2022年3月3日木曜日

『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼 秀徳 著

全国の廃仏毀釈運動について述べる。

廃仏毀釈とは、明治元年の「神仏分離令」をきっかけに各地で起こった運動で、具体的には寺院の破壊、僧侶の還俗、神葬祭の実施、仏教的行事の廃止などが行われた。

しかし廃仏毀釈は明治政府の政策ではなく、地方政府や一部の神職の独走によってもたらされた。よって、それが行われた程度には地域によってかなりの違いがある。廃仏毀釈が実施された地域でも、民衆的な暴動にまで発展したところもあれば、政策として行われたものの民衆にまでの広がりは持たなかったところもある。

そこで本書はいくつかの地域を選び、そこではなぜ廃仏毀釈が起こったのか、あるいはそれほど起こらなかったのかを述べている。

とりあげられているのは、(1)早くに廃仏毀釈が起こった「比叡山、水戸」、(2)維新政府の中心であった「薩摩、長州」(薩摩は徹底的な廃仏毀釈が行われたが、長州ではそれほど暴力的ではない寺院整理だった)、(3)大藩の圧力で廃仏した「宮崎」、(4)新政府に恭順の意を示すために廃仏した「松本、苗木」、(5)閉鎖された島での運動「隠岐、佐渡」、(6)伊勢神宮が中心の「伊勢」、(7)それほど大きな運動にはならなかった「東京」、(8)文化財の多くが失われた古都「奈良、京都」、という構成になっている。

本書は研究書ではなく、各地の郷土史家や資料館などに取材してまとめたものである。彼らからのコメント紹介はなかなか面白い。しかし「なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」が副題となってはいるが、各地で廃仏毀釈運動が起こった理由については概略的で、あまり考究されているとはいえない。

とはいえ、それだけにかえって各地の廃仏毀釈の違いや特徴はわかりやすく書かれているように思う。またその共通点は、府藩県のリーダー層の考え方次第だということだ。前述のように新政府(少なくともその首脳)は廃仏毀釈を企図してはいなかったので、むしろ激しい廃仏毀釈を戒めているくらいなのである。それでも明治6年ごろまでは廃仏毀釈運動が地方政府によって遂行されているのは、府藩県のリーダーが率先していたからに他ならない。

だが、廃仏毀釈が地方政府のリーダーによる自然発生的な運動であると言い切ることはできない。ほとんど廃仏毀釈が行われなかった地域があるとはいえ、多くの地域で廃仏が行われた以上、地方政府の独走ではなく、やはり全国的な方向性があったことは間違いないのである。

それから本書で強調されていたのが、廃仏によって不要になった寺院跡やその建築を利用して学校を作っているケースが多かったということだ。地方政府では明治5年の学制の発布により学校を作る必要があったが、そのための予算はなかったので(本書には詳らかではないが、確か明治政府は地方政府には予算を与えずに学校を作れという指示だけしたのだったと思う)、廃寺や上知令により寺院から取り上げた土地はその恰好の資源となったのである。

全国の廃仏毀釈の動向を大雑把につかめる本。


【関連書籍の読書メモ】

『廃仏毀釈—寺院・仏像破壊の真実』畑中 章宏 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/07/blog-post_11.html
各地の廃仏毀釈の事例を述べる本。廃仏毀釈の事例集として分かりやすい。

『神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈』安丸 良夫 著https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/05/blog-post_2.html
明治初年の神仏分離政策を中心とした、明治政府の神祇行政史。「国家神道」まで繋がる明治初年の宗教的激動を、わかりやすくしかも深く学べる名著。

『廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち』佐伯 恵達 著https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/01/blog-post_11.html
宮崎で行われた廃仏毀釈についてまとめた本。廃仏毀釈や神道の見方はやや一面的なところはあるが、仏教側への考証は緻密で、地元に関する情報が豊富な真摯に書かれた本。地方の廃仏毀釈の実態を探るためには、このくらいの情報量が必要と思う。



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