聖とは、「戒を持たずに俗世において法を説いていく民間僧を指す(p.2)」というが、この定義については後述の疑義がある。ともかく寺院に所属して檀家制度に安住する僧侶とは対照的に、不安定な流浪の生活の中で民衆の中に分け入っていった民間修行者が聖である。
しかし既存教団の枠がないために、中には堕落した僧侶や、僧侶の姿をした博徒や乞食――偽聖(にせひじり)――もいた。そのため彼らは「宿借聖(やどかりひじり)」、「夜道快(やどかり)」と嘲笑されていたのである。当然に聖の評判は悪く、特に近世の仏教史においてはその存在が軽んじられてきた。本書は、木食僧(米穀を断ち、木の実だけを食べて修行する僧侶)を中心とし、聖たちに改めて光を当てるものである。
【江戸前期の木食僧】
弾誓(たんぜい)上人:16世紀後半、諸国を遍歴し、17世紀初頭に箱根の岩窟で暮らしはじめ多くの帰依者を得、阿弥陀寺を建立。仏像を自ら刻んだが、それは円空や木喰らの先蹤であり近世聖の祖とされる。また箱根の湯を発見したのは弾誓上人とされるが、温泉を発見した遊行僧を「湯聖(ゆひじり)」という。弾誓上人への信仰は明治・昭和になっても念仏講の形で続いている。
風外慧薫:弾誓上人とほぼ同時期の曹洞宗の禅僧。小田原にある曽我山の洞窟で修業し、その後漂泊。托鉢に使えと髑髏を差し出したエピソードで有名。風外は近世の民間宗教者に多く見出せる加持祈祷を行わず、座禅三昧に生き、また多くの墨蹟が残っている他、石造物も刻んだ。
円空:天台宗の僧侶であったといわれるが宗派にこだわらず、修験道に関わる山岳修行者であったようだ。岐阜県羽島に生まれたといい、遊行しながら造像活動を行った。北海道から近畿までの広い範囲に「円空仏」が残っている。
以空上人:17世紀中頃に活躍した真言宗の木食僧。四国の霊場を巡った。
澄禅上人:自ら剃髪した「私度僧」。その後浄土宗の僧侶となったが弾誓上人を慕って曽我の穴居(澄禅窟)で十か月修業した。「風外慧薫・弾誓上人・澄禅上人(中略)木食観正・唯念行者などの民間宗教者が輩出される過程において、小田原藩領が何らかのエポックとなっていたことは注目される(p.68)」。澄禅上人は近江・相模・京都を中心に活動し、京都で死んだが、曽我周辺ではいまだに上人の遺徳が慕われている。
【江戸中後期の木食僧】
木食観海:主に水戸藩で活躍した勧進僧。五百羅漢を安置するための寺を水戸に建立(再興)するために勧進活動を行った。彼は木食僧としての厳しい修行をするのではなく、寺院造塔の造営を第一とする勧進僧であり政治にも近かったようで、広大な羅漢寺(真言宗)が再興されたのちは既成宗教者として生きた。
木食仏海:伊予(愛媛県松山市)に生まれた仏海は、若くして家を出、弘法大師に憧れて四国で修行した後高野山に入り、廻国修行の生活へと移っていった。坂東三十三か所、富士登山を行い関東を遍歴、その頃に五穀を断ち、さらに東北、北陸、四国八十八か所、西国、九州を巡礼。こうした巡礼にあたって地蔵尊を三千体刻み、また経典を書写した。
木喰行道:行道が本格的に遊行の生活に入ったのは50代からで、それまでは真言宗と縁の深い経歴だったようだが、遊行は「八宗一見」(宗派にこだわらない)の立場で行った。また行道は、遊行を始める10年ほど前に木食観海から「木食戒」を受け生涯それを守ったという。「木食戒」とは五穀を断つ厳しい戒律であるが、聖は戒を持たないことが定義だったのに「木食戒」はまた別なのかがよくわからない。遊行を始めたとき行道はすでに60歳に近かったのに、40年近くかけて蝦夷から九州まで日本をくまなく回り、その中で活発な造像活動を行った。「木喰仏」といえば行道が刻んだ仏像を指すほどである。
本書ではこの他、海上の小舟で無言苦行を19年もした木食相観、1億200万遍の念仏を唱えた木食遊禅、六十六部、修験(特に明治になってからも巡礼している林実利と独信)、陰陽師、願人坊主といった遍歴する人々が取り上げられている。
この中で全く知らなかったのが「願人坊主」である。これは元来は勧進僧であったものが、江戸市中を踊り歩き、阿保陀羅(あほだら)経、謎々、軽口、歌、浄瑠璃などを演じて施しを強要するなどしてその日暮らしをしていた存在で、「乞食坊主」「すたすた坊主」「ちょぼくれ坊主」などと言われていた。彼らは乞食的な芸能者であったわけだが、本寺としては鞍馬寺の大蔵院と円光院があり、願人組織もあったようで、触頭(ふれがしら)を頂点として17世紀中頃までには形成されていたらしい。彼らはその組織から鑑札や袈裟を与えられて活動していたのだった。また願人の職分として木賃宿の経営があったのが特徴的だ。
本書を読みながらいろいろと疑問がわいた。まず「木食戒」という戒は何なのか。普通の戒律とは違う原理で扱われていたように思う。そして、遊行を可能にした社会制度はなんだったのか。江戸時代までの人々は、百姓はもちろん武士でも土地に縛られて生きていた。土地の呪縛から離れる唯一の方策が下級宗教者となることだったといっても過言ではない。では下級宗教者は、どういった特権を手にすることで遊行が可能となったのか。願人坊主のところで触れられている「鑑札や袈裟」が与えられていたのだろうか。
本書は全体を通じて、研究ノート的であり、それぞれの人物紹介も粗密があってまとまっていない。著者が関心がある点を書き留めたという感じである。残念ながら本書を読んで「江戸の漂泊聖とは何だったのか」という全体像がよくわからなかった。ただし巻末の参考資料は大変参考になった。
仏教史ではあまり取り上げられない漂泊聖についての研究ノート。
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