2024年6月16日日曜日

『中世の神と仏(日本史リブレット32)』末木 文美士 著

中世の神仏の在り方を概説した本。

「長いあいだ、中世は仏教の時代だと考えられてきた(p.1)」 。そして神仏習合は、不純なものと見なされてきたのだという。しかし中世の神仏習合に、日本の宗教の原像を解明する鍵が潜んでいると著者は考える。本書は、「主として中世神道論の形成・展開という観点から、この問題に概括的な見通しをあたえることをめざして(p.2)」書かれたものである。

始めに、神仏習合論が簡単に振り返られる。本書は、2003年の出版であるが、神仏習合に関する基礎的な研究が出揃った段階で書かれており、非常にスマートなまとめである。著者は神仏は相互の補完関係にあったとして「神仏補完」の用語を与える。それは一種の緊張関係でもあり、神仏習合は神仏隔離と表裏一体だったとする。

次に「神道」の用語の初出を検証し、ドイツの研究者ネリー=ナウマンによる、神道は「中国的な帝政の観念を克服したうえで、きわめて政治的に形成された神帝政を意味する(p.10)」との学説を紹介している。平たく言うと、天皇の支配を正当化するために整備された神々や儀礼の大系が神道なのだ。それがいつ確立したかは、黒田俊雄による近世・近代説を斥け、中世の吉田兼倶あたりに措定している。

著者は「神道」の成立を2段階に分け、第1段階を7世紀後半から平安時代=神話と祭祀体系が形成された時代、第2段階を鎌倉・室町期=教義的な大系が形成され「神道」が自覚された時代、とする。そして著者は、この第2段階の形成が神仏習合をとおして行われたと考え、神仏習合理論を取り上げるのである。

第1に、山王をめぐる神道説が取り上げられる。「神仏習合をもっとも理論的に追求した(p.26)」のが山王神道および両部神道である。そして両部神道は未だ解明が遅れているとし、ここでは山王神道の思想が検討される。山王の神=比叡の神は最澄以前から祀られていたようだが、これが中世に神仏習合の枠組みに取り入れられる。

信頼できる文献として溯れるのが13世紀前半の『耀天記』。その原型に含まれず、のちに加えられた部分に「山王事」という記事があり、そこに教理的な面から本地垂迹説が記載されている。そこに『悲華経』が引かれ、また老子・孔子・顔回の元が菩薩だったという説が紹介されているのが興味深い。

中世の天台神道理論を担ったのは「記家」という比叡山の僧のグループ。彼らは記録の専門家であった。『山家要略記』と『渓嵐拾葉集』は記家の知の集大成ともいうべきものだ。記家で扱う記録には顕・密・戒・記の4種があり、百科全書的な性格があった。記録こそが究極の言説であると『渓嵐集』に明記されている。「記録成仏」という言葉もあるそうだ。

『渓嵐集』は14世紀の初め頃成立。『渓嵐集』の記録部では、叡山の歴史や地理が詳述される。仏教の理論とは別に、この種の記録を重視したのは、「普遍的な理論よりも個別的な事実を重視する発想法がある(p.39)」のだという。そして記録の重視は、偽書の横行さえも生み出した(最澄『三宝住持集』、円仁『三宝輔行記』等)。

『渓嵐集』では、山王の根源性が主張されており、「天台教学の根本概念が全て山王と結びつけられている(p.47)」。山王神道は本覚思想と密接に関係しているらしい。

『要略記』は断片的な記録を編集したもので、その中心は「厳神霊応章」。ここでは『耀天記』と違い、山王の七社を等しく重視しつつ、三という数字をキーナンバーにして山王の神々を位置づけている。身近なものに深い意味を与えるのは中世の典型的な思考である。

また、山王神を「月氏の霊山の地主明神」であるとか、金毘羅神であるとか、天台の鎮守明神であるといったように重層的な性格を与え、さらに小比叡(二宮)は国常立尊と一体化される。その法号は華台菩薩。こうして日吉の神を天地創造神話と結びつけた。さらに八王子が天照大神の8人の王子と同一視された。このように神々を結びつけて同一視することで、神々のネットワークを緊密化していった。

第2に、伊勢をめぐる神道説が取り上げられる。伊勢は仏教を排除したと思われているが、鎌倉初期の重源、後期の叡尊などは伊勢信仰を広めている。仏教と伊勢信仰、神道理論の形成には密接な関係がある。伊勢をめぐる神道理論には、両部神道と伊勢神道があるが、これも密接に関連して形成された。

伊勢神道は鎌倉時代後期に大きく発展し、特に「神道五部書」と言われる偽書(奈良時代にさかのぼるという触れ込みだが、実際には鎌倉時代にできた)の成立が画期となった。なお五部書が一括されるのは江戸時代になってからである。これらは外宮の立場を向上させる目的があり、「皇字論争」(「豊受皇太神宮」と名乗った問題)はその象徴だ。

両部神道は、密教の両部曼荼羅の発想に基づいて伊勢の内宮と外宮を説明しようとするもので、本地垂迹説が天台の教学に基づいているのに対して、両部神道は密教を基礎としている。ただ、山王神道=天台宗、両部神道=真言宗とはっきりと分けられるものではなく、伊勢神道とも密接に関連している。「従来両部神道といわれてきたものは非常に曖昧であり、山王神道のように性格がはっきりしていない(p.51)」。

そして、両部神道の文献はどういう人たちがつくったのか、実はよくわかっていない。近年は神宮の御厨にあった仙宮院が一つの拠点になっていたのではという学説がある。また修験者のグループが関与していたとも考えられており、仙宮院も天台宗寺門派の修験と深い関係があったようだ。修験者の関わりとの傍証は『大和葛城宝山記』に見られる。

これは、葛城山の縁起という形ではあるが伊勢との結びつきが強く、興味深いことに仏典にあるヒンドゥー教の世界創造神話が取り入れられている(『雑譬喩経』)。「仏教の理論では外的世界の形成に関する説が弱い(p.66)」ことがその背景にあると思われる。

中世神話では、個別の縁起のみならず、宇宙開闢など世界の根源に対する興味が強い。例えば第六天魔王もその一つであり、外宮の豊受大神を天御中主神と同一視したのも、単なる外宮地位向上ではなく、「そこから始まる神統譜の形成へ関心をうながし、(中略)根源神へと向かう志向(p.72)」がある。そして神に関する思弁は仏教の理論を借りながら展開した。

もう一つ注目されるのは、「心は乃ち神明の主たり」などという、心を重視する思想があることだ(『宝基本記』)。「心の問題は中世の本覚思想の中核に位置するものである(p.74)」。

第3に、神道理論の体系化について述べている。「中世の神道説は、鎌倉後期から南北朝期にかけて一気に体系化され(p.76)」た。この時代に山王神道では先述の『山家要略記』と『渓嵐拾葉集』、両部神道では『麗気記』がまとめられた。『麗気記』には関連する著作が付随しており、その中の 『天地麗気記府録』では、世界開闢から天地の成立へと体系的に述べられている。つまり神道が世界理論に成長していったのである。

なお、偽書ではあるが聖徳太子撰とされた『先代旧事本紀』(実際は平安時代成立)も仏教的な神典として重んぜられ、ここで述べられた天神七代・地神五代の説が定着した。

伊勢神道でも、度会家行により『類聚神祇本源』がまとめられた。これは15編におよぶ総合的な著述で、仏教書・中国古典・日本の史書等を抜粋・総合したもの。家行自身の説は最後の「神道玄義編」に述べられている。そこでは「機前を以て法と為し、行う所は清浄を以て先と為す」という注目すべき記載がある。天地開闢以前の根源を「機前(きぜん)」と名付けて重視したことは新しい考えである。そして、「その機前をいかす実践として清浄が重ん(p.82)」ぜられたのである。

一方、南北朝期には天皇の問題がクローズアップされ、北畠親房は家行の業績を受け、さらに国家論・政治論を含めたスケールの大きな理論を構築した。神道書としての主著である『元元集』では、家行の伊勢神道に天皇の系譜を繋いでいるところが重要だ。そしてそれが、神話と歴史が継続している神国、という日本の優越論に至ったのである。

親房ほど知られていないのが慈遍である。慈遍は、伊勢神道をもとにして、神道理論の枠組みの中で仏教を乗り越えるものとして神道を位置づけ、また天皇論に結びつけた。慈遍は卜部(吉田)家の出で、吉田兼好の弟。比叡山で天台教学を修め、後醍醐天皇に従って南朝につくしたとされる。著作としては、『旧事本紀玄義』(一部のみ現存)、『豊葦原神風和記』、『天地神祇審鎮要記』などがある。これらでも、神の方が世界の根源であるとし、『旧事本紀玄義』では根葉果実説(元は神国=日本、唐は枝葉、インドは果実だとする説)が見られ、また仏の方を神の垂迹とみる反本地垂迹説まで展開した。

こうした神道論を集大成したのが吉田兼倶である。彼は京都の吉田山に大元宮斎場所を建立、自らの神道を『唯一神道名法要集』にまとめて理論の確立をはかった。ここでは神道が本縁起神道・両部習合神道・元本宗源神道の3つに分類されて、より純粋なものとして自らの元本宗源神道を称揚した。さらに神々の系譜で天児屋命から卜部家に伝わっていくことを重視している一方、天皇論は影を潜めている。「親房・慈遍のあとでも、天皇論は必ずしも神道に必然的に結びついたものではなかった(p.93)」。

「こうして中世神道は兼俱によって、その自由な展開に終止符が打たれ、さまざまな問題は近世神道に引き継がれていくことに(p.94)」なった。

本書は全体として、大変緊密である。先述のように、本書には神仏習合に関する学説が大変コンパクトにまとめられており、さらに研究が俟たれる点が的確に示されている。その上で、神道説の展開を見通しよく述べ、これ以上ないほどの概説書だと言える。本書の後には、伊藤聡がより詳細な中世神道の研究をまとめるが、本書においても伊藤聡らの『神道(日本史小百科)』(従来の神道像を一変させた画期的な事典)を参照しているため、その研究は本書に大きく修正を迫るものではない。

なお、本書は「神と仏」をタイトルとしているが、専ら神道の側からの視点で著述されており、仏教の側については記載が手薄である。

神仏習合から神道理論が育っていたことを簡潔に示す、これ以上ないほどの概説書。 

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