タイトルそのまま、農産物直売所をどう運営していくか、という本。
ただし内容は、農家数人が集まって自前で農産物直売所をオープンさせるということが中心で、例えば規約作り、店番の体制づくりといったことが述べられる。一方で、既にある直売所をどう盛り上げていくかといったような、いわば繁盛させるノウハウといったことはあまり書かれていない。それはいわば応用問題であるし、その店が置かれている状況次第で対応は千差万別にならざるを得ないから基本的テキストとしては十分な内容ではあると思う。
といっても、本書で述べることは、一度でも組織の中で働いたことがある人にとっては常識のようなことが多く、これまで組織で働くということを経験したことがない零細農家に、組織の運営を噛んで含めて教え諭すような調子のところがある。正直、その程度はさすがに農家でも分かってるんじゃないですか、と思う部分もあった。そういう所を簡素にして、運営の具体的なやり方に踏み込んだ方が(例示されている直売所の具体的運営方法を述べるなど) より役立つ本になったのではないかと思う。
個人的な興味は、既にある直売所をどう活用していくか、という視点で本書を読んだが、それに対するヒントはそんなに多くなかった。というより、ちゃんとしたリーダーを置き、組織の規律をしっかりとして、品物を切らさないようにし、出荷する農家がそれぞれ当事者意識をもって販売に当たり、情報発信やイベントを行うといったような経営の基本を着実にこなすということ以上に、重要なこともないのだと思う。
農産物直売所の運営について、良くも悪くも当たり前にやるべきことが書いてある本。
2014年11月28日金曜日
2014年10月20日月曜日
『イスラームの生活と技術』佐藤 次高 著
中世イスラーム世界における、紙の伝播と利用、砂糖の生産と消費について述べた本。
まず内容以前に、「生活と技術」というかなり広い視野を持った書名ながら、実際には紙と砂糖についての本であり看板に偽りがある。
内容については、短くまとめる世界史リブレットなだけあって、かなり簡潔である。本書の中心は砂糖の生産と消費であるが、それに関してはよく纏まっていると思った。一方、オマケ的な位置づけである紙の伝播と利用については、あくまで素材としての紙にのみ注目して書かれているのは少し残念で、やはり紙である以上書かれている内容の方が重要なわけだから、消化不良な感じがした。例えばイスラームの絢爛たる写本文化についてはもう少し考察が加えられてもよいと思う。
それから、砂糖については著者はさらに研究を進め、本書を著して後『砂糖のイスラーム生活史』という、より充実した本を執筆している。中世のイスラーム世界における砂糖生産はただ嗜好品の栽培・生産というだけでなく、世界史的・文化史的に非常に重要であるため、こうしたテーマでより深い本を出してくれることはありがたい。
タイトルと内容が乖離しているが、イスラーム世界における砂糖について手軽に学べる本。
まず内容以前に、「生活と技術」というかなり広い視野を持った書名ながら、実際には紙と砂糖についての本であり看板に偽りがある。
内容については、短くまとめる世界史リブレットなだけあって、かなり簡潔である。本書の中心は砂糖の生産と消費であるが、それに関してはよく纏まっていると思った。一方、オマケ的な位置づけである紙の伝播と利用については、あくまで素材としての紙にのみ注目して書かれているのは少し残念で、やはり紙である以上書かれている内容の方が重要なわけだから、消化不良な感じがした。例えばイスラームの絢爛たる写本文化についてはもう少し考察が加えられてもよいと思う。
それから、砂糖については著者はさらに研究を進め、本書を著して後『砂糖のイスラーム生活史』という、より充実した本を執筆している。中世のイスラーム世界における砂糖生産はただ嗜好品の栽培・生産というだけでなく、世界史的・文化史的に非常に重要であるため、こうしたテーマでより深い本を出してくれることはありがたい。
タイトルと内容が乖離しているが、イスラーム世界における砂糖について手軽に学べる本。
2014年10月14日火曜日
『中世シチリア王国』高山 博著
シチリア王国の歴史本。
シチリアというと、現在のヨーロッパではある意味で辺境の地であるため、高校の世界史などではほとんど登場しない。しかし地中海世界という視点に立ってみると、シチリアはそのほぼ中央に位置し、中世においては交易の拠点でもあり、また文明の結節点でもあった。
すなわち、ビザンツ=ギリシア正教文化、ローマ=カトリック文化、アラブ=イスラーム文化という3つの文化=宗教が混淆し合う場所がシチリアであった。本書は、まさにその3つの文化が交錯した中世シチリア王国の成立、発展を記述する。中世シチリア王国はおおよそ12世紀に栄えた国であり、本書の対象とする時代はかなり短い。歴史書というよりは、中世シチリア王国が存在した歴史的一瞬に注目してみようという本である。
筆の流れは悪くない。かなり煩瑣で複雑な歴史を適度に簡略化して、要点がわかりやすい。一般的な世界史では閑却されがちなシチリア王国が、実は世界史的にも重要でまた興味深い役割を果たしたということが強く述べられていることは、本書の大きな価値である。ただその副作用として、少し概略的な説明すぎる部分もあり、もう少し詳しく知りたいと思う箇所も散見される。新書という体裁である以上、致し方ないが。
もう一つ不満を述べれば、3つの文化を同列に扱っているというより、視点がローマ=カトリックからの記述が多いということである。 シチリア王国という国は、当時の国際社会の枠組みからするとローマ教皇から認められて存在している国なので、これも致し方ないのかもしれない。だが一方で、シチリア王国はギリシア人、フランク人、アラブ人の連合政権であったともみなせるわけだから、やはりこの3つの文化は同列に記述しなければおかしい。本書は、あくまで「(支配者だった)フランク人からみたシチリア王国の歴史」という面が強い。
特に私が興味を持っているのはアラブ人、というかイスラーム勢力で、イスラームの文化がどのくらいシチリア王国に影響を及ぼしているかというのが本書を手に取った主要な動機であった。だが、本書にはイスラーム文化はシチリア王国に大きな影響を及ぼしているという概説は述べるが、さほど具体的なところには踏み込まないし、そもそもアラブ人たちから見たシチリア王国という視点もないので、少し隔靴掻痒な感じがする。
シチリア王国というマイナーな国の貴重な歴史書であるが、フランク人寄りの視点が少し残念な本。
シチリアというと、現在のヨーロッパではある意味で辺境の地であるため、高校の世界史などではほとんど登場しない。しかし地中海世界という視点に立ってみると、シチリアはそのほぼ中央に位置し、中世においては交易の拠点でもあり、また文明の結節点でもあった。
すなわち、ビザンツ=ギリシア正教文化、ローマ=カトリック文化、アラブ=イスラーム文化という3つの文化=宗教が混淆し合う場所がシチリアであった。本書は、まさにその3つの文化が交錯した中世シチリア王国の成立、発展を記述する。中世シチリア王国はおおよそ12世紀に栄えた国であり、本書の対象とする時代はかなり短い。歴史書というよりは、中世シチリア王国が存在した歴史的一瞬に注目してみようという本である。
筆の流れは悪くない。かなり煩瑣で複雑な歴史を適度に簡略化して、要点がわかりやすい。一般的な世界史では閑却されがちなシチリア王国が、実は世界史的にも重要でまた興味深い役割を果たしたということが強く述べられていることは、本書の大きな価値である。ただその副作用として、少し概略的な説明すぎる部分もあり、もう少し詳しく知りたいと思う箇所も散見される。新書という体裁である以上、致し方ないが。
もう一つ不満を述べれば、3つの文化を同列に扱っているというより、視点がローマ=カトリックからの記述が多いということである。 シチリア王国という国は、当時の国際社会の枠組みからするとローマ教皇から認められて存在している国なので、これも致し方ないのかもしれない。だが一方で、シチリア王国はギリシア人、フランク人、アラブ人の連合政権であったともみなせるわけだから、やはりこの3つの文化は同列に記述しなければおかしい。本書は、あくまで「(支配者だった)フランク人からみたシチリア王国の歴史」という面が強い。
特に私が興味を持っているのはアラブ人、というかイスラーム勢力で、イスラームの文化がどのくらいシチリア王国に影響を及ぼしているかというのが本書を手に取った主要な動機であった。だが、本書にはイスラーム文化はシチリア王国に大きな影響を及ぼしているという概説は述べるが、さほど具体的なところには踏み込まないし、そもそもアラブ人たちから見たシチリア王国という視点もないので、少し隔靴掻痒な感じがする。
シチリア王国というマイナーな国の貴重な歴史書であるが、フランク人寄りの視点が少し残念な本。
2014年10月12日日曜日
『ピアノ―誕生とその歴史』ヘレン・ライス ホリス著、黒瀬 基郎訳
ピアノの歴史を図像によって辿る本。
本書は、ピアノの発達史というよりも、それを様々な図像によって確認してみようという本である。ピアノそのものが残っている場合はそれを見ればよいとして、ほとんどの古いピアノ(やその前身にあたる楽器)は失われているうえ、特にその姿形も記録されていない。そこで著者は、ピアノが描かれた絵画などをたくさん探し出してきて、隅っこに描かれたそれを興味深く眺めるわけである。
ピアノの歴史というと、まずは構造の変化を見てゆくということが普通だろうが、歴史を物語る主体が絵画であるために、記述はいきおいピアノを取り巻く社会ということになってゆく。絵画の中でピアノは主役ではなく、ある意味では調度品の一つに過ぎないからだ。
音楽を取り巻く社会の変化があり、それが楽器の変化を催し、楽器の変化によって演奏も変わり、そして楽器を演奏する人も変わってゆく。ピアノ発達史としてはシンプルな記述が多いが、どういう社会変化に基づいてピアノが変わっていったのかという物語の方は面白い。
私自身の興味は、ニコラ・ヴィチェンティーノという人が発明したアーキチェンバロという楽器がどのようなもので、ピアノの歴史の中にどのように位置づけられるのかという興味を抱いて本書を取ったのだが、これについては説明する部分がなかった(ただし関連する事項はある)。
イメージによってピアノの歴史が理解できる労作。
本書は、ピアノの発達史というよりも、それを様々な図像によって確認してみようという本である。ピアノそのものが残っている場合はそれを見ればよいとして、ほとんどの古いピアノ(やその前身にあたる楽器)は失われているうえ、特にその姿形も記録されていない。そこで著者は、ピアノが描かれた絵画などをたくさん探し出してきて、隅っこに描かれたそれを興味深く眺めるわけである。
ピアノの歴史というと、まずは構造の変化を見てゆくということが普通だろうが、歴史を物語る主体が絵画であるために、記述はいきおいピアノを取り巻く社会ということになってゆく。絵画の中でピアノは主役ではなく、ある意味では調度品の一つに過ぎないからだ。
音楽を取り巻く社会の変化があり、それが楽器の変化を催し、楽器の変化によって演奏も変わり、そして楽器を演奏する人も変わってゆく。ピアノ発達史としてはシンプルな記述が多いが、どういう社会変化に基づいてピアノが変わっていったのかという物語の方は面白い。
私自身の興味は、ニコラ・ヴィチェンティーノという人が発明したアーキチェンバロという楽器がどのようなもので、ピアノの歴史の中にどのように位置づけられるのかという興味を抱いて本書を取ったのだが、これについては説明する部分がなかった(ただし関連する事項はある)。
イメージによってピアノの歴史が理解できる労作。
2014年9月29日月曜日
『マゼラン 最初の世界一周航海』長南 実 訳
世界で初めて世界一周を行ったマゼラン隊の記録。
本書には、マゼラン隊の一員で無事生還したピガフェッタの『最初の世界周航』と、マゼラン隊の生還者3名からの聞き取り記録をまとめたトランシルヴァーノの『モルッカ諸島遠征調書』を所収する。
ピガフェッタの方は実際の体験に基づいていることもあり物語風で、未知の世界との遭遇が興味深い。またピガフェッタはかなり民俗学的な関心があった人なのか、各民族の言葉(語彙)などを書き記すとともに、生活習慣や文化などを記録している。
また興味深かったのは、相当長かったはずの太平洋横断がかなりあっさりと、何事もなかったかのように記述されていることである。当時、アメリカ大陸はアジアの一部とされており、目的地であるモルッカ諸島(東南アジア)とさほど遠くないものと思われていた。だから実際には遠路だったにも関わらず、それを強調しなかったのだろうか? 事実、マゼランの航海後も、かなり長い間世界地図には(広大な海という意味で)太平洋が描かれなかったそうであるから、隊員たちにもその距離感がよくわかっていなかったのかもしれない。
トランシルヴァーノの方は、いわば報告書であるので記述はあっさりしているが、一種の解説の面持ちもあるため私には面白かった。特に目を引いたのは、地球の遙か彼方にも「怪物がいなかった」という報告である。当時は、ヨーロッパ人たちに知られない遠方の地は、まさしく化外の地であり、魑魅魍魎が跋扈していると思われていたし、一つ目の人間とか一本足の人間とか、こびとといったものが住んでいると信じられていたのである。
しかし実際にマゼラン隊の人間が出会ったのは、ヨーロッパ人とさほど変わらない、普通の人間だったのである。この事実は、当時の世界観を大きく揺さぶったに違いない。そしてより重要なのは、そうした変わった人間や怪物の存在をまことしやかに書いていた巨匠たちの書物の信頼性を揺るがせたことである。トランシルヴァーノによると
ところで、マゼラン隊は基本的には香料を仕入れに航海を行ったのだが、各地で「生姜」の有無を非常に気にしており、生姜は重要な香辛料だったのだなあと感じた。
航海の記録というよりも、世界観の転換期に生きた人びとの実感を伝える書として貴重な本。
本書には、マゼラン隊の一員で無事生還したピガフェッタの『最初の世界周航』と、マゼラン隊の生還者3名からの聞き取り記録をまとめたトランシルヴァーノの『モルッカ諸島遠征調書』を所収する。
ピガフェッタの方は実際の体験に基づいていることもあり物語風で、未知の世界との遭遇が興味深い。またピガフェッタはかなり民俗学的な関心があった人なのか、各民族の言葉(語彙)などを書き記すとともに、生活習慣や文化などを記録している。
また興味深かったのは、相当長かったはずの太平洋横断がかなりあっさりと、何事もなかったかのように記述されていることである。当時、アメリカ大陸はアジアの一部とされており、目的地であるモルッカ諸島(東南アジア)とさほど遠くないものと思われていた。だから実際には遠路だったにも関わらず、それを強調しなかったのだろうか? 事実、マゼランの航海後も、かなり長い間世界地図には(広大な海という意味で)太平洋が描かれなかったそうであるから、隊員たちにもその距離感がよくわかっていなかったのかもしれない。
トランシルヴァーノの方は、いわば報告書であるので記述はあっさりしているが、一種の解説の面持ちもあるため私には面白かった。特に目を引いたのは、地球の遙か彼方にも「怪物がいなかった」という報告である。当時は、ヨーロッパ人たちに知られない遠方の地は、まさしく化外の地であり、魑魅魍魎が跋扈していると思われていたし、一つ目の人間とか一本足の人間とか、こびとといったものが住んでいると信じられていたのである。
しかし実際にマゼラン隊の人間が出会ったのは、ヨーロッパ人とさほど変わらない、普通の人間だったのである。この事実は、当時の世界観を大きく揺さぶったに違いない。そしてより重要なのは、そうした変わった人間や怪物の存在をまことしやかに書いていた巨匠たちの書物の信頼性を揺るがせたことである。トランシルヴァーノによると
それどころかむしろ、昔の文筆家たちが書き残している事柄のほうが作り話であり、事実に反しているということをわれわれは今理解し、そして現代の人たちの経験によって(昔の人たちの)それらの記録を否定することができることを、確信しているのであります。という認識に達した。大航海時代に少し先立つルネサンス期においては、「昔の文筆家」たちの作品が再発見され、古代の知によって文芸が勃興したのであるが、この時代にはその古代の知の限界が認識され、批判され、現実世界の観察に基づいて新たな世界観を構築していこうとする姿が現れてくる。それが後の科学の発達や啓蒙主義に繋がっていくのだと思われた。
ところで、マゼラン隊は基本的には香料を仕入れに航海を行ったのだが、各地で「生姜」の有無を非常に気にしており、生姜は重要な香辛料だったのだなあと感じた。
航海の記録というよりも、世界観の転換期に生きた人びとの実感を伝える書として貴重な本。
2014年9月26日金曜日
『アレクサンドロスの時代(第1巻)―文明の道 NHKスペシャル 』NHK「文明の道」プロジェクト著、 森谷 公俊著
少し前のNHKスペシャル「文明の道」の第1回「アレクサンドロスの時代」の単行本。
こういうNHKスペシャルの単行本は、番組の内容を深掘りするというより、一種の取材記に近いものがあるので、アレクサンドロス大王やその文明史的影響についての記述はさほど多くはない。ただ、番組を見るよりも若干情報量は多く、また背景情報なども分かるのは確かである。
アレクサンドロスの事績については、私は『アレクサンドロス大王東征記』も合わせて読んでいたのでさほど新味のある情報はなかったが、『東征記』には図表もなく重要な会戦(例えば「イッソスの会戦」とか)の具体的な様子もわからない。本書には図表がたくさんあるので、『東征記』の参考図書としてよいのではないかと思う。もちろん、『東征記』自体の要約にもなっているので、本書のみでも楽しめる。
本書の(というか多分番組の)主張は、「アレクサンドロスはギリシア文明の帝国を作ろうとしたのではなく、東西の文明を融合させようとした(少なくともそのきっかけをつくった)」というところにあり、それはさほど間違っているとも思わないが、2001年の同時多発テロの直後の製作ということもあり少しイデオロギー的すぎる記述も散見される。『東征記』を読む限りアレクサンドロスには戦いの明確な目的もなく(というのは本書でも指摘されているが)、東西の文明を融合といっても戦乱の一生を送ったわけで、どうも文明の仲介者として賞揚しすぎているきらいもある。
とはいえ、一般向けのアレクサンドロスの本は意外と少ないので、このように図版も豊富で関連事項まで含めて俯瞰できる体裁でまとめられた本は貴重である。ものすごく参考になるというわけではないが、手軽に参照できるアレクサンドロスの本。
こういうNHKスペシャルの単行本は、番組の内容を深掘りするというより、一種の取材記に近いものがあるので、アレクサンドロス大王やその文明史的影響についての記述はさほど多くはない。ただ、番組を見るよりも若干情報量は多く、また背景情報なども分かるのは確かである。
アレクサンドロスの事績については、私は『アレクサンドロス大王東征記』も合わせて読んでいたのでさほど新味のある情報はなかったが、『東征記』には図表もなく重要な会戦(例えば「イッソスの会戦」とか)の具体的な様子もわからない。本書には図表がたくさんあるので、『東征記』の参考図書としてよいのではないかと思う。もちろん、『東征記』自体の要約にもなっているので、本書のみでも楽しめる。
本書の(というか多分番組の)主張は、「アレクサンドロスはギリシア文明の帝国を作ろうとしたのではなく、東西の文明を融合させようとした(少なくともそのきっかけをつくった)」というところにあり、それはさほど間違っているとも思わないが、2001年の同時多発テロの直後の製作ということもあり少しイデオロギー的すぎる記述も散見される。『東征記』を読む限りアレクサンドロスには戦いの明確な目的もなく(というのは本書でも指摘されているが)、東西の文明を融合といっても戦乱の一生を送ったわけで、どうも文明の仲介者として賞揚しすぎているきらいもある。
とはいえ、一般向けのアレクサンドロスの本は意外と少ないので、このように図版も豊富で関連事項まで含めて俯瞰できる体裁でまとめられた本は貴重である。ものすごく参考になるというわけではないが、手軽に参照できるアレクサンドロスの本。
2014年6月27日金曜日
『ペクチン―その科学と食品のテクスチャー』真部 孝明 著
ペクチンは、食品のテクスチャー(固さ、食感など)を決める重要な物質だが、構造が複雑で植物ごとに千差万別な組成を持つこともあり、十分に解明が進んでいるとはいえない。であるから、食品製造業の現場においても、科学的というよりは職人の感的に扱われているきらいがある。
そこで、これまで分かっていることをまとめて、食品製造業やその基礎研究に携わる人への参考書にしてほしいというような意図を持って本書は執筆されている。
であるから、本書では膨大な先行研究(論文)が参照されて、これまで何がわかっていて、何がわかっていないのか、ということが示されるのであるが、その調子はやや羅列の感が強くとりとめのない箇所がある。軸足は基礎研究にあるので、ペクチンを食品製造の実際でどのように扱うべきかというテーマでまとめられていないのはしょうがないとしても、もう少し系統立った、すっきりした記述ができたのではないかと思う。
一方で、情報量は多いのでペクチンについての参考書としての価値は高く、ペクチンについて知りたいと思ったら必ず座右に置くべき本であると思う(というか類書もほどんどない)。数少ないペクチンの教科書・参考書。
※本書の内容については、別ブログ(南薩日乗)にも触れている。→「ペクチン」のお勉強
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