2024年7月10日水曜日

『もう一つの中世像――比丘尼・御伽草子・来世』バーバラ・ルーシュ 著

女性や絵解きなど、看過されがちだったものに光を当てる論文集。

著者のバーバラ・ルーシュは、コロンビア大学の大学院生だった時、京都大学に在籍して中世の小説の研究をしていた。そして京都で偶然、浮世絵を扱う古物商らしきイギリス人と食堂で出会い、奈良絵本について語り合う。そしてそのイギリス人は「アイルランドのダブリンにある小さな図書館に、そういう作品がたくさんあったはずだ」と言った。この不確かな情報は、著者の心にひっかかる。そもそも、奈良絵本について知っている外国人がいるだけでびっくりなのだ。そして著者はアイルランドに行き、ほうぼうで訪ね歩いて、それがチェスタービーティ図書館であることを突き止め、たくさんの中世の絵巻物が無造作に所蔵されていることを発見するのである。

この劇的なエピソードは、中世の絵入り絵本について著者が本格的に研究するきっかけとなり、著者は後に第1回奈良絵本国際研究会議を発足させることになるのである。

こうした奇縁もあって、著者は、日本で顧みられていなかったものを、女性で外国人、という二重のマイノリティの目で発見していった。それをまとめたのが本書である。

本書で提起されるそれらのものの第1は、尼僧である。中世、実に多くの女性が剃髪した。しかし尼僧や尼寺の歴史はいまだ本格的に研究されていない。「中世社会で尼僧であるとはどういうことであったのか。尼寺というのはそもそもどういう制度であったのか。実はこれらについては誰にも正確なことはわかっていない(p.12)」。

本書ではケーススタディ的に無外如大が取り上げられる。彼女は無学祖元のもとで禅を学び、その後継者となり、京都に景愛寺を建てた(応仁の乱で焼失されたと伝えられる)。旧仏教では、「女性は罪深く悟りに達することはできない」とされていたが、鎌倉新仏教の諸派では「仏の慈悲は男女の別なく及ぶ」と説き、道元は徹底して男女平等の立場に立った。こういう趨勢の中で無外が現れた。彼女の生涯は、恵信尼、阿仏尼(『十六夜日記』や『うたたねの記』の作者)、『とはずがたり』を書いた二条殿とも重なっている。

阿仏尼や二条殿は、出家する前は貴族だったが、「二人が尼になったことの意味、尼僧としての生活といった面はまだ誰も十分な検討を加え(p.20)」ていない。しかし中世では、女性が出家すれば、母とか妻といった枠組みから離れ、自由で独立した、いわば社会規範から逸脱した生き方をすることが受け入れられていたのだとは言える。これは「一つの解放の道」「革命的な自由の道(p.24)」であった。

第2に取り上げられるのは、中世文学である。これは著者の専門であるだけに多面的に語られる。中世文学は、それが広く語られるものであったということが平安時代のサロン文学と著しい対照をなす。絵解法師や熊野比丘尼は絵解きし、琵琶法師や瞽女(ごぜ)は謡った。写本の流通よりも、それを「上演」する者の移動によって広まったのが中世文学である。そしでその上演に携わったものが、宗教的遊行芸人であったことは注意される。著者は中世文学(絵巻と絵冊子(奈良絵本))こそ「日本最初の国民文学」だという。

そしてそれらの物語は、特に神仏の加護がテーマになっていた。「一寸法師は住吉明神の申し子であり、物ぐさ太郎は善光寺の申し子(p.147)」なのだ。成功の秘訣は、神仏の加護にあり、しかもそれは求めて得られるというよりも、運命的なものなのだ。「中世文学の中心的な原動力は運命であり、野心ではなかった(p.148)」。そして、それらを読むことは、どうやら神聖な力を呼び起こすと考えられていたようだ。『物ぐさ太郎』では、その結語部で少なくとも日に一度音読するように勧めているが、これはそうすることで「所有者を護り、ご利益をもたらすお守りだった(p.167)」からに違いない。『物ぐさ太郎』だけでなく、熊野比丘尼たちが配布した小冊子にも魔術的宗教的性質があったし、「神仏の前で病いが治ることを願って能楽や連歌を奉納した例(p.170)」は多い。芸能は一種の呪術なのだ。

なお、これを上演する者が各地に移動することができたのは、古代よりもずっと移動が容易になっていたからだ。また中世人は新しい経済観念を持ち、起業家的な行動をするものが現れた。観音や大黒、恵比須、毘沙門天といった現世利益的な神が人気となったのも経済観念と関係があろう。

「こうして中世は、日本全土にはじめて共通の神々が生まれた時代だった。(中略)一つには巡礼、二つには労働を通じて、(中略)あらゆる土地の人々を、いわば全国的な信者のネットワークへと結びつけることになったのである(p.43)」。大げさにいえば、この共通の神が、一つの国としての日本をつくった。

第3には、女性芸能者が取り上げられる。あずさ巫女、傀儡子(くぐつ)、そして傀儡子から派生したとみられる白拍子など。「平安時代末期以後の歌謡や舞の分野では、少なくともその重要なジャンルはすべて、今様にしろ小歌にしろ(中略)あるいはややのちの、人形浄瑠璃、歌舞伎、そして三味線語りなど、みななんらかの形で女性の歌い手、踊り手の影響を帯びている形跡があるという事実(p.57)」がある。

第4に、平家物語を創作した明石覚一について。平家物語は誰でも知っているが、なぜかその作者覚一はあまり知られていない。覚一は書写山で仏道修行し、盲目になってからはそこで琵琶法師として修練を積んだ。そして平氏と源氏の戦いの歴史を、勧善懲悪的ではなく、仏教的な無常観で編集し、女性への救済を織り交ぜ、新しい神話といえる作品を作り上げた。著者はこれをバッハの作品に比している。これは初めての国民的叙事詩であった。「これほど広範な規模で厖大な人々に語りかけ、訴えかけた作品(p.77)」はかつてなかった。

このほか、顧みられていないものではないが、中世の来世観が取り上げられる。これは短いながら的確な指摘が多い。通説とは違い、日本人は輪廻転生を額面通りには受容せず、来世観は「みごとに非論理的で(p.252)」折衷的であったと著者はいう。そして「今日の学者に従えば当時の人々がひろく受け入れていたはずのパラダイムを、むしろ軽蔑しているように思われる場合すら少なくはない(p.216)」。『源氏物語』でも六道が言及されるのは1カ所であり、「宿業の結果」と述べられてもそれが惨めな境遇に生まれ変わることを意味してはいない。死んだ人の霊魂はいつまでも現世にとどまり続けるというのが普通の感じ方だったのだ。

そして、極楽という存在は、美徳に対する報奨としてではなく、「ごく普通の人間が、特別に徳が深くなくとも、親にも似た仏や菩薩の慈悲によって、恩恵として往生できる所(p.230)」とされることが多い。仏教の来世観の中で、人々を救済したのは極楽の観念であったと著者は考える。黄泉の国や常世の国よりも、死者が極楽で憩うと考えることは悲しみをやわらげただろう。

一方、地獄については、「地獄破り」という新しいテーマが注目される。地獄に赴いた武者が、地獄の連中を打ち負かすという話だ。『義経地獄破』や『朝比奈物語』がそれにあたる。そこに示されるのは、僧や宗派の力など借りなくても閻魔大王や鬼を打ち負かすことができるということで、つまり地獄が超越的でない存在だと認識されているのである。

中世は地獄や六道が絵画にたくさん描かれ、しばしば暗黒時代とされてきた。しかし多彩な明るい絵巻も同じくらいたくさんある。「庶民の姿は、なるほど見すぼらしい身なりではあるにしても活気があり、いかにも健康な雰囲気がある(p.250)」。

本書は全体として、中世の思想を通説とは別の面から述べるものとなっている。だがその主張は穏当で、非常に説得的である。私自身の興味としては、尼僧や尼寺について興味があり本書を手に取ったが、その重要性を主張しつつも「研究がまだ進んでいない」として具体論はほとんどなかった。本書の刊行は1991年。それから30年以上が経過しているが、現在でも尼についてはあまり研究が進展していない。ただし尼門跡の研究は次第に進んだ(著者も研究に取り組んだ)。

なお本書は翻訳ではなく、著者自身が日本語で執筆した。第1回南方熊楠賞・第7回青山なお賞受賞。本書を含め、尼門跡寺院の研究などが認められ、著者は第18回山片蟠桃賞を受賞している。

尼や奈良絵本の重要性について指摘した慧眼の書。

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