2021年4月16日金曜日

『星の古記録』斉藤 国治 著

歴史に記された天文現象。

著者は「古天文学」の第一人者(というより他にいるのか?)である。古天文学とは、古い歴史書や日記などに記された天文現象を現代の科学を用いて検証し、史料の記録の真否を判断したり、史料の誤りや錯簡・判読不能字などを読み解いたりする学問である。

例えば、『日本書紀』『続日本紀』には日食の記事がたくさん記載されているが、検証してみるとそれらの記録のうちの多くが実際にはその時には日食が起こっていなかったことが明らかになった。

その頃は日食(が起こる可能性のある日)の予測計算が行われており、それを機械的に当て嵌めたことで大量の日食予測がなされたようである。『日本書紀』等はその予測を記録に留めたものと考えられる。この頃、天文観測を担った陰陽寮は多めに予測を出した。というのは、日食は凶兆とされたので、日食の予測が出たら日食を避ける仏道祈祷が行われたのである。つまりその予測が外れたら(日食を追い払ったことになって)手柄となったために予測を乱発した可能性がある。

しかしながら、古代の中国や日本では概ね正確な天文観測が行われていた。特に古代中国の天文観測は正確無比だそうで、記録としても正史に「天文志」という天文観測専門の史書を作った。なぜなら、天体現象を「天意」の現れと見たので政治的に重要だったからだ。日本でも陰陽寮が設けられて毎日夜空を観測していた。

古代においては現在と違ってどのような天体現象が起こるかは事前に予測ができなかったので、毎晩じっと夜空を見上げて「天変」がないか確認していた。しかも天文官らは見たところを他言することを許されず、陰陽寮の上級官吏は天子との間に密奏という直通のパイプで結ばれていた。天変を明らかにすることは失政を暴露する行為だったからである。

本書には記載がないが、月を詠んだ和歌は大量にあるのに星を詠んだ和歌はごく僅かしかない、ということはよく指摘される。本書を読んで、その背景には天体現象が国家機密であったために、みだりに(!)星を観ることの自主規制があったのかもしれないと思った。

さて、日食や月食はやがて正確に予測できるようになって、天変とはいわなくなっていく。特に中国では、日・月食の予測が文字通り命がけ(予測が外れたら死刑とか)だったので科学的な観測が行われたからだ。そして天変とは、彗星の出現、月による星食犯(月が星を隠す)、惑星同士の合犯(重なり、近づき)などを示すようになった。

本書では、古天文学のケーススタディとして、日食、惑星の合犯、『明月記』に記録された超新星爆発、流星と隕石、ハレー彗星、カノープス(南極老人星)(北半球からはほとんど見えない星なので観測できたらめでたいこととされてお祝いをした)、ガリレオ衛星の観測などが取り上げられている。

最後に、明治時代に行われた金星過日(金星が太陽の中を通過する現象)の模様と、皆既日食(のコロナ)の観測が述べられている。この部分は「古天文学」ではなく、日本がどのように現代の科学を受容したのかということがテーマである。明治7年の金星過日については、数カ国の観測隊が日本を訪れて観測を行ったが、これは科学における「黒船」であったと同時に、日本初の国際科学交流の機会でもあった。

明治20年の皆既日食については、政府がこの観測を国民に勧奨し、官庁・学校については当日午後1時以降を臨時休業とした。時の政府は日蝕の観測を科学振興の契機としたのである。

本書に述べられる古天文学の事例は、どれも興味深いものばかりで楽しく読んだ。これまで古代の日本人は星空に無関心だったのかと思っていたが、そうではなかったのである。例えば星の観測記録については、日本は世界的に見て豊富であり、特に獅子座流星群については日本の記録が圧倒的に多い。にもかかわらず不思議なことに、日本では獅子座流星群の出現周期を発見することもなかった。少し注意すれば周期を割り出すことはたやすかったのに、そういう理論化をしなかったのである。日本では星の観測で「科学」が育つことはなかった、ということは哀しい真実のようである。

「古天文学」の楽しい入門書。

【関連書籍の読書メモ】
『密教占星術—宿曜道とインド占星術』矢野 道雄 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/11/blog-post.html
密教占星術「宿曜道」の理論を解明する本。宿曜道を理解する上での必読書。


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