金時代』を取り上げ、テレビについて考察している。

ここで著者は、ラジオをどう聞いていたかとか、自分の家にテレビが来た日、のような回想をやや丁寧に述べている。もちろん本書は同時代史を語る試みなので、本章以外にも回想は多い。ところが本章では、「こんなことを並べていてもきりがない? その通りだろう(p.131)」とか、「どうでもいい話をくり返しているように思われるかもしれないが、私はこういった些末な事情も、いやそれこそが、メディア体験を構成する要素だと思っている(p.138)」と言い訳(?)しているのが面白い。

というのは、著者はそれらを個人的な「経験」にすぎないと思っているのだが、我々から見るとそれこそが「歴史」なのだ。つまり著者が「こんなこと」とか「どうでもいい話」と思っていることは、この場合には「源頼朝の自叙伝」みたいな一級史料なのである(と私には見える)。にもかかわらずなぜ著者は読者がそう見なさないと思っているのか。それは逆説的だが、著者にとってその時代がまさに「経験」であって、未だ「ある程度の距離から離れて見る」ことができていないからに思われる。こういう些末なエピソードこそ、「ある程度の距離から離れて見」なくては、「歴史」としての重要性がわからないのではないか。

『お前はただの現在にすぎない』は、テレビ放送が開始してからわずか10年ほどで、業界人がテレビの本質に迫りつつあったことを示し、また『テレビの黄金時代』は、その頃からたった10年でテレビの黄金時代が終焉したことを述べる。テレビの黄金時代は1961年〜71年(あまく見て73年)だという。

黄金時代が終わったとはどういうことなのか、本書からは詳らかでないが、要はテレビの前に釘付けになる時代が終わったということなのだろう。高度経済成長のお陰で、人々はテレビという虚構の世界に夢を見るだけでは飽き足らなくなり、現実の楽しみ(私は「レクリエーション」という言葉を使いたい)に興じるようになっていた。テレビは「夢」ではなく、「日常」を描く装置になっていく。

第5章では、関川夏央『ソウルの練習問題—— 異文化への透視ノート』と『別冊宝島39 朝鮮・韓国を知る本』を取り上げる。

まず告白すると、私は韓国について全く無知である。だから、本章については正直なところよく分からなかった。『ソウルの練習問題』は、関川夏央がイデオロギー抜きに、韓国の普通の街と普通の人と出会った記録である。この「イデオロギー抜き」というところが重要で、それまでは韓国を語る時に何らかのイデオロギーが必ず混入するものだったのである(←このことすら私は知らなかった)。

関川はそれを意識的に排除して、いわば「体当たりで」異文化に接する。こういう態度は当時として画期的だったという。人は、何らかの枠組みを持って社会を見ている。では「韓国を見る枠組み」を取っ払ったら何が見えるか。それが「練習問題」なのである。そして『朝鮮・韓国を知る本』も、『練習問題』と同時期に出された本で、似た態度で書かれている。

しかしその内容より、私には気になったことがある。それは例えば「この本のPART 1は「同世代の韓国人たち」である。しかし「同世代の(北)朝鮮人たち」という章はないのだ(「朝鮮・韓国を知る本」だよ!)(p.165)」とか、「私ははじめて目にしたとき、『練習問題』と並んで『知る本』を画期的な本だと思い、その出現に感動した。がっかりさせて申し訳ないが、事実だから仕方がない。そう、当時はこのくらいで感動できたのですよ(p.166)」といった書きぶりだ。

前者の「「朝鮮・韓国を知る本」だよ!」というツッコミや、「当時はこのくらいで感動できたのですよ」という言葉が示すのは何か? 著者はなぜ「今から見ればレベルが低くても、そんな時代だったんです」という時代の弁明をしているのか? 世代がずっと下の私なら「当時としては画期的だった」の一言で済ますようなことを、いちいち著者は「そんな時代だったんです」と付け加える。それはまさに、著者がその時代を生きた人で、その時代から「ある程度の距離から離れて見る」ことができず、いちいち弁明したくなってしまうからだと私は思う。面白いことに、本書は後半になるにつれ、この種のことが多くなる。著者は「経験」を「歴史」として語ろうとしながら、その時代を完全には客体化できないということなのか。

その意味するところはともかく、これは読んでいる方としては面白い。このようなことを付け加えたくなるのは、著者が紛れもなく同時代人であることを物語っているからだ。

第6章では、辻豊・土崎一『ロンドンー東京5万キロ—— 国産車ドライブ記』と徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び』を取り上げる。

『間違いだらけのクルマ選び』は他の本とちょっと違う。それは単発の本ではなく、1976年からほぼ毎年刊行されたのだ。これでクルマを巡る価値観がどう変わったかを検証できる。その要点は、当初はオリジナリティも実用性もない(のに無駄な装飾は多い)と酷評されていた国産車だが、その刊行の終点あたり(80年代後半)には、オリジナリティはなくとも、安く完成度が高いものならばよい、と肯定的に変化したということである。そして徳大寺は「普通グルマ」という「車のことなど忘れていられる」というありふれた財としての車が理想のものだという評価へ落ちつくのである。

私には、その価値観は大きく変わったようには思わないが(というのは、実用性を第一に考えるという点で徳大寺は一貫している)、同時代を生きた著者はそこに微妙な差異を読み取る。それは、「昔の国産車は、ユーザーの要望に応じて無駄な装飾を付けていたわけで、そこにはユーザー側の責任も大きかった。今の車は、ユーザーの要望に応じて実用一点張りになっている。ユーザーの要望に応えるという意味では同じだが、今のユーザーの要望は健全になっている」というような、(製品ではなく)ユーザーへの評価の変化が伴っているとみるからだ。

要するに、資本主義・大量消費社会ではユーザーとメーカーには一種の共謀関係が成立するが、 それが成熟してくると悪くないところへ落ちつく、ということなのだろう。『間違いだらけのクルマ選び』は、ユーザーとメーカーとの共謀関係が、どう変化し落ちついていったかを、その共謀関係からは一歩引いたところにいた徳大寺が克明に記録した本だと言えるのである。

ところでここでも、著者の「時代の弁明」が私には面白い(←意地悪な読者である)。『ロンドンー東京5万キロ』は、朝日新聞の企画で国産車(トヨペット・クラウン)でロンドンから東京まで走破するドキュメントであるが、「連載の開始にあたって掲載された社告のような記事(一面だぜ!)(p.212)」は、「「辺地」だの「めずらしい風物」だの、営業部の筆になるとしてももう少し洗練された表現を望みたいというのは、こんにちの目である(同)」と著者は述べる。

前半、括弧内で「一面だぜ!」というのは、おどけてツッコミを入れているようであるが、反面では「こんな企画でも一面で取り上げられる時代だったんですよ」という照れ隠しだと見えなくもない。さらには「…のは、こんにちの目である」というが、 わざわざそんなことを言わなくても普通の乗用車でロンドンから東京まで走破する(しかも当時は今と比べものにならない悪路続きなのだ)というのは今から見ても十分にすごいし、表現に時代を感じるというのは当たり前ではなかろうか。

このように、同時代を生きた著者だからこそ、言葉の端々に「当時のことは割り引いて見なければならない」という(しばしば過剰な?)抑制を働かせている痕跡がある。これはやはり、その時代から「ある程度の距離から離れて見る」ことができていないことを示唆している。章が進むにつれ(すなわち時代が進むにつれ)、「歴史」を語ろうと努めていた著者は、いつのまにか「時代の弁明人」になっていくのである。このスタンスの微妙な変化は、私にとって極めて興味深い。

終章では、山田風太郎『戦中派不戦日記』・『滅失への青春——戦中派虫けら日記』を取り上げる。 

これらは、山田風太郎が戦後に刊行した、自身の戦中(および戦後直後)の日記である。本書(『「戦後」を読み直す』)は、「かつて私が読んだ本をかなりの時間を距てて再読することで、その間の時間的距離の測定を試み、それを通して私自身が生きた時代を歴史としてとらえ直すという、かなり面倒でひねくれたもの(p.231)」であるが、これらの本は、再読しても印象が変わらなかったという。

本書の方法論からは、再読した時の印象の差異によって「時代的距離の測定」を行うのであるが、本書の場合は「なぜ今になっても読後感が変わらないのか」ということを考えることで「歴史」を述べようとする。その答えがはっきり書いているわけではないが、それは山田風太郎が「等身大の日記」を残しているからではないだろうか。

「不戦日記」と銘打ってはいるが、山田風太郎は反戦派ではなかったし(かといって戦争翼賛でもない)、当時の若者が書く妙に立派な文章とも違って、だらしなくダメなのだ。数学の試験が空襲警報によって中止された時には「大東亜戦争は余のこの日のために勃発したるにあらずやと感涙にむせぶ(p.251)」とまで書いている。これぞ青春の身勝手さである(笑)。

こんな「等身大」さは、きっと時代を超越している。イデオロギーや消費の在り方や、メディアとの付き合い方や外国への向き合い方といったものは、時代につれて変わっていく。だが「等身大」の若者は、どんな時代でも似たようなものなのだ。著者はこういう風に『戦中派不戦日記』を読むわけではない。だが私にはそんな風に理解する方がしっくりくる。

ところで本章のキーワードの一つは「自註」である。中井英夫の戦中日記『彼方より』が、戦後に中井自身の註記を付して刊行されていることに触れ、「戦後の註記こそは、(中略)私たちがそれだけの時間を経て読むことに自覚的であるべきことを促すものである(p.255)」という。

中井はどんな註記を施しているかというと、例えば少年航空兵を軽蔑して「要は彼らにただ黙って死なせることだ」、などと嘯いている戦中の日記に対し、「このいい方は、いま書き写しながらも不愉快である。(中略)その彼をも職業軍人として見ていたのかと思うと、心の狭さが情けないが、ともかくもこのとき、私は軍人を憎むことにけんめいだったのである(p.254)」と自註した。中井にとって、この日記は「黒歴史」だったのかもしれない。それに自註を付して刊行したことは、中井の強靱な精神を窺わせる。中井は自らの「経験」を、自註を付すことで「歴史」にしたのだ。

本書は全体として、たいへん緻密である。著者は「経験」を掘り起こすとともに、取り上げる本が歴史的にどう位置づけられるか考究する。一方、私は、著者のその考察が、私の感覚とどう乖離しているかを見ることで著者の「戦後」を感じた。著者にとっては「戦後」は、自らの「経験」と相即不離にあるが、1982年生まれの私にとって「戦後」は最初から「歴史」なのだ。だから著者が語ろうとする「戦後」と私の中での「戦後」の差異を微細に測定すれば、「経験」が「歴史」に変わろうとする力学を感じ取ることができるはずだ。少なくとも理論的には。

その作業の一部が、著者の「時代の弁明」に注目することであった。もちろんこれは本書への向き合い方としてはひねくれている。

だが著者が自分で「かなり面倒でひねくれたもの」だと言うとおり、本書も一筋縄ではいかない本だ。正直にいって、著者が「再読」という方法論で描いた「歴史」とはなんなのか、私には読解できなかった。というのは、私には本書を読解するために必要な戦後史の知識が欠如しているのだ。

とはいえ大雑把にまとめれば、戦後の「歴史」とは、「高度経済成長に続いて大量消費社会が確立し、その背後に平和憲法と国際協調主義があった」というものだろう。一方で、個人の「経験」には、高度経済成長も大量消費社会もなく、平和憲法も国際協調主義もなかった、というのが本書の言いたいことの一つ(のごく一部)だ。しかし、それが「高度経済成長」や「大量消費社会」という「歴史」のキーワードを修正するものであるかというとそうではない。

モザイクのピース一つひとつには「高度経済成長」などはないのだが、モザイクを離れて見てみればやっぱり「高度経済成長」が見えるからだ。では本書は「戦後」を読み直して、何を見たのか。著者はそこに大上段の結論を持ち出さない。それはむしろ(本書の主張とは真逆だが)、自分が生きた時代を「歴史」にされること(歴史家としては「「歴史」にしなくてはならないこと」)への弁明であるのではないだろうか。

弁明という言葉が言い過ぎなら、それを著者に倣って「自註」と呼ぼう。著者は後半になるにつれて「時代の弁明人」になると書いたが、それは時代から「ある程度の距離から離れて見る」ことができないというよりも、「経験」に自註を付けることによってそれを「歴史」化しようとする、著者の苦闘の跡だったのかもしれない。中井英夫がそうだったように。

著者も「私たちは中井の自註に代わるものを自分で創るしかないのである(p.256)」という。 

本書は、戦後史の見方に大きな変更を迫るものではないが、同時代を生きたものとして、それにせめて自分なりの註を付けさせてくれという静かな要求をしている本なのかもしれない。その弁明・自註にこそ、私は「経験」のリアル、「歴史」のリアルを感じるのである。  

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