2024年5月29日水曜日

『日中を結んだ仏教僧——波濤を超えて決死の渡海』頼富 本宏 著

日中交流を行った仏教僧についてまとめる本。

古来、日本は大陸から様々なことを学んできた。特に遣唐使の時代には、積極的に大陸の文明を摂取することに努めた。そこで重要な役割を果たしたのが仏教僧である。大陸の文明を導入するインセンティブとして、最新の仏教(書、曼荼羅、仏像等)を持ち帰りたい、経典に対する疑問を解決したいといった熱意があったからである。

そして、遣唐使節が国書を渡すことを任務としていた一方で、留学生(るがくしょう)として大陸に渡った僧侶たちには、長い期間にわたって仏教の研鑽を積み、より本格的に大陸の文明を摂取したものたちがいた。

本書は、主に日本から大陸に渡った仏教僧を中心に、航海術が不完全だった時代に敢えて海を越えた僧侶たちを述べるものである。

奈良期で注目されるのは、まずは法相宗の祖となった道昭と求聞持法を伝えたと見られる道慈。なお道慈は大宝2年(702)の遣唐使で渡唐したが、この遣唐使は朝鮮を経由せず、五島列島を経由して直線的に唐へ渡海したことに画期的な意味がある。

次に、仏教主導型の護国思想を鼓吹した玄昉。かれの国家主義には、唐朝で密教の加持力を強調した不空の影響がある。なお、玄昉と一緒に入唐した吉備真備は一行禅師の『大衍暦』を持ち帰っている。玄昉と真備は藤原広嗣から敵視され、「藤原広嗣の乱」での標的になった。

この他、鑑真、菩提僊那、仏哲、道璿は中国から日本に渡ってきた僧侶である。渡唐や帰国の時期が定かでないのが戒明永忠。戒明は中国へ聖徳太子撰とされる『法華義疏』と『勝鬘義疏』を伝えた。永忠は在唐30年に及び、帰国後は空海を後援した。

ここまでは概論的だが、最澄と空海を述べるあたりから徐々に筆が細かくなる。

空海が恵果から密教を授けられたのはその歴史的文脈が効いていた。空海が渡唐した頃、中国の新密教(瑜伽教)では、一行禅師は夭折、その弟子の不空三蔵も遷化しており、不空晩年の弟子である恵果が重要な位置にいた。しかし中国密教は活動が下降しており、「報命(寿命)つきなんと欲すれども、付法に人なし」という状況であった。そこへ現れたのが空海で、恵果はすぐに空海の優れた資質を見抜き、三度の灌頂(学修灌頂→入壇灌頂→伝法灌頂)をたった3ヶ月の間に続けざまに授け、空海に自らの密教を全て伝え、その半年後に恵果は死去した(!)。

つまり空海が恵果の密教を継承することができたのは、中国密教の苦境が追い風になっていた。霊仙(りょうぜん)も長く在唐し、第11代憲宗の宮中の内供奉で活躍していたと考えられる。これには憲宗が熱心な仏教信者であったことがあるとはいえ、唐で内供奉を授けられた日本僧は他に例がない。彼は唐でなんらかの理由により毒殺されているが、無事に帰朝していたなら、空海や最澄と比肩しうる人物として歴史に残っただろう。

また円載は生活費つきで天台山留学が認められ、長く在唐し、皇帝から紫衣を賜ったといわれる。円載は万巻の書とともに帰朝の船(私船)に乗ったが不運にも暴風雨で沈没して波濤に消えたのである。なお、円載については、犬猿の仲だった円仁の記録によっているのが憾みである。

円珍は、空海と比較的近い親戚で、政治的な状況をうまく摑み、私的ではあったが多数の公文書を携えて渡唐し、多数の新たな密教の典籍や曼荼羅を持って帰朝した。 

一方、常暁は、渡唐したものの長安に行く許可が下りず、地方で情報収集せざるをえなかった。恵運は、遣唐使ではなく私的に入唐した。円仁も長安・天台山行きの許可が下りず、やむなく帰国しようとしたところ、わざと船に乗り遅れたことにして唐に残り、五台山に参詣、長安にも行って密教の法を受け継いだ。ちょうど円仁・円載・恵運の頃に、唐では「会昌の廃仏」(845年)が起こった。仏教への弾圧である。円仁が持ち帰った唐代密教は、会昌の廃仏以前の充実した内容を伝えている。

最後の入唐学問僧といえるのが、宗叡と高丘親王こと真如法親王。真如は平城天皇の第三皇子で、空海から灌頂を受け、自らの密教修学のために入唐を思い立つ。彼は博多に向かったが当てにしていた李延孝の船は出航した後だった。しかし彼は意志力と財力が並外れており、なんと博多で船を一隻新造して渡唐したのである。彼はどうしてでも解決したい密教の疑問があったらしい。しかし会昌の廃仏後で法脈が再構築しきれていなかった唐ではその答えは得られず、インドへ渡航しようとして旅行中に死亡したという。

五胡十六国時代を経て宋代になると、中国仏教は禅一色となる。栄西、円爾、道元らが入宋した(正確には南宋に行った)ことは広く知られている。南宋からは亡命した僧侶も多い。蘭渓道隆、一山一寧(彼は亡命ではなく元の使者)、無学祖元などだ。宋代以降の仏教文化は日本文化の形成に大きく影響している。

本書は全体として、日本の歴史の中に仏教僧を位置づけるのではなく、日中交流を担った仏教僧を述べるものであるから、普通の歴史では全く登場しない人物が出てくるのが面白い。特に霊仙と円載については、日本の歴史には何の影響も与えていないが、唐で重用され高い学識を持っていた僧侶がいたことを初めて知った。また、澁澤龍彦の小説『高岳親王航海記』で名前は知っていたが、特異な求道者である真如も興味深かった。

そして、遣唐使船以外の日唐交流を担った唐の商人李延孝は、本書にたびたび登場して興味を引いた。彼がいなかったら渡唐あるいは帰朝できなかった日本僧は何人もいる。歴史を変えた人物の一人だといえよう。

なお、私自身の興味としては、入唐した僧侶の一覧があるのではないかと思い、本書をひもといた。年表や遣唐使船の記録はあるものの、入唐した僧侶については網羅的には掲載されておらず少し残念だった。ちなみに、尼については全く往来の記録がないようだ。

中国へ渡った日本僧と、日本に来た外国の僧をまとめた実直な本。

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