本書には、マゼラン隊の一員で無事生還したピガフェッタの『最初の世界周航』と、マゼラン隊の生還者3名からの聞き取り記録をまとめたトランシルヴァーノの『モルッカ諸島遠征調書』を所収する。
ピガフェッタの方は実際の体験に基づいていることもあり物語風で、未知の世界との遭遇が興味深い。またピガフェッタはかなり民俗学的な関心があった人なのか、各民族の言葉(語彙)などを書き記すとともに、生活習慣や文化などを記録している。
また興味深かったのは、相当長かったはずの太平洋横断がかなりあっさりと、何事もなかったかのように記述されていることである。当時、アメリカ大陸はアジアの一部とされており、目的地であるモルッカ諸島(東南アジア)とさほど遠くないものと思われていた。だから実際には遠路だったにも関わらず、それを強調しなかったのだろうか? 事実、マゼランの航海後も、かなり長い間世界地図には(広大な海という意味で)太平洋が描かれなかったそうであるから、隊員たちにもその距離感がよくわかっていなかったのかもしれない。
トランシルヴァーノの方は、いわば報告書であるので記述はあっさりしているが、一種の解説の面持ちもあるため私には面白かった。特に目を引いたのは、地球の遙か彼方にも「怪物がいなかった」という報告である。当時は、ヨーロッパ人たちに知られない遠方の地は、まさしく化外の地であり、魑魅魍魎が跋扈していると思われていたし、一つ目の人間とか一本足の人間とか、こびとといったものが住んでいると信じられていたのである。
しかし実際にマゼラン隊の人間が出会ったのは、ヨーロッパ人とさほど変わらない、普通の人間だったのである。この事実は、当時の世界観を大きく揺さぶったに違いない。そしてより重要なのは、そうした変わった人間や怪物の存在をまことしやかに書いていた巨匠たちの書物の信頼性を揺るがせたことである。トランシルヴァーノによると
それどころかむしろ、昔の文筆家たちが書き残している事柄のほうが作り話であり、事実に反しているということをわれわれは今理解し、そして現代の人たちの経験によって(昔の人たちの)それらの記録を否定することができることを、確信しているのであります。という認識に達した。大航海時代に少し先立つルネサンス期においては、「昔の文筆家」たちの作品が再発見され、古代の知によって文芸が勃興したのであるが、この時代にはその古代の知の限界が認識され、批判され、現実世界の観察に基づいて新たな世界観を構築していこうとする姿が現れてくる。それが後の科学の発達や啓蒙主義に繋がっていくのだと思われた。
ところで、マゼラン隊は基本的には香料を仕入れに航海を行ったのだが、各地で「生姜」の有無を非常に気にしており、生姜は重要な香辛料だったのだなあと感じた。
航海の記録というよりも、世界観の転換期に生きた人びとの実感を伝える書として貴重な本。
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