三教一致を主張する本。
『三彜訓』は浄土宗の僧侶、大我の書である。大我は京都石清水の正法寺22世住持。宝暦8年(1758)の序・跋があり京都・大坂・江戸で刊行された。原漢文。
まず冒頭の署名に目を引かれた。「日本 釈大我絶外 述」とあるのだ。ここに「日本」と記した意味は大きい。「日本」と記すということは、つまり国外に目を向けているということを示す。黒船以前に世界に意識が向いていたことの傍証である。その「世界」が中国とインドに限られているとしてもだ。そしてその中で、あえて「日本」を自負しているのである。ここにはナショナリズムが見え隠れしている。
『三彜訓』の内容は、神仏儒の三教一致の思想を説くものである。
まずは儒教について。儒教の古典の該博な知識に基づき、中国の故実を援用した流麗な文章が続く。著者の学問は、明らかに儒学をベースとしている。その中に面白い表現がある。「我、方外に遊びて、織らず耕さず、飽煖乏しきことなし。残賊の甚だしき者にあらずや(=私は仏教界に入り、労働しないにもかかわらず贅沢をしている。ろくでもない人間ではないだろうか)」というのだ。こういう指摘がすでに社会からされていたのだろう。この自問に対して「以て国恩を報ぜんがために注するのみ(=だからこそ国の役に立つように書こう)」と自答しているのも注目される。「国恩」という言葉にも、仄かなナショナリズムがある。
そして大我は「道は仁義より大なることなし。仁義の道大なり。しかうして、その実、親に事へ兄に従ひ賢を喜び人を愛むより大なることなし」という。彼は儒教道徳を完全に承認する。ここには仏教的な出世間主義は全くない。出家して俗縁を切り、愛欲の妄執を離れることが理想だという考えは微塵もないのである。このように儒教を完全に肯定してから、大我は「噁、茂卿が狂なる(=まったく、荻生徂徠ときたら狂っている)」と激しい徂徠批判を展開する。いうまでもなく、荻生徂徠は古文辞学によって儒学の元来の姿を考究した大学者であり、また仏教の批判者でもあった。大我の徂徠批判の要諦は、「徂徠は論語読みの論語知らずだ」ということだ。「学問はすごいかもしれないが、その心は卑賎である」というようなことを縷々述べている。
そして、儒教と仏教が背馳するものではないことを『先代旧事本紀大成経』を引用して述べている。これは古代の書物であるとされていたが、実は潮音道海という僧侶が江戸時代に偽作したものであった。 『三彜訓』の時点ではまだ偽作が明らかでなかったのかもしれない(未調査)。そして、徂徠派の人たちは「ただ文辞の間にありて、以て儒術を学びたりとするのみなる者なり」という。このように徂徠批判は激しいが、それはあくまでも徂徠に対するものであり、儒教そのものへの批判は一切ない。それどころか大我は「先王の教、世に行われざるを見るに忍び難く、まさに力を尽くして以て儒教を主張せんと欲すること久し」という。本当に大我は僧侶なのか、と思ってしまう。
次に、話題は仏教に移る。儒教側からの批判の一つとして「釈家にもかくの如きの治国斉家の道ありや(=仏教でも儒教のような統治論・社会秩序論があるのか)」が取り上げられる。排仏論を主張する人はこういう批判をしていたのだろう。これに対し大我は、儒教では韓愈・欧陽脩・程兄弟・朱熹が排仏論を主張してきたが、彼らは仏教をよくわかっていなかったとする(ただし、朱熹は僧侶だったはずなので、大我の主張がどこまで歴史的事実に基づいているのかは要検討だ)。そして「華和の鄙儒、愈が瞽説を沿□(※衣遍に龍)す(=中国・日本のいやしい儒者が、韓愈のつまらない説を踏襲してきたせいだ)」という。
つまり、仏教に「治国斉家の道」がないというのは誤解で、それどころか仏教の側も「日として仁義忠孝を説かざることなし」と大我はいう。だから「なんぞ仏に天下を安んずるの道なしとは謂はんや」。私からすると、これはさすがに仏教を曲解しているのではと思う。仏教が国家や社会や家という世俗秩序を否定し、そこから離れることを勧めているのは事実だからだ。しかしそういうことは「販仏売法の巧言(=食うために仏法を売りものにする者の口先だけの言葉)」なのだという。結構過激な主張である。ともかく、仏教と儒教は、帰するところは一なのだ、というのが大我の主張だ。
であるが、仏教には儒教より優れた点があると大我はいう。それは儒教が人の生きるべき道を指し示すだけなのに対し、仏教では道から外れた者は地獄に落ちるとするから、より強制力があるというのである。仏法を信じるものは、悪事を行って地獄に落ちることを恐れ、心を恣(ほしいまま)にしないという。だから仏法が中国・日本に広まったのは当然だとしている。
こうして仏儒を国家的・通俗道徳的に評価してから「吾が神にも仏儒の如く天下を安んずるの道ありや」として次に神道の検討に移っている。ここで特徴的なのは、「天下を安んずるの道」という、国家的観点から評価しようとしているところである。大我の発想は、常に「国」を出発点とする。当時は個人の幸福とか、善悪といったような内面については大きな問題ではなかったという事情はあると思うが、それにしても大我はやや「国」よりの視点だと感じる。
さて、大我の神道への態度は、仏儒の場合とは大きく異なる。なんだか無条件に称揚する感じなのだ。大我は「吾れ神の遠孫を辱(かたじけな)うす(=私は神の遠い子孫なのを身に染みてありがたく思う)」と述べ、日本を「吾が神国」とし、「神皇先王を詆訶(ていか)する者は、靦然(てんぜん)として人面なりといへども、人にあらず(=神代からの歴代天皇をそしる人間はあつかましく、もはや人ではない)」とまで言い切っている。そして「もしただ異邦を褒して神国を貶すの心あらん者は、以て吾が神国に居すべからず(もし外国を褒めて、神国日本を貶すようなやつは、日本から出ていけ)」という、現在のSNSでいわれるような言辞を弄している。
そして日本を「百王不易の皇統、万代弗革の聖洲」と呼んで憚らない。これは明治後の日本の自意識とほとんど異ならないと思う。「万世一系、万古不易」の先駆けだ。これが宝暦年間に主張されていたとはびっくりである。本居宣長『古事記伝』もまだ刊行されていない頃だ。冒頭で感じた仄かなナショナリズムは、今やはっきりと主張される。そして当然だが大我には神話や古代日本の知識も豊富である。そして、『古事記』『日本書紀』『旧事本紀』などを研究した結果、「神の神宣、一言として治国斉家修身誠意の大訓にあらざるはなし」という。これはまた、神道の曲解に感じるのは私だけだろうか。神の言葉は、そんなに国家的・道徳的なものであったかと立ち止まってしまう。ちなみにこのあたりで、「荻生徂徠・太宰春台は神道をよく知らなかったのだ」と改めて批判されている。
このように、大我は神道>仏教>儒教の順に重きを置く。ただし一番位置づけが軽い儒教については該博な知識を持ち、理解も正統的なものであると思われるが、仏教はやや曲解されており、神道についても一面的な語り方になっている。そして大我の三教一致思想は、三教を融和させようという意識は薄く、儒教的な枠組みに仏教と神道をはめ込むものである。表面的には異なるように見える三教があるのは、仏神聖賢が人々を教化するために三国(印度・中国・日本)に現れたからだという。これは本地垂迹説と似ているが大我は垂迹と述べないのは注目される。ともかく「これを以て、三教、途を殊にすといへども、その帰、一なり」なのだ。にもかかわらず三教が対立しているのは平凡な人間は争いを好むからだという。
特に批判されるのはここでも儒者で、「鄙儒の妖言、毒を海内に流す。往往その毒を歠(の)みて、以て狂疾を発する者、都甸(とでん)に嗷(うれ)ふ(=いやしい儒者のあやしい言葉が害毒を世間に広めてきた。しばしばその害毒を啜って狂った者が都鄙でやかましく騒いでいる)」という。「海内に流す」のは徂徠派の一部の儒者だとしても、それを真に受けて騒いでいるのが「都甸」にいるというのは驚きである。ただし、これまでの言説でわかるとおり、大我は偏屈な変わり者であるという印象が強い。彼のいうことを額面通り受け取らない方がいいと思う。最後の署名は「孤立道人釈大我絶外」。「孤立道人」という雅号(?)には、周りに理解されなかった彼の孤独感が表明されているような気がする。
それでも、本書が三都で出版されたことは、彼の主張が相手にされないものではなかったことを物語る。問題は、誰が本書を読んだかである。本書は、これまでの引用でもわかるとおり結構難しい。和漢の故事が踏まえられ、難しい漢字が多い修辞的な文章は理解に骨が折れる。日本思想大系本ではたった25ページほどしかないが、私は読むのにかなり苦労してしまった。註がある読み下し文でもそれだから、原文ではもっと難しい。これを読めたのはおそらく儒者だけだろう。本書では儒者(特に徂徠派)が口を極めて批判されているが、本書を読めたのは儒者しかないとなれば、本書の主張する三教一致の意図するところは、「儒者は仏教や神道を批判するのを辞めろ」というものであるような気がする。だがそんな主張の本をわざわざ儒者たちが高いお金を払って読んだかどうか。本書がどう受容されたのかが気になった。
ナショナリズムが濃厚で僧侶が神道を持ち上げる三教一致論。
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