2012年8月23日木曜日

『道教百話』 窪 徳忠 著

日本は中国から様々なものを学んだが、取り入れなかったものが2つだけある。宦官と道教だ——ということがよく言われるが、そんなことはない。

確かに為政者が不老長寿の仙薬を飲むことはなかったけれども、閻魔さま、お中元、おフダなど、道教から取り入れたものはたくさんあるし、民間信仰の柱の一つとして、道教は確固たる位置を占めている。

しかし、民間信仰なだけに、体系的でも教義的でもなく、信仰というよりは迷信・俗信と切り捨てられるようなものが多く、改めて道教とは何か? と聞かれてもよくわからない状態だ。

本書は、道教を身近に感じられる軽い話をまとめたもので、一応「道教とはなにか」「道教の変遷」というお勉強のセクションもあるが、基本的には雑多な話の寄せ集めであり、体系的な道教の紹介ではない。

正直、雑多な話の部分はどちらかといえば退屈で、単なる伝説の紹介が蜿蜒と続く。私は、てっきり著者の道教に関する考察が百話あるのかと思っていたので、この部分は当てが外れたが、その伝説に1〜2行加えられた著者のコメントは秀逸で、簡潔ながらもナルホドと思わせる。

全体を通じて強く感じたのは、日本人の他界観は「この世とは別の原理で動くところ」というイメージがあるのに対し、道教においては仙界も人間界と連続しており、その基本構造は現世とあまり変わらないということだ。何しろ、仙界にも役人がいたり、役人になる試験があったりするというのは、日本人の他界観ではありえないことだろう。そういう意味では、道教は非常に現世的な宗教だと感じた。

それから、改めて研究してみたいが、道教と修験道との類似について数カ所記述があり、興味を引かれた。道教と修験道に系統関係があるのか、平行進化的な存在なのかよくわからないが、少なくとも修験道は道教からなんらかの影響を受けているのは確実らしく、これは修験道研究に当たっては重要な要素ではないかと思う。

前述のとおり、少し物足りない本だったが、道教に関するちゃんとした紹介はなかなかないので、とっかかりとしては価値があるだろう。

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