2023年11月24日金曜日

『穢と大祓』山本 幸司 著

穢(けがれ/え)の歴史的事実を明らかにする本。

古代から中世にかけて、穢は大きな問題になった。「様々な規則や禁忌が存在し(p.10)」人々の行動を煩わしいまでに支配していた。

穢とされた人は、神事に参加出来なかったし、参内もできなかった。また神事の場所が穢となった場合は神事自体がしばしば延期され、または変更された。しかも穢は本人・場所だけでなく、そこに触れた人にも「伝染」した。

『延喜式』によれば、そのような規制を受ける日数は、人の死:30日、お産:7日、六蓄の死:5日、六蓄の産:3日、肉食:3日、となっている。また『延喜式』には規定がなく、後に定められたと思われるが、死体の一部が欠損したものの場合は「五体不具穢」となり7日間であった(『西宮記』『日本紀略』などによる)。さらには失火穢といって、火事も穢の要因であった。理不尽なのが、消防活動に従事した人までも穢になってしまうことである(ただし失火穢は伝染しないらしい)。

一方、後代のイメージとは逆に、流血はそのものは穢ではなく、また殺人者も持続的に穢とは見なされていない(死体に触れたら穢であるが、殺人という行為は穢ではない)。

また、妊娠中の女性は穢であるとする説と穢ではないとする説の両方が当時あり、議論があった。さらに、六蓄以外の野生動物の死体は穢ではない、とされるものの、いや猪は六蓄だ、など当時の人も甲論乙駁の議論をしている。

穢というものは実に難しく、当時の人も自然に理解していたのではないのである。

先述の通り穢は伝染するのであるが、これも一筋縄ではないルールがある。まず穢は発生源から2回伝染する。甲の場所が穢になっていたとすると、そこに入った乙は穢となり、乙がいる場所に来た丙はまた穢となってしまう。しかし丙のいる場所に丁が来ても、伝染は2回までなので丁は穢とならない。この原則自体は簡単だが、いろいろなケースで「これは穢となるかどうか」が議論されることは珍しくなく、貴族たちはそのたびごとに明法博士・明法家に頼った。はっきりしない時は「勅断によるべき」とも考えられていた。

また、穢は開放空間では伝染せず、穢となるのは閉鎖空間(垣で囲まれるなど)であることも重要だ。よって道路に死体が落ちていてそこを通っても穢にはならないが、野犬が死体の一部を垣の内に咥えてきたら、家の敷地全体が穢になる。そして面白いことに、穢所(穢に汚染されたところ)に行っただけでは穢は伝染せず、着座しなければ穢を避けることができる。

さらに、穢はモノにも伝染するが、全てのモノが穢を伝えるのではない。穢を伝えるモノは、穢所で作られた食物や、函や櫃などの容器、軸に巻かれた文書、衣服や身につける品などに限られる。だから、死を伝える文書を収めた函は、文書そのものは(軸に巻かれていなければ)穢ではないが函は穢になる、などは意味がよくわからない。それから、水は流れていれば穢にならないが、たまった水は穢になる(池や井戸に死体があった場合など)。

不可解なのは、死穢の日数は葬儀の日から起算するとされたり(現実には死んだ日から起算することも一般的だった)、認識していない汚物は穢をもたらさず、認識した時から起算するとされたりしていることだ。当時の人にとってもこれらの規則はややこしく、穢であるかどうか大外記に問い合わせたりしている。

このように、穢は多分に観念的な存在である。著者はその本質を、社会的な秩序を乱すものと考える。よって天皇に反逆したり神に対する冒涜も穢である。また着座しなければ穢が伝染しないなど、社会的関係・接触の深さに穢は関係している。とはいえ服喪とは違い、穢の場合はあくまでも物質的に死体等に接触したかどうかが問題なのだ。

穢を避けるため、下女や下僕が死にそうになると、主人はしばしば彼らを追い出した。家で死なれると死穢で30日間も謹慎が必要になるからだ。それも一因で平安京の路頭には死体がたくさん放置されていたのだ。国家はたびたび検非違使にその清掃を命じている(が、そのために検非違使は穢になってしまうのにいいのだろうか)。

さて、では穢になってしまうと、謹慎以外に何か不利益があるのだろうか。内裏など公的施設の穢は、皇太子の体調不良、天候不順、物怪の出現などの原因になると考えられていた。穢を許したことに対する神の怒りが皇族に向けられ神罰が下る、という理屈らしい。ただし、これは因果関係が後付けされていたに違いなく、「実際には病気とか物怪、天変地異などの知覚されうる現象が起こったときに、その原因を求めたら、穢に触れるようなことがあった、というのが一般的な認識の順序である(p.112)」。何か異変があったときは陰陽師がこれを占い、どこそこに穢がある、などといってその原因を確定させた。

穢が厳重に避けられたのは神事の際の内裏と諸社であるが、これは先述の通り神事・祭礼・儀式に差し障りがあるからだ。「触穢による神事や儀式の中止・延期は、記録されているだけでも枚挙に遑がない(p.132)」。よって穢を避けるため、「不浄の人来るべからず」という札が立てられるなどした(『小右記』寛仁元年(1017)7月1日)。これはやがて神事札として確立していくことになる。

なお、次第に穢は心の在り方にまで敷衍して考えられ、人間の内面的態度を問う考え方の延長に「おそらく伊勢神道の教説にみられる「心清浄」のように、清浄・不浄を(中略)人間の内面的態度にも適用するという発想が生まれてくるのであろう(p.149)」。

ところでいつから穢が気にされたのかというと、史料的に明らかなのは9世紀からで、10世紀からは事例が膨大になる。高取正男は8世紀末から9世紀にかけてではと考えたが、著者は史料に残っていないだけで記紀の頃から穢を気にする意識はあったのではという。

本書の次のテーマは大祓(おおはらえ)で、これと穢との関連が検討される。従前、大祓は穢のために行われるものと漠然と考えられていた。ところが史料を注意深く見てみると、大祓と穢は直接の関連がないことが明らかになった。確かに臨時の大祓が行われるに先立って穢のことが問題になった事例は多い。ところが、これは神事が穢によって延期されたことが要因で大祓が行われたと考えられるのである。これまで、穢=罪という先入観があり、罪を祓うために大祓が必要とされたのだろう、と考えられてきたのであった。しかし大祓によっても穢は消滅(または期間が短縮)することはないことも、穢と大祓に直接の関係がないことを示している。大祓はあくまで犯した罪を謝罪するためのものであるというのが著者の考えである。

では罪とは何か。現代的な罪だけでなく、天災や病気などの災いも罪と見なされた。なぜそれらが罪であるかというと、何らかの瀆神的行為があり、それによって天災や病気が起こったのだ、と考えられたからではないかと著者はいう。その意味で「災い」と「罪」は同じものだった。

また、大祓が罪を謝罪するものであるといっても、特定の罪がない大祓(6月と12月に行われる定例の大祓)は何のために行われたのか。それは、特に悪いことをした意識がなくても(あるいは顕在化しなくても)人間は罪を犯すという考えがあったために行われたのではないかという。「儀礼それ自体の目的は、あくまでも国土の浄化による神との関係の確認・再確立、またそれによる国土の再生にあったのだと考える(p.226)」。

大祓はどこで行われたか。平安京以前は大祓が行われたのが「天下諸国」などとされて明確でない。平安京では、朱雀門、建礼門、八省院(東廊)その他であり、逆に全国的な大祓の挙行は消える。ともかく意外なのが、大祓は門とか廊といった、通常の儀式とは違う場所でやるということで、その他の場合も庭とか路といった事例が散見される。本書では場所の分類のみで終わっており、このような場所にどのような意味があったのかはあまり考察されていないが興味深い。

なお大祓については、本書を読みながら、仏教の悔過(けか)・懺悔(さんげ)の影響が大きいのではないかと感じた。

最後に、補論として「仏教と穢」の項目があり、ここでは往生するためには五体満足でなければならないという観念、穢を乗り越える仏教理論の動きなどが考察されているが詳細は割愛する。

なお、本書は穢や大祓、罪といったことを考える端緒にギリシアの場合が参照されるなど、全体として広い視野で考察している。が、私は本書を読みながら、著者の考えには疑問を持たざるを得なかった。その疑問は、著者が穢をあくまで宗教的な「ケガレ」として分析しているという一点に集約される。穢は「エ」という法律的概念と捉えた方がよいのではないか。

というのは、著者は穢について「様々な規則や禁忌が存在し(p.10)」たというが、規則は多くても「禁忌」があったのだろうか。穢を規定していたのは常に規則であり、宗教的な禁忌があったようには感じられない。人々は穢か穢でないかを議論し、明法家や大外記に頼ったが、それは穢が法律的な問題であったことを示唆している。もちろん、人々は陰陽師にも頼ってはいた。だがそれは怪異があった時の原因を占ってみると、それはどこそこの穢が原因であった、というように、見えない因果関係を探す時が多い。少数ながら、穢を陰陽師に払ってもらうということもあったが、にしても、穢であるかどうかを陰陽師には聞いていない。穢はあくまでも法律に規定されたものであり、いわゆる宗教は関係なかった、というのが本書により明らかであると思う。

ここで注目されるのが、『中右記』に記されたある事例(p.158)。そこでは神事(臨時祭)をやった後で穢があったことを申し出たことに対し、「もし隠すなら最後まで申し出るべきでない」と『中右記』の著者は記している。これなどは、もし穢が本当に宗教的概念であれば出てこない言葉ではなかろうか。また、汚物は認識した時から穢を起算するというのもそれを示唆する。宗教的なケガレであれば、人間が認識しようがしまいが、そこに存在するはずだ。

貴族たちは穢を避けるためにいろいろな便法を生みだしていくのであるが、穢に関する言説は一見迷信的に見えて、貴族たちはかなりドライなのである。おそらく「五体不具穢」も、死体が散乱していた平安京で死穢がそうしばしば適用されては仕事に差し障りがあるということから、「五体満足揃っていない死体は穢も軽いはずだ」という理屈で謹慎期間を軽減するために生みだされたものなのだろう。

本書は、穢について初めて実証的に明らかにした本であり、画期的な意義を有している。しかしながら、その概念の分析においては「穢は宗教的な禁忌にまつわる概念である」という先入観から自由になっていないことが素人ながら気になった。

穢の実態を初めて明らかにした労作。

【関連書籍の読書メモ】
『死者たちの中世』勝田 至 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/10/blog-post_9.html
中世、多くの死者が墓地に葬られるようになる背景を説き明かす本。本書がかなり参照されている。思想面は手薄だが、中世の葬送観について総合的に理解できる良書。

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