クラシック音楽では、ユダヤ人の作曲家・演奏家はとても多く、特に現代の演奏家ではユダヤ人は非常に大きな存在感がある。本書は、クラシック音楽におけるユダヤ人の存在についてエッセイ風にまとめたものである。
ユダヤ人は元来音楽的な民ではなかった。というのは、彼らにとって非常に重要だったのは当然ユダヤ教であったのだが、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)に楽器を持ち込むことが禁止されていたからだ。
よって、ユダヤ教の音楽は、全て器楽伴奏なしの歌であった。17世紀のシリアで生まれた「シラート・ハバカショート」はユダヤ教の伝統的な嘆詠歌唱であるが、これも中近東の旋律を使ったアカペラであり、ユダヤのエスニックなものとは言いがたい。
また、ヨーロッパに広がったユダヤ人たちは、それぞれの土地で教会以外の場所で音楽文化を育んでいた。特にスペインのユダヤ人たちが生んだ「セファラード音楽」(チターやウードを使う)や、東欧のユダヤ人たちが18〜19世紀に生んだ「クレズマー音楽」は(ヴァイオリン、チェロ、クラリネットなど)は、ユダヤ人たちの大衆音楽として重要である。しかし、これらはクラシック音楽には大きな影響を与えていない。
本書では次に、著名なオペラにおけるユダヤ人・ユダヤ性について述べるが、結論としては「オペラの世界のメインストリームにユダヤ人音楽家はいない(p.54)」。
一方、オペラを「楽劇」にまでスケール・アップしたワーグナーは、周知の如く、ユダヤ人を徹底的に貶めた。彼はK・フライゲンダンクという名で書いた『音楽におけるユダヤ性』という著作の中で、ユダヤ人音楽家のメンデルスゾーンとマイアベーアを激しく非難し、ドイツ国民のユダヤ人嫌いの一因に芸術・音楽を求めて、ユダヤ人の救済は滅亡であると宣言している。また『宗教と芸術』ではユダヤ人解放政策を非難して「アーリア人」の純粋さを保つべしとした。ワーグナーは、筋金入りの反ユダヤ主義者だったのである(なぜ彼が反ユダヤ主義者になったのかの説明は、本書にはない)。
そしてワーグナーは、その音楽に「呪い」をかけたのだと著者は言う。「呪い」の内容は本書では明確に説明していないが、(ワーグナーは楽劇の中ではユダヤ人を登場させてはいないが)ユダヤ性への嫌悪、ないしは反ユダヤ的なものとしてのアイコン性とでも言えるだろう。つまり、ヒトラーがドイツのナショナリズムの高揚のために、ワーグナーの音楽を使ったことで「呪い」がかかったのではなく、「呪い」はワーグナーの音楽に内在していた、というのが著者の考えだ。
私なりにその「呪い」を解釈すれば、それは「音楽的ナショナリズム」であると思う。ユダヤ人は国を失ったために否応なくコスモポリタンになっていった。であるから、ドイツ・ナショナリズムの権化であるワーグナーの楽劇と、ユダヤ人音楽家たちのコスモポリタン的な音楽は、どこか相容れないものがあったのではないだろうか。
本書ではさらに、フルトヴェングラーの秘書、カラヤンの妻がユダヤ人であったことを取り上げ、ナチス政権下で彼らがどのように振る舞ったか述べている。フルトヴェングラーは信念も一貫性もないとか、カラヤンには自分自身の音楽がなかったとか、けっこう辛辣である。また、その他、様々なユダヤ人演奏家についてエピソード的に語っている。
さらに、現代音楽の成立にもユダヤ人が大きく関わっていたとして、十二音技法をつくったシェーンベルク(両親ともユダヤ人だがキリスト教徒として育てられ、ユダヤ教に改宗した)、リゲティ、スティーヴ・ライヒについて簡単に述べて本書を終えている。また巻末にはユダヤ人音楽家のリスト(簡単な紹介つき)がある。
本書は、全体として何かを論証するとか、クラシック音楽の歴史をユダヤ人から見る…というような大上段のテーマがある本ではなくて、いわばつまみ食い的にユダヤ人音楽家のエピソードをちりばめたものである。それでも、「この音楽家もユダヤ人、この人もそう」という事例が列挙されるだけで、けっこう面白い。
ユダヤ人にからめてクラシック音楽を語る気軽な本。
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