2021年2月20日土曜日

『農村の生活—農地改革前後—』河合 悦三 著

農地改革によって農村がどのように変わったかを述べる。

戦後、GHQの指示によって日本は農地改革を行い、小作農に土地を分け与え、自作農化した。ではこの改革によってどのように農村の様相は変化したのか、それを述べるのが本書の目的である。

近代の日本では、小作料が非常に高く設定されていた。地域によってかなり異なるが、平均すれば収穫物の5割もの小作料が設定されていたのである。こうなると、豊かになった農民は自らの経営を広げていくよりも、土地を買って小作人に貸し出す方が得だ。だから近代の日本では企業的大経営の農業が発達せず、地主制が発達した。

また、本書には記載がないが、明治政府が地主を優遇する政策を行ったことで急速に地主制が広まったのである。ただし、著者が強調するのは、全体の傾向としてはそうでも、地方毎にその様相はかなり多様だったということだ。経営規模の大小、利益の大小、作柄の違い、そういう農村の多様性を認識することが重要だという。そのため本書では各種の統計によって農村の多様性を示している。

しかるにそれが農地改革によってどのように変わったか。また農地改革はどのように進行したか。

まず、農地改革以前(戦前)から、小作料の減額を求める戦い(=小作争議)は各地で広がっていた。この戦いははかばかしい成果を生まなかったが、戦争を遂行する必要から政府は地主の権利に制限を加えるようになる。また食料統制(配給制)によって政府は農産物の買い上げを行い、その価格を政府が自由に設定できるようになったこと、またインフレの進行などから、実は終戦前、既に金納小作料は1割程度に低下していたのである。

だがそれは意図的な政策ではなかった。戦後、GHQによって農地制度改革が指示されて、政府は地主制を解体しなくてはならなかったが、政府は出来る限り地主に有利な形に改革の内容を修正し、しかも法規的には農地の大規模所有(5町歩以上)は制限されたものの、実際には強制譲渡は行われず、改革は骨抜きにされてしまった(昭和20年、第一次農地改革)。

そこでGHQは「農民解放令」を出してさらなる制度改正を指示し、また英国とソ連は具体的な改革案を提出した。そこで政府は、英国案を参考として第二次農地改革を行った(昭和21年)。その内容は、要するに「国が地主から土地を強制買収し、これを小作農に売り渡す」というものだ。またこれを実行に移すため、市町村の農地委員会の構成が農民中心に見直された。

ところが、政府はこの改革をも骨抜きにしようとし、吉田茂首相は農地改革の打ち切りを声明した。それどころか、政府は小作料の値上げ、農地価格引き上げなど農地改革に逆行する政策を実行した。昭和25年の「ポツダム政令」では、固定資産税を増額するために小作料の最高額が従来の7倍にも引き上げられたのである。

この背景には地主たちの農地改革反対の運動もあった。政府自身がGHQに言われてイヤイヤながら農地改革をやっていたので、こうした地主の運動に呼応したのも当然である。そして地主たちは、小作人を作男としたり、小作料をヤミでとったり、小作人から土地を取り上げて自作地だと言い張ることで買収を逃れようとした。特に土地取り上げは深刻で、不法に取り上げられた土地は全国で100万件以上あるとみられる。

小作農たちはこれにどう対処したか。実は、既得権益を守ろうとする地主たちの運動に比べれば、小作農の動きは消極的であった。全体的には小作料が低減していたことなどから、彼らは従来の関係を荒立てることを好まず、積極的に自作農に転換しようとせずに、むしろ小作農でありつづけようとしたものも多い。ただし土地取り上げについては、死活問題であるだけに命がけで戦った。

また、農地改革には山林の解放は含まれていなかった。今でこそ山林は林業の場であるが、当時の山林は農業と密接な関係を持っていた。山林から肥料(刈草)や燃料を得ていたからだ。しかも山林は、少数の大山主(もちろん地主でもある)に寡占されていた。よって、山林を通じて地主は農民を支配することができたのである。これは、ただでさえ不十分だった農地改革において特に禍根を残した。 

このように、農地改革は農民的な動きを基盤とせず、GHQの指示で消極的に実施されたものではあったが、その結果としては、小作農の割合が44%から13%に減少し(昭和19年→25年)、自らは全く耕作しない「寄生地主」がほとんどいなくなるなど、一定の成果を収めたのである。

では肝心の農民の生活はよくなったか。そこが問題で、農地改革を経ても農民の生活はあまり楽にならなかったのである。

その理由は、第1にインフレが進行したことだ。農地改革が進行した2年間に、米の価格は3倍以上になった。これは、米を売る農民には一見有利な変化だったが、そうではなかった。なぜなら政府は、独占資本家が儲かるように鉄や石炭の価格を決め、それにつりあうように労働者の賃金を決め、その賃金で生活できるように農産物の価格を決めていた。だから、結局は相対的に安い価格で農産物は買い上げられていた。

第2に、税金がかなり上げられた。小作料が低減するのを埋め合わせるように、税金の方が上げられたのである。また自作農にはあまり税金がかかっていなかったのに、自作農にも重い税金が課されるようになった。しかも課税の仕方はデタラメで、貧農ほど重い負担が課されていたのである。

第3に、「供出」が負担となった。供出というのは、農民に生産量を予め割り当て、その割り当てを供出させる(政府が安い価格で買い上げる)ものである。この頃は食料統制を行っているので、自由販売は供出後に残ったものに限られる。ところが、その割り当ては過重なもので、しかも割り当て分を供出できなければ刑務所にぶち込まれるという、税金よりも酷いものだった。だから農民は割り当てが達成できない場合、ヤミで買ってそれを収めるということすらしなくてはならなかった。

第4に、農業恐慌が訪れた。日本はアメリカからたくさんの食料を輸入するようになり、農産物価格は(インフレの中でも)相対的に下がったのである。

このような理由から、農地改革後もむしろ農民の生活は悪化し、農業を続けられなくなるものが続出して耕作放棄地が激増した。 同じ時期、大会社が資本金の数倍以上の利益を上げ、5割もの配当をしているのに、農村は疲弊していった。

本書の中心となる農地改革前後の動きは以上の通りであるが、分量的にはこれで約半分。もう半分は、農地改革以外の点について農村の変化を記述している。

例えば、台所改善、娯楽、冠婚葬祭、部落(集落)の生活、などといったものだ。そこで面白かった指摘が、農村の人間は「容易に新しいものをうけいれようとしないがしかも簡単に新しいものにだまされ(p.152)」るというもの。厳しいながらも的を射た指摘である。また農地改革によって寄生地主はほとんどいなくなったが、依然として「ボス」が村を支配していて、ボスに連なる人々の不正が後を絶たないという。それは、ボスの不正を告発すれば村八分にあって村で暮らせなくなるからで、ボス連中は村の権力を掌握することによって旨い汁を吸い、それによって富を築いて大ボスに成長していくのだという。今にも通じるような話である。

さらに、著者は日農(日本農民組合全国連合会)中央常任委員の立場があるため、昭和20年から26年までの(つまり農地改革進行中の)全国の農民闘争、農民による政治運動などを列挙風にまとめている。この節はかなり政治色(政党色)が強く、学術的な性格が強い他の部分に比べると異色である。ここは読み物としても面白いものではないが、資料的な価値は高い。

本書は、昭和27年、農地改革後すぐに出版されたものであり、農地改革を時事問題として記録したものである。そのため、現代の読者には説明不足な点も多い。例えばいろんな部分で「読者もよく分かっていると思うので詳述しない」といった記述があるが、今となっては説明して欲しい事項ばかりだ。また、各所に統計データが出てくるが、その表が全て縦書きで漢数字なので非常に読みにくかった。

しかし同時代資料であるだけに、当時の人が何を問題だと思い、何に憤っていたのかをヴィヴィッドに知ることができる。著者によれば、農地改革は一定の成果があったけれども、それは小作地の所有権を小作人に買わせる「インチキ」だったという(p.229)。本書の結論を一言で言えばそれである。

同時代の目で見た農地改革の記録の書。


【関連書籍の読書メモ】
『明治のむら』大島 美津子 著
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2021/02/blog-post_14.html
明治時代の農村政策を描く。明治政府が、どのように村落を再構築していったのかを克明に語る出色の農村史。特に地主制が成立する過程は本書を参照。

 

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