本書は光文社のカッパ・サイエンスの一冊であったものの文庫化である。学術的な著作ではないので非常に読みやすいが、著者自身の研究に基づいたものであり、それまでにほとんど史学面での研究がなかった呪詛を日本史に位置づけるという意欲作である。
著者はまず丑の刻参りは現代でも行われていることを指摘し、科学的・合理的思考が広まっている現代でも「呪い」はなくなっていないという。
呪いは、「呪い心」「呪いのパフォーマンス」、「呪われる側の心情」で成り立つ(著者の用語を改変)。「呪い心」は明らかだろう。誰かを憎らしく思い、しかも実力行使では相手をどうにもできない時に人は呪いに頼る。そこに、例えば丑の刻参りのような「呪いのパフォーマンス」が行われることで呪いが成立する。ここで面白いのは、呪われる人が「呪い心」や「呪いのパフォーマンス」を知らなくても呪いは成立するということだ。というか丑の刻参りは誰にも見られてはならないとされている。つまり「呪われる側の心情」だけでも呪いは成り立つ。「最近調子が悪いが、もしかしたら誰かが呪っているのではないか」そう思っただけでも呪いは成り立つ。そして「祟り」など、死者からの呪いは、「呪い心」を持つ人間も「呪いのパフォーマンス」も不在なのに成立している。このように、呪いは一方通行なのだ。
著者が呪いについて研究するようになったきっかけは、高知県香美郡物部村(ものべむら)に伝わる「いざなぎ流」という民間信仰を知ったためである。著者はもともと、この村に人類学的調査をするために入った。そこには太夫(たゆう)という宗教者がおり、様々な祭祀・祭儀を行っていた。この不思議な民間信仰について著者は『憑霊信仰論』にまとめ、これが「いざなぎ流」研究の出発点になった。なお私は同書を20代の時に読んでいるが、今ではすっかり内容を忘れてしまった。
いざなぎ流では、医学ではなかなかよくならない病気や度重なる不幸の原因に「すそ」というものがあると考える。「すそ」は「呪詛」であり、「社会秩序や自然秩序のゆがみから生じた、人々に害をもたらす「ケガレ」(p.28)」であると著者は考える。では「すそ」は何で起こるか。面白いのが、「すそ」は「呪い心」によって本人の知らない間に生霊が発動することもあることだ。また物部村では「犬神統」といった動物霊を祀る家があり、その家の者は知らないうちに「呪い心」から動物霊が発令して「すそ」を生じることもあると考えられている。なお動物霊は血筋によって受け継がれるもので、その家筋は差別されていたという。太夫は、さまざまな事情で生じた、不調の原因である「すそ」を占いによって特定し、「みてぐら」と呼ばれる人形(ひとがた)に移して、村はずれなどに送り出して解決するのである。
これまでの説明でわかる通り、これらの呪いはいずれも「呪われる側の心情」のみで成り立っている。太夫はいざとなれば「呪いのパフォーマンス」も行うとされているが、現代ではこれはほとんど行われず、呪いを解除することが中心だ。いざなぎ流は呪いの解除を中心とする民間信仰なのである。
そして、いざなぎ流の中核には陰陽道的な知識がある。特徴的なのは、「すそ」を祓うためなどに行う祭儀の中心に法文という呪文があることだ。そのいくつかが紹介されているが、おどろおどろしい土俗的な言葉遣いが興味深い。さらにいざなぎ流の起源神話「祭文」というものも面白い。その起源神話では、いざなぎ流は「日本から天竺にやってきた天中姫によって日本に伝えられた(p.57)」ものだとされている。また「呪詛(すそ)の祭文」というものは呪いの物語であるが、「唐土(とうど)じょもん」なるものが登場する荒唐無稽・珍奇な話である。ともかく、いざなぎ流では、術者が修行するとかではなく、法文・祭文というテキストの方が中心になっている。
著者はさらに、日本史における呪いの事例をいくつか述べている。まずは長屋王の呪詛事件と称徳女帝への厭魅などだ。「こうした呪詛事件のほとんどがでっち上げだったらしい(p.82)」。これらの呪い担当したのは呪禁師(じゅごんし)という、中国由来の「呪いのスペシャリスト」だった。
平安期になると、死者の呪い(怨霊の祟り)が大きな問題になる。生きている人間が呪っているならそれを実力行使で止めればよいが、死者の呪いは対処のしようがない。 そこで呪いを除去する特別な方法が考案されていくのである。また9世紀頃には、怨霊は恨みの対象の人間だけでなく、社会全体に災厄を及ぼすと考えられるようになった。これが「御霊信仰」である。御霊信仰では、怨霊を神として祀り上げて災厄を停止させようとした。中世には、怨念すなわち「呪い心」をやわらげなごませ、神に祀り上げて昇華するというセオリーが確立したが、これは能の筋書きに濃厚である。
そこからいっきに時代が飛んで明治時代の話になる。明治天皇は崇徳上皇の怨霊を宥める宣命を読んでいるが、これは中世初期から続けられてきた怨霊宥めの一環であった。文明開化が強調されがちな明治維新にあって、怨霊対策も行われていたとは面白い。
ところで、「呪いのテクノロジー」は、①呪禁道(奈良時代)、②陰陽道、③密教とそのバリエーションである修験道、の3つに大別することができる。その手法として、①=蠱毒、厭魅、②=式神、③=さまざまな調伏法などがある。特に「密教各派とも天皇や貴族に取り入る方法として、難解な教義を説くよりも、病気治しや延命法、怨敵調伏など、さまざまな修法(ずほう)による呪的効果をアピールするという「戦略」をとったために、修法の開発競争に拍車がかかった(p.148)」のである。狐を操る「荼枳尼天(だきにてん)法」・「飯綱の法」も有名である。
そして江戸時代には、陰陽師や密教僧に頼らずに、自ら寺社に打ち込む「丑の刻参り」が定式化する。面白いのは、釘を神木に打ち込んだ後に「黒い大きな牛が寝そべっている。それを怖れることなく乗り越えて帰ると、みごと呪いが成就する(p.170)」と考えられていたことだ。そんなに都合よく黒牛が寝ているものだろうか。なかなか丑の刻参りも成就は難しそうである。なお、この丑の刻参りは、陰陽道の影響が大きいと思われる。
最後の1章は、呪いを払う方法の背景にある思想を分析している。それを単純化していえば、人々の「悪」が「ケガレ」と観念され、それが実体化したのが「呪い」であり、さらに具象化したのが「鬼」であるということだ。よって責任が重いものほど「ケガレ」=罪が積み重なる。特に天皇は社会のケガレを一身に受ける存在であるためにそのケガレを祓うには細心の注意を要した。そしてケガレを実体化した「鬼」を払うことが分かりやすいパフォーマンスであったために、鬼がどんどん具象化したのである。近世では被差別賤民が鬼役を演じさせられた。疫病が流行ったとき、「町によっては「賤民」をやとって風の神に見立て、橋の上から突き落としたりした。これも「ケガレ」を引き受ける鬼の役を人間に演じさせた一例(p.210)」である。
つまり、ケガレを払うことは、一種のガス抜きでありスケープゴートであった。為政者にとってはまことに都合のよい理屈で、自らの行いを改めることなく罪が剪除されることとなった。中世では神仏までもケガレを引き受けさせられ、追放させられた。なんとも身勝手な話である。しかし一方から見れば、それは為政者・権力者の責任をケガレとして顕在化させ、ガス抜きとはいえなんらかの対処を求めるものではあった。それは一般民衆における呪いでも同様である。丑の刻参りは、実力行使ではどうしようもない相手へ働きかける数少ない手段であった。では、科学・合理的思考が呪術・儀礼・祭祀を無用なものとして追いやってしまった現代で、例えば丑の刻参りが果たしていたものはどうなったのだろうか。
実力行使ではどうしようもない相手へ働きかける手段はあるのだろうか? 著者は、そういうものは現代ではなくなってしまい、呪いの代わりになるようなものを現代人は見つけられていないと述べる。それは決して「現代でも呪いを活かそう」というのではないが、呪いが果たしていたものは決して不必要なものではなかったということなのである。
本書は全体として、簡潔ながら日本文化・日本史における呪いの社会的機能について考察するものになっている。つまり史学というよりは文化人類学的な視点の著作である。呪いの概論として有用であるが、ちょっと足りないと思ったのが幽霊についてである。江戸時代には幽霊が大流行するのだが、本書は幽霊についてはほとんど触れていない。著者が幽霊について本格的に研究するようになったのは本書の後のようである。また、ケガレと呪いの接続については、やや図式的・観念的に感じた。
日本における呪いの概論。
【関連書籍の読書メモ】
『陰陽道の神々 決定版』斎藤 英喜 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2025/03/blog-post.html
陰陽道を呪術的な側面を中心に語る本。陰陽道の神々を題材にして、陰陽道への見方そのものに再考を迫る良書。
『神と仏—民俗宗教の諸相—(日本民俗文化体系4)』宮田 登 編
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神と仏をめぐる民俗文化の考察。「第6章 魔と妖怪」(小松和彦)では、柳田国男以来の妖怪の概念を再検討し、「魔」と「妖怪」について述べている。
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