茶の湯のような「高尚な」芸事の歴史というと、とかく精神性・芸術性・神秘性が強調され、行き着くところは単なる権威主義であったり、創始者への絶対的な崇敬だったりするわけだが、この本には、全くそういうところがない。
当時の社会情勢を踏まえながら、特に点前・作法については丁寧に変遷を辿り、フラットに茶の湯の実態を説明する。そこから導かれるのは、従前言われてきた茶道史への批判である。結局のところ、それが立脚してきたのは、茶書への安易な盲信、茶の湯はかくあるべしという思い込み、偉人伝のエピソード、茶の湯のもつ精神性への期待であった。それは、著者の言葉を借りれば「文化史的幻想」であった。
そういうわけで、従前の茶道史とは一線を画す本だということだが、私自身びっくりしたことを2点ほどメモしておきたい。
- 茶の湯と禅との強い繋がりが喧伝されるが、本来茶の湯と禅はほとんど関係がなく、むしろ茶の湯は法華宗的なものである。
- 千利休は武野紹鴎の弟子、といわれてきたが、それは間違いで実際の師は辻玄哉と北向道陳らしい。ちなみに両氏とも法華宗徒だ。
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