2024年10月11日金曜日

『往生要集(上下)』源信 著、石田 瑞麿 訳注

往生のための理論書。

『往生要集』は、往生のためにはどうすればよいかを、仏典を縦横無尽に引用して論証した本である。この本を一読して感じることは、その圧倒的な学知である。仏典の引用は恐ろしいほど広範囲で、平安時代の仏教学のレベルの高さには驚愕するほかない。源信が圧倒的な学匠だったのは確かだとしても、これが理解されうる仏教界であったということだ。本書は石田瑞麿による詳細な訳注があるから私のようなものでもなんとか読むことができるが、もしなかったら意味をつかむことすら難しい。仏典についての該博な知識を前提にしなくては読むことすら困難なのが『往生要集』だ(例えば冒頭の「等活地獄とは、この閻浮提の下、一千由旬にあり(上p.12)」=閻浮提とか由旬とかを知っていることは前提だ)。

しかも、本書は源信の師、良源の死の前後5か月という短い時間に集中的に執筆されている。もちろん、それには周到な準備期間があったに違いないが、それにしても引用を書き写すだけでも大変な手間がかかったはずだ。とても5か月で書けるような本ではないのである。このような本がたった5が月で執筆されたことは、人類史的に稀有なことだ。

また、本書は10という数字にこだわって編集しており、全体を10章に分け、またその中でも随所で10の小項目に分けるなどしている。10という数字に意味があるのかどうかはともかくとして、綿密な構成の上に論証を書いているという雰囲気が強いのである。

以下、全10章について(とても内容を簡約することなど不可能なので)感じたことを中心にメモする。なお本来は「大文第一 厭離穢土」などと表記されるが、ここでは簡単に章番号を使う(『往生要集』は元来上中下の三巻であるが、以下のメモで(上p.117)などとするのは、岩波文庫の上下である)。

1.厭離穢土

『往生要集』といえば、この巻頭に置かれた地獄の描写が著名である。源信は多くの仏典から地獄の情報をまとめ、体系的に地獄の様子を明らかにした。それはダンテの『神曲』に比されることもあるが、『神曲』が政治的なムードがあるのに比べ、こちらは非政治的であり(具体的に誰が地獄に堕ちたとかは言わない)、また庶民的でもある。例えば「鹿を殺し鳥を殺せる者(上p.14)」が落ちる地獄とか(等活地獄の一部分)。そして妙に具体的な区分の地獄は、なんだか笑ってしまう。例えば「昔、羊の口・鼻を掩(ふさ)ぎ、二の(かわら)の中に亀を置きて押し殺せる者(上p.16)」が落ちる地獄(同じく等活地獄の一部分)などは、「そんなやついるの?」と誰でも感じるだろう。

こういう、妙に細かい区分の地獄もあれば、殺生・偸盗・邪淫(寺院では男色は女犯に比べ許容されていたが、男色も罪であり地獄に落ちる)などといった普通の区分ももちろんある。

そして、先ほどは殺生だったので地獄行きは納得できるが、「酒を売るに、水を加へて益せる者(上p.26)」とか「酒を以て人に与へ、酔はしめ已(おわ)りて、調(あざけ)り戯れ、これを弄び、かれをして羞恥せしめし者(同)」が落ちる地獄なんかは、「そこまで悪いの?」という気がする。割と微罪でも地獄に堕ちて長期間の刑罰を受けなくてはならないらしい。ともかく、いろいろなことで地獄行きになってしまうとなれば、これをなんとか避けなければならないと思うのが人情である。しかもこれは源信の独断ではなく、数々の仏典に縷々記述されていることなのである。

次に餓鬼道が説明される。地獄よりちょっとマシな世界だ。例えば「美食を独り占めしたもの(意訳)」がここに堕ちる。「陰涼しき樹を伐り、及び衆僧の園林を伐りし者(上p.50)」なども餓鬼道だ。地獄に落ちるほどではないが、自分本位なものがこちらへゆく。

畜生道、阿修羅道の説明は地獄に比べるとはるかに簡略である。源信はこの二つにあまり興味がなかったのか、それとも仏典にそもそもあまり書いていないのかは不明である(畜生道は皆がよく知っているから省略したのかもしれない。『日本霊異記』では畜生道に堕ちる人が多い)。人間道の説明はそれよりも丁寧だが、地獄よりはずっと短い。その要諦は、人間は不浄だ、ということに尽きる。

では天道はどうか。天道は人間道に比べればずっと寿命も長く、安楽な世界である。しかしそれでも、永遠の命ではない。結局死はやってくるのである。「この苦は地獄よりも甚だし(上p.70)」いと源信はいう。天道においても身は不浄であり、無常であり、苦は避けがたいのである。

しかしながら、当時の日本人が不老長寿や清浄性に憧れていたのかどうかは、本書からは窺えない。普通の人間にとっては天道は十分にパラダイスだと感じるところ、源信は「いやいや、天道じゃあまだ物足りないんですよ」という調子で説得しているような気配がある。

なお、この部分の論考の本筋ではないが「たとひ仏教に遇ふとも、信心を生ずることまた難し(上p.74)」という一文を指摘したい。私の『往生要集』を読む上での関心の一つは、この「信心」の扱いにある。「往生には信心が必須なのかどうか」を源信がどう考えていたのかを知りたいのだ。

2.欣求浄土

本章では一転して極楽浄土のすばらしさが喧伝される。それは、無限に心地よく、全てが思うままになる清浄な世界である。これもかなり具体的な描写で、「誰が見て来たんだ?」と思うような記載が多いが、当然ながら地獄の描写に比べて迫力は劣る。正直、やや退屈である。

ここでまた注目すべき記載がある。「もし[文殊の]名を受持し読誦することあらん者は、たとひ重障ありとも(中略)常に他方の清浄の仏土に生まる(上p.115)」としたり、「一念も[弥勒菩薩の]名を称する者は、千二百劫の生死の罪を除却し(同)」とある一方で、観世音菩薩は「わが名号に於て心を至して称念することあらん(上p.117)」 とある。前二者ではただ念じたり、名を称えるだけで効果があるのに、後者では「心を至して」という心の在り方が問題になっている。客観的な行動だけでなく、内面の在り方が問題になっているのである。

ともかく、これから論考していくのは、このすばらしい浄土にどうやって往くことができるか、ということである。

3.極楽の証拠

これまでの記述も、実は問答が基本になっていたのだが、本章は最初から問答である。その疑問はまず「十方に浄土があるのに、なぜ極楽(阿弥陀の浄土)だけを求めるのか」である。本書は、この種の問答が多いが、それらの問は鋭いものが多く(得てして答えよりも気が効いている!)、それが論考の都合上の源信の自問自答ではなく、切実な疑問であったことが窺える。

次の疑問は「弥勒の兜率天の方が阿弥陀の浄土よりいいのでは?」というものだ。当時は弥勒の兜率天の人気が高かったらしい。これらの問いは、私にとってはあまり興味の湧くものではないのでつぶさに読解していないが、その答えの要点は「阿弥陀の浄土は念仏によって行くことができるのだから、より行きやすい」ということに尽きるようだ。いかに素晴らしい浄土が他にあったとしても、行くことが非常に難しければ絵に描いた餅である。

4.正修念仏

本章では念仏のやり方について説明する。 当時、念仏は数をこなさなくてはならないという考えがあった。日常生活全てを犠牲にしなくては達成不可能なほど何万回も称えることが必要だというのだ。それを源信はきっぱり否定する。「多少を論ぜざるも、ただ誠心(じょうしん)を用てせよ(上p.153)」という。数の多い少ないではなく、がこもっているかどうかだという。

そして念仏のやり方というのは、作法というよりも心の在り方、もっと言えば世界認識の仕方に傾いている。念仏は身口意(しん・く・い)で行うが、意業(いごう)、すなわち心が大事だという。無量寿経の「要(かなら)ず発菩提心を須(もち)ふることを源となす(上p.159)」を引いて、「菩提心はこれ浄土の菩提の綱要(上p.160)」と述べる。

さらに荘厳菩提心経を引いて「菩提は即ちこれ心なり。心は即ちこれ衆生なり(上p.163)」だと、唯心論的な世界認識を述べる(正確に言えば「唯識」である)。さらに大智度論からは「心、清浄なることを得るは菩薩の教なり(上p.166)」として、心の清浄性が重要視されている。これらは、如来蔵思想(すべての衆生には如来としての性質が内在しているという思想)に基づいている。

ここで問があり「煩悩・菩提、もし一体ならば、ただ応に意(こころ)に任せて感業を起こすべきや(上p.168)」という。如来像思想では、煩悩にまみれた衆生の実相が、即ち菩提であるという認識論的な観念があるが、だとすれば、ことさらに菩提を求める必要はなく、煩悩にまみれたまま、ほしいままに振る舞えばいいではないか、という当然の疑問だ。これに対し源信は、「煩悩と菩提は一体だが、水と氷、種と果実のように別の次元にあるのだから、同一視してはダメだ」といったことを述べている。

そして、凡夫は難しい修行・儀礼などを勤修することは難しいから浄土など願っても無駄ではないか、という問に対しては、「昇沈の差別はにありて、行にあらざること[なし](上p.171)」という。何をするかではなく、心が大事だというのだ。私などには、客観的に判定できる「行」の方が、捉えどころのない「心」よりもずっと簡単に感じるが、源信は心を用いることなら凡夫でもできるという。

しからば「いかにして心を用ふるや(上p.172)」というと、これも源信はいろいろ述べているが、結局は「無理にでも念仏をすることで心は変わっていく」ということのようである。しかし「凡夫は常途(じょうず=常日頃)に心を用ふるに堪へず(上p.175)」と問は言う。これは鋭い問いである。それに対し、源信ははぐらかしているような答えである。

そもそも、煩悩をなくすことができないから凡夫なのだ。どうやって心を用いるのか。長々とした議論があるが、その中で面白い理屈が表明されている。華厳経を引いて「菩提心も一切衆生のもろもろの煩悩の病を滅す(上p.186)」という。普通、煩悩を滅して菩提心に至る、と考えるのであるが、これは菩提心を起こしたら煩悩がなくなる、という逆転の論理なのだ。煩悩をなくすのは無理でも、一念の(常途ではなく!)菩提心を起こすだけならできる、という理屈だ。「もし智慧ある人、一念、道心を発(おこ)さば、必ず無上尊と成る(上p.188)」。ここで「智慧ある人」に限定されているのは気になるが、「一念」だけでよいなら、これは凡夫にも不可能ではなさそうである。

さらには、出生菩提心経を引き「寺を造ること(中略)またもろもろの塔を造ること須弥の如くせんも、道心の十六分に及ばず(上p.190)」という。

では、「願」(心)だけがあって、「行」がない場合はどうなるのか。これは仏典(浄土十疑論・大乗阿毘達磨雑集論)では「別時」(未来)に叶うとしている。これに対して源信は、ここでは仏典を一切引かずに「菩提心は無量の罪を滅するのだから、心で浄土を求めさえすればすぐに浄土へ行ける(意訳)」(上p.195)という。異常に仏典を引用する本書の中で、全く引用せずに考えを述べているのは注目される。

しかしこの答えへの反問が面白い。「大菩提心にもしこの力あらば、一切の菩薩は初発心より決定(けつじょう)して、応に悪趣に堕する者なかるべし(同)」というのだ。まさにその通りである。一念の菩提心を起こすだけで往生できるなら、「1.厭離穢土」で描かれたような地獄にいく者は誰もいない。この問に対し、源信は仏典を引くことができず「且(しばら)く愚管を述べたり」として自説を述べる。その要諦は、「ただ極楽を願うのは、自分の安楽を求めているだけだから自利の行であって菩提心ではない」ということである。これは大乗仏教の基本的考え(大乗とは、自らだけでなく広く人々を救うことを目的とする)ではあるが、苦し紛れの説明のようにも思う。問の方が答より鋭い。さらに例えば「一心に念仏すれば往生するならば、なぜ経典や論書では菩提の願を勧めているのか」といった問には真正面から答えていない。

このあたりは、念仏が内包する矛盾を鋭く突いた問答であって、明らかに源信側に論理的な弱さがある。それでも、自説の弱点をわざわざ突くような問を掲載し、論理的に弱くてもなんとか説明しようとする態度は、宗教者としてあっぱれとしかいいようがない。私は本書を読みながら源信のことが大好きになってしまった。

こうして心の問題を議論してから、次に念仏の具体的なやり方に話が進む。今では念仏といえば「南無阿弥陀仏」を称えることと決まっているが、この時代の念仏は、文字通り「仏を念じる」というイメージトレーニング的なもの(観想)がメインである(ただし称名念仏もある)。そこで何をイメージするかというと、初学者はまず色相(仏の外面的な姿)からである。よってここでは、阿弥陀仏がどういう姿であるかを非常に細かく説明している。

次に、少し抽象的なイメージに移る。これは天文学的(?)な世界観であったり、超越的なイメージである。仏の体がどうこうというならまだイメージができるが、仏の眉間にある白毫が「七百五倶胝六百万の光明あり。十方面に赫奕(かくやく)たること、億千の日月の如し(上p.236)」と言われても、なかなかイメージできないと思う。源信の勧めるイメージトレーニングは、かなり難しいというのが実感である。

少し救われるのは、こういう観想を「麁心にして(=心が集中していなくて)像を観ずるも(上p.242)」効果はあるとしていることだ。だがもちろん、源信は「念(おもい)を繋けて、仏の眉間の白毫相の光を観ずる(同)」ことを勧める。「心がこもっていなくても効果があるのだから、心を込めてすればもっと効果がある」という理屈だ。

なお、当時は浄土のありさまを観ずる修行が多かったが、源信はそれは進んだ段階の修行だとして、仏の姿を観ずることを勧めている。この「4.正修念仏」が『往生要集』の中心である。

5.助念の方法

前章で説明された念仏(観想念仏)は、なかなかに難しいものであった。この実施を助けるための種々の方策が本章に述べられる。例えば、花、暗室(気を散らさないため)、念珠、体の姿勢など、いろいろ整えることが大事だという。しかしそれらを全部整えて、さらに精神を集中して念仏を称えるとなると、普通の人にはかえって難しい。そこで「在家の人は念仏の行に堪へ難からん(上p.257)」という疑問になる。易行(やさしい行い)であるはずの念仏が、実は難しいのである。

これに対し源信は「もし世俗の人、縁務を捨て難くは、ただ常に念(おもい)を西方に繋けて、誠心(じょうしん)に応にかの仏を念ずる(同)」ことが大事だという。また「誠心」が出てきて、どうも議論が循環的になっているようだ。だったら、これまでの観想念仏の煩瑣な方法は必要ないのではないか。心なのか、行なのか、はっきりしない。

こう読者が思い始めた頃、源信は涅槃経を引いて「阿耨(あのく)菩提は信心を因となす(上p.260)」として「道を修するには信を以て首(はじめ)となす(同)」と述べる。やはり重要なのは心であり、しかも信じることだという。これは「4.正修念仏」でさんざん論議した心の問題と、似てはいるが少し違う。心の清浄さとかではなく、信じること、疑わないことが大事だというのは、精神集中などとは一線を画す認識ではないだろうか。初期仏教の頃から、煩悩をなくすとか菩提心といった、内面の陶冶が重視されてきたことは疑いないが、信じることによって救済が与えられるとする観念はそれと別種のものである。「心」と「信」のどちらを重視するかは、似ているようで違いは大きい。私には、源信は半ば意図的に「心」を「信」にすり替えていっているように思える

さらに源信は、なかなか実践が難しい念仏を継続して行うため、阿弥陀仏の功徳を説明する。仏がどんなに素晴らしいものかを理解すれば、念仏を継続したくなるだろうという配慮(!?)である。 ここでは当然に仏の救済力が強調されているが、その他にも自由に空を飛べる(上p.277)とか、万能の力がある(上p.279)とか、どんな障害があっても見通す千里眼がある(上p.283)とか、人の心が読める(上p.285)といった特徴があり、これらはほとんどキリスト教の神の全知全能に近い。特に人の心が読めるのは大事で、であればこそ「阿弥陀如来は必ずわが意業を知りたまふ(同)」のである。心で念仏しても阿弥陀仏にはお見通しなのだ。

そして全知であるから、「衆生は[仏を]見たてまつらずといえども、実に諸仏の前にあり(上p.295)」。仏は我々の行動や心をいつでも見ているのである。 この仏の能力は、心を重視する源信の論議の土台となっている。

次いで、念仏についての補助的な議論に移る。その中で華厳経を引いて「如来の自在力は、無量劫にも遇ふこと難し、もし一念の信を生ずれば、速かに無上道を証す(上p.307)」とあるのは気にかかる。 仏に遇うのは難しいが、一念の信だけで無上道に至れるというのは、どことなく詭弁的だ。また「4.正修念仏」では「一念、道心を発(おこ)さば(上p.188)」だったのが、ここでは「一念の」になっている。ここでも「心」から「信」の転換がある。

さらに議論は「戒」に移る。これは当時から大問題になっていたことである。念仏のみで往生できるならば、持戒は必要ない。だから念仏者は悪いことを平気でする、というのが反念仏(例えば興福寺)の主張だった。「興福寺奏状」(念仏者を批判するもの)は源信よりもっと後の時代だが、おそらくそうした批判を念頭に置かれて書かれているため、源信は持戒を必要なものと述べており、戒を破るものは地獄に落ちるとしている。

ここでクリティカルな問「仏を念ずれば罪を滅す。なんぞ必ずしも堅く戒を持(たも)たんや(上p.321)」が放たれる。念仏で往生できるなら、なんで持戒の必要があるのか? これへの返答は大変苦しい。要するに「念仏は確かに罪を滅するが、念仏がいつでもできるとは限らないじゃないか」というものだ。先ほど述べたように、源信の念仏は簡単なものではないからだ。念仏は易しいのか、難しいのか、源信の言説は揺れ動いているように見える。

続く議論も興味深い。煩悩への対処法について述べた後、「煩悩と菩提は一体であるという真理に思い致せ」(上p.327)としつつ、それでも煩悩によって生じた罪は懺悔(さんげ)によって消滅させるべきと言う。これに対する問がいい。「ただ仏を観念するに、既に能く罪を滅す。何が故ぞ、更に理の懺悔を修するや(上p.332)」。仏を観念すれば滅罪するのに、なぜわざわざ懺悔などしなければならないのか。こういう素直な、だが難しい疑問をしっかり掲載するのが源信の良心である。ちなみに、予想されるようにこの問への答えもずいぶん苦しい。正直に言うと私にはその回答の意味が摑みづらいのだが、どうも「いちいち懺悔せよとは言っていない。真実の道を歩みたかったら、悪いことをしたら懺悔したくなるじゃありませんか」ということらしい。

このあたりも鋭い質問ばかりで一問一答でここにメモしたいくらいである。源信の答えよりも、むしろ質問の鋭さの方に惹かれる(もちろん、質問を作っているのも源信なのだが!)。 例えば「懺悔をして罪がなくなるなら、なぜ経典には戒を犯したら懺悔しても三悪道の罪は免れないなどとあるのか」と経典との矛盾を突く部分(上p.326)など、源信自身の苦悩を表しているのかもしれない。これには「方便なのではないか」とやはり苦しい回答をしている。

次に、心を乱すものとしての魔について述べる。仏教では、悟りの道を邪魔するものとして悪魔(マーラ)が考えられたが、源信は魔を実体としてではなく心の在り方として捉えている。「閲叉(えっしゃ)・鬼神」といったものも議論には登場するが、結局は「魔界も仏界も及び自他の界も、同じく空・無相なり(上p.344)」なのだ。

そしてこれまでの議論をまとめた結論部分が来る。結局、往生の要はなにか? 源信は「大菩提(仏の悟りを得たいと願う心)」と「三業を護る(身体・口・心の行為を正しくする)」と「深く信じ、誠を至して、常に仏を念ずる」の3つだという(上p.347)。つまり源信の段階では、未だ念仏だけに頼るという考えではないのだ。しかしながら、「往生の業は念仏を本となす」(後に、法然が『選択本願念仏集』の劈頭に冠した言葉)。一番大切なのは念仏であり、念仏をする「心」には、「深く信ずる」と「誠を至す」と「常に念ずる」の3つが付随するべきだ、というのである。 

「誠を至す」と「常に念ずる」はいいとして、やはり「深く信ずる」が私には気になる。先ほどの議論では単に「信」だったのが、いつのまにか「深く信ずる」になっているのも、初めは圧倒的な学知による学術的な議論だったはずが、だんだん源信の「信仰」へと傾斜していっている感じがするのである。

「宗教」なんだから信仰は当たり前じゃないか、と人はいうかもしれない。だが当時の人は仏教を文明・科学として捉えていた(と思う)。それは重力の法則や化学反応のような、人の心とは関係なく存在する真理であった。重力の法則を信じていない人は、高い所から落ちません、というわけにはいかないのである。信じようが信じまいが、確乎として存在していたのが仏教の真理であった。

「往生」も、今では観念的なものであるが、当時の人は実証的に捉えていた。 死の際にかぐわしい香りが漂ったとか、天上から音楽が聞こえてきたとかいうことがあって初めて往生したとみなされた。「往生」のために必要なことも、心の在り方などではなく、例えば阿弥陀像から五色の糸を自分の手に結びつけるとか、西方に向かって端座するとか、臨終の際に大勢の僧侶を呼んで読経するといったような、様々なプロセスを踏むことが浄土への行きかたであると説かれていた(源信自身、次の「6.別時念仏」でこの方法については詳述している)。

それは、ちょっと変な例だが、洞爺湖への行き方、というようなものと似ている。まず飛行場へ行き、○○行きの飛行機に乗って、北海道についたら電車で…というように段階を踏めば、誰でも洞爺湖に着くことができるのである。洞爺湖への行き方を信じていなければ洞爺湖に行けない、ということであれば、真っ当な道案内とは言えないだろう。

ところが源信の主張は、意地悪に言えばそういうことだ。それは、洞爺湖への交通費は高額だから普通の人には行けない、だから違う行き方を考えよう、ということだったのかもしれない。彼は費用のかかる法事ではなく、心の在り方、「信じる力」によって往生する方法を編み出した(もちろん彼一人の独創ではなく、正確に言えば源信はそれを学究的に論証し体系づけた)。それは、交通費を出して交通機関を使い洞爺湖に行くことが当然(それ以外ない)と思っていた人々にとっては、眉唾物の手法であったに違いない。「本当にそんなことで往生できるとは思えない」というわけだ。

この疑いがあったからこそ、源信は「信」を強調するようになったのだろうと私は感じる。念仏による往生へ疑いを向ける人々に対して、源信は「信じなくてはこの方法は無効になるのですぞ」と諭しているのである。 しかし仏教が科学のような客観的真理であれば、信じる信じないは問題にならないはずだ。実際、時代は下るが念仏を突き詰めた一遍は「信不信を選ばず」(信じていようが信じていまいが念仏の力は同じ)と喝破している。

6.別時念仏

ここでは通常の念仏と、臨終の際の念仏をどのように行うかそれぞれ述べる。そこで源信は善導の書を引用して「阿弥陀経を誦すること十万遍を満たし、日別に仏を念ずること一万遍せよ(下p.15)」という。一日一万回念仏が必要だというのだ。これは「4.正修念仏」での主張と違う。やはり念仏は回数なのか? だが議論はまた「心」へ傾斜していく。

そして臨終の際については、先述の通り、往生に必要となるプロセスを事細かに説明している。もちろん、儀式的なところも多いが、それ以上に心の在り方もかなり詳細を極める。阿弥陀仏が来迎することを具体的にイメージしなさいということを中心に、10項目の具体的な心の持ち方・イメージを臨終の際に護持しなければならない。これらは死にかけた人にはとてもできそうもない。だが「臨終の一念は百年の業に勝る(下p.45)」として、まさに臨終の際の心が大事だと源信はいう。臨終の一瞬より、それまでの人生をどう生きたかの方が大事だと思うのは私だけだろうか。

ちなみに議論の本筋ではないが、臨終の場所に「酒・肉・五辛(ニラなどの香味野菜)を食せる人をあらしめるなかれ。(中略)(もしそういう人がいたら)即ち正念を失ひ、鬼神交乱し、病人狂死して、三悪道に堕せん(下p.32)」というのはずいぶん理不尽に感じた。こういうのを超克するのが念仏であるというのではなかったか。

7.念仏の利益(りやく)

ここでは念仏の7つの利益を説明する。これまでの議論でも念仏の利益は説明されているので繰り返しのような内容も多い。

7つの利益の筆頭が「滅罪生善」であるが、念仏をすると「九十六億那由他恒河沙微塵数劫(※非常に多いこと)の罪を除却せん(下p.55)」というのは気にかかる。念仏だけでこんなにも罪が消えるなら、念仏者が「いくら罪を犯しても大丈夫だ」と思うのもしょうがない。後の興福寺の言うとおりである。

その他の6つはいちいち挙げないが、途中「名号念仏」の利益の話が出てくるのが興味深い。先述の通り源信の念仏は難しいイメージトレーニングだが、「衆生は障(さわり)多ければ、観(※観想念仏)成就し難し。(中略)ただ専ら名字を称せよと勧めたまふ(下p.65)」。本当は観想念仏をすべきだが、それは普通の人には難しいので名号念仏でも十分効果があるという。

そしてまた心の問題が出てくるのだが、観仏経を引き「もし心を至して、(中略)仏の色身を観ぜば、当に知るべし、この人の心は仏の心の如くにして、仏と異ることなけん(下p.70)」という。観想念仏によってその人の心は仏と同じようになるというのは、面白い主張である。さらに法華経の偈を引いて「もし人、散乱の心もて、塔廟の中に入るも、一たび南無仏と称へんには、皆已に仏道を成ず(下p.73)」というのは、心の在り方がどうであれ、南無仏と称えるだけでいいというのだから、これまでの主張とずれる。次いで「いまだ菩提心を発(おこ)さざらんも、一たび仏の名を聞くことを得ば、決定して菩提を成ぜん(同)」というのも、どうも前半の議論と齟齬していると思う。

一方、観無量寿経を引き「心に仏を想ふ時は、(中略)この心、作仏す。この心、これ仏なり(下p.75)」と、心=仏と言う。さらに往生論の註を引き「心の外に仏なきなり(同)」、大集日蔵分を引き「諸仏如来も即ちこれわが心なり(下p.76)」と述べる。このあたりは唯心論的(唯識的)で、さっきの「散乱の心でもよい」という態度とはかなり異なる。源信の心に対する考えは揺れ動いているように見える。

ただし、心を込めて念仏するほうがいいというのは当然で、先述の「心を至し」は随所に出てくる。本書は多くの経典を引用するので、統一されないそれぞれの「心」の捉え方が本書にはたびたび表明される。だからこれは源信の考えが揺れ動いているのではなく、単に多様な考えが盛り込まれているだけなのかもしれない。

8.念仏の証拠

本章では、善行ではなく念仏を勧めるのはなぜかを説明する。それは、善行を勧めないというのではないが、少しの善行よりは一日でも念仏をする方が利益が大きいというものである。なお本章は他章に比べ極端に短い。

9.往生の所行

源信は、念仏さえすれば往生できると確信はしていない。よって本章では、読経、誦経など念仏以外に往生に役立つことを述べている。本章も他章に比べ極端に短い。

10.問答料簡

本章は全部が問答形式である。いわば「よくある質問」のようなQ&A集だ。この問答は、予定調和的なものではなく、実際に源信が直面していたものなのだろう。例えば経典間の矛盾を突く質問などは、その質問を掲載していること自体が面白い。

仏典は歴史的にいろんな人が形成に与ってきた。ということは、当然矛盾も多い。仏教ではそうした矛盾を「方便だ」としてあまり深刻に受け取らなかったのだが(どちらの方が正しいのか、というような議論はされなかった)、一歩離れて見てみると「二経、何が故に同じからざるや(下p.144)」という態度の方が自然である。

また、すでに別の箇所でも同様の問答があったことを述べたが、「一たび[仏の]名を聞くすらなほ成仏することを得といふ。いわんや暫くも称念する、なんぞ唐捐ならんや(下p.159)」、つまり「仏の名を聞くだけでも成仏できるなら、称名念仏は無駄では?」というような疑問はごもっともである。こういう問答は読んでいて楽しい。「生まれてこのかた悪事ばかりして一切善行を行わなかったものが、臨終の時にわずかに念仏しただけで罪が滅して浄土にいくなんておかしくないか?(意訳)」(下p.177)という疑問なども至極当然のものだろう。

これに対する源信の回答は、いろいろな事例を引いて説明しているが、論理的な反論には感じられない。最後に「念仏の功力も、これ[諸法の不可思議さ]に准じて疑ふことなかれ(下p.184)」 というのは、ちょっと逃げている感じがする。ただし、この時代には念仏によってあらゆる罪障が無効化されて往生できるとまでは考えられていない。

そして、ここでもまた心の問題は蒸し返される。「粗雑な心で念仏しても効果はあるのか(意訳)」(下p.197)ということに対しては、「例えば芽が出るなと願いながら種を播いても、芽が出るのと同じ(=大悲経の引用)(意訳)」(下p.198)という問答があったかと思うと、「この経の意の如くは、敬信を以ての故に、遂に涅槃を得るなり(下p.200)」と「やっぱり心が大事なんじゃないの?」と問うているのは面白い。それに対し源信は「諸法の因縁は不可思議なり。(中略)ただ応に信仰すべし。疑念すべからず(下p.201)」とやや逃げ腰である。

では、このように念仏を信じることで往生できるのであれば、むしろなぜ「信ずると信ぜざるとありや(下p.215)」というのが疑問になる。これに対する源信の答えはやや我田引水だ。それは「疑ひて信ぜざる者は、皆悪道の中より来たり(下p.216)」。要するに「信じない者は悪人」なのである。それは言い過ぎではないだろうか。

さらに「(阿弥陀の名号を)不信の者はいかなる罪報をか得るや(下p.218)」。これに対し、源信は称揚諸仏功徳経を引用し「五劫の中、当に地獄に堕ちて、具さにもろもろの苦を受くべし(同)」という。信じないだけで地獄行きとはちょっと腑に落ちない。それに、これは「1.厭離穢土」と矛盾する。そこにはあらゆる罪を犯したものの細かい地獄の描写があったが、「信じない者が堕ちる地獄」というものはなかったからだ。

そう言いながらも源信は、「もし仏智を疑ふといへども、しかもなほかの土を願ひ、かの業を修する者は、また往生することを得(下p.219)」という。疑いがあっても往生のためのプロセスを踏めば大丈夫だという。信じるのが大事なのか、そうではないのか、最後まで源信は揺れ動き、どっちともつかない。両論併記だ。

それは、「信」が源信にとって「学問」ではなく「信仰」だったからだと私は思う。源信にとって「信」は理屈ではないのだ。この長大な学究の塊『往生要集』をもってもしても、「信」は理論化できなかった。そういえばその名も源「信」だ。理論化はできなかったが、「信」は源信にとって心情的に外せないものであったことは確かだ。

このように本書は全体に重複・矛盾・一貫性のなさが見られる。ではその価値が低いかというともちろんそうではなく、経典から要点を抽出して念仏を理論化したことには歴史的な価値がある。そのうえ、本書の矛盾や一貫性のなさは、批判の対象というよりも、その後の議論の土台として機能した。ある意味では、本書はその不完全さが魅力なのかもしれない。それに百科全書的というか、取捨選択をせずに論考をまとめているため、いろんな角度から読むことができるのも本書の面白さである。私は「心」や「信」の問題に注目して読んだが、それは本当に限られた観点でしかなく、実際に読まなければ何が書かれているかわからない本だと言っても過言ではない。

ちなみに、これまでの私の書き方は、源信に対してずいぶん批判的に感じるだろう。だが先ほども述べたように、私は源信の書きぶりに非常に好感を持つ。『往生要集』から感じるのは、度外れた素直さだ。それはしばしば宗教の教祖が持つ強力な確信とか、信仰を喧伝するものが持つ狂信とは全く違う。『往生要集』という高峰がありながら、そこから独立した宗派が形成されなかったのも当然だと感じる。『往生要集』には、源信の迷いや苦悩がはっきりと残されている。いわば源信は等身大なのだ。等身大の人間が、このような巨大な論考を、素直な気持ちで書き記したことは奇蹟的だ。

念仏理論の始まりとなった歴史的名著。

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