2019年5月30日木曜日

鹿児島と廃仏毀釈を巡って

私の生きる鹿児島という土地は、突き進むときは歯止めがかからないというか、実行力がありすぎる部分があって、思慮分別をかなぐり捨てて行動のみに生きるような、そんな風土がある。

その象徴が、幕末から明治にかけて行われた廃仏毀釈である。

神社から仏教的要素を排除しようとする明治政府の政策、すなわち「神仏分離」は全国的な現象であった。しかしそれにしても、実行された程度には地域でかなりの差がある。

廃仏毀釈は、行きすぎた神仏分離の暴動的現象であり、そもそも実行された地域自体がさほど多くはないが、鹿児島のように徹底的に行ったのは、私の知る限り苗木藩(岐阜県中津川市苗木)のみである。だが苗木藩は非常に小さな藩であって、領内の寺を全廃したのは確かだがその数はおよそ25カ寺以下である。

一方薩摩藩では、領域内の全寺院1066カ寺を全廃し、仏像や仏具を破壊し、全僧侶を還俗(俗人に戻すこと)せしめた。藩内から一切の仏教的要素を取り除き、盂蘭盆のような民衆的習俗までも否定し去ったのである。これほどに狂信的な宗教破壊が、民衆の草の根の抵抗を除いて、ほとんど何の障碍もなく実行されたというだけで、鹿児島という土地の特異性がわかろうというものだ。

そういう鹿児島の廃仏毀釈についてわかりやすくまとめた本が『鹿児島藩の廃仏毀釈』(名越 護)である。
↓読書メモ
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/10/blog-post_18.html

本書は、市町村郷土史を紐解き、また著者自身もフィールドワークを行って堅実な取材の下にまとめられたものである。

市町村郷土史を下敷きにしているため、事例の列挙的な部分があってやや時系列的でないというきらいがあるとはいえ、廃仏毀釈の背景から実行の経緯までも記述の対象としており、2019年現在、鹿児島の廃仏毀釈について最もまとまった本である。

また、著者が元新聞記者であるため、神道への過度な敵愾心もなく、割合にフラットな立場から廃仏毀釈が描かれていることも好感の持てる点である。鹿児島藩の廃仏毀釈について知りたい時はまず手に取るべき本であろう。

ところで、幕末から明治初期において薩摩藩の一部であった宮崎南部も、同様に廃仏毀釈の被害を受けた。

そういう宮崎の側から鹿児島の廃仏毀釈について強く糾弾したのが『廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち』(佐伯 恵達)である。
↓読書メモ
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/01/blog-post_11.html

本書は鹿児島の廃仏毀釈の全容を示そうと言うよりは、宮崎におけるケーススタディの部分(13例の廃寺が記述)が大きい。しかし地元に限っているだけに情報は精密であり、鹿児島の人間としては参考になった。また神社創建の歴史を年表(全国編・宮崎編)にしているがこれが力作で、この年表を見るだけでいろいろと考えさせられる。

著者は僧侶であるため、神道への糾弾がヒートアップしている部分も見受けられるが、この怒りは仏教徒としては至極当然のものであろう。かなり感情がこもった本である。

一方、これまでの2冊とは全く違ったスタンスで書かれた重要な本が『神道指令の超克』(久保田 収)である。
↓読書メモ
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/10/blog-post_15.html

著者の久保田 収は「皇国史観」の歴史家であった平泉 澄の弟子で、国家神道を肯定する立場から本書を書いている。

本書に収録された論文「薩藩における廃仏毀釈」が、管見の限り鹿児島の廃仏毀釈について最も初期にまとめられた論文であって、しかも実行の経緯や思想的背景がかなり詳しく論じられている。特に著者はこの論文を書いた頃に鹿児島の第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)で教鞭を執っていたため、廃仏毀釈運動に大きな役割を果たした造士館「国学局」の動向が詳細に記述されているのが価値が高い。鹿児島の廃仏毀釈を考える上での基本文献といえる。

著者は、廃仏毀釈を実行した人びとにかなり共感しており、普通には「蛮行」とされる廃仏毀釈の行為を「理想の実現」と位置づけて書いている。非常に偏った見方と言わざるを得ないが、そういうスタンスで悪びれる様子もなく神道側から廃仏毀釈を詳しく書いているというのが歴史的には貴重で、私としては大変参考になった。

論文の最後で、明治9年に鹿児島でも信仰自由になったことに触れ、著者は廃仏毀釈運動が終了したことを嘆く。曰く「神道国家主義はこのようにして失敗に帰した。それは明治維新の理想が一般の人々に十分に理解されず、(中略)ついに国学者の夢は瓦解したのであった。鹿児島県は、こうした国学的理想の最後の牙城であった」のだそうだ。

この文章には私自身は全く共感できず、信仰自由の方がいいに決まっていると思うが、ただ鹿児島が「国学的理想の最後の牙城」たりえたという現象自体に大変な興味を覚えるのである。なぜ鹿児島は国学の理想で突き進めたのか、そこに鹿児島の特異な体質が現れていると思うのである。

一方、鹿児島が徹底的な廃仏毀釈と神道国家主義一色になっていた頃に、全国的には何が起こったかということも理解しなければ、鹿児島の特異性がわからない。

『神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈』(安丸 良夫)はそれを理解するための最良の入門書である。
↓読書メモ
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/05/blog-post_2.html

本書は、廃仏毀釈や神仏分離はなぜ起こったのか、どのようなことがあったのか、そしてそれはどう終熄していったのかを述べるもので、込み入った動きを見せる明治の宗教行政史を非常にわかりやすくまとめており、しかも決して概略的な記載に留まらない深みがあるため、読むたびに発見があるような本である。

著者の安丸は、民衆宗教を中心的研究テーマとしているだけに、廃仏毀釈を政治史的でなく民衆のレベルで理解しようとしているところも独自の視点で面白い。興福寺のような大寺院が抵抗らしい抵抗をすることもなく、唯々諾々と廃仏毀釈に従って仏像・仏具の破壊に荷担した一方で、信心深い無学な民衆が身命を賭して仏像を守ろうとした事例を見るにつけ、当時の仏教がどのようなものだったかも考えさせられる。

本書には鹿児島の事例はほとんど全く触れられないが、廃仏毀釈を考える上では必読の最重要文献であろう。

鹿児島の廃仏毀釈を違った視角から捉えたのが、最近出版された『鹿児島古寺巡礼―島津本宗家及び重要家臣団二十三家の由緒寺跡を訪ねる』(川田 達也 写真・文、野田 幸敏 系図監修)である。
↓読書メモ
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2019/02/blog-post.html

本書は、島津本宗家およびその家臣団の墓所を巡るという構成になっているが、そうした墓所は元々菩提寺が建っていたところにあるため、これは廃仏毀釈で破壊された廃寺跡を巡る旅にもなっているのである。

そしてそれらの廃寺跡は顧みられることもないまま、今まさに朽ち果てつつある。著者は「消えゆく光景を見るたび廃仏毀釈は過去の出来事ではなく、現在進行形なのだと思ってしまう」という。

つまり本書は、廃仏毀釈を幕末明治だけの現象ではないと捉え、廃寺跡の美しさを訴えることによりそれに歯止めを掛けようとした未来志向な本なのだ。

廃仏毀釈はただ批判すればよい対象ではなく、現代の我々が乗り越えるべきものでもあるのかもしれない。なにしろ、今現在でも多くの歴史的遺物がその価値を顧みられることもないまま、朽ちるに任せているのが鹿児島県の現状なのだ。たとえそれが県指定史跡などとして保存されている場合もである!

我々は廃仏毀釈という愚行を通じて、鹿児島の人々に備わった過度に行動的な性向を自省しなくてはならないと思う。そして沈思黙考して立ち止まることを学び、過去の遺産を継承していくことの価値を思い起こすべきなのかもしれない。


※宣伝※
2013年に、自費出版で『鹿児島西本願寺の草創期—なぜ鹿児島には浄土真宗が多いのか』という小冊子を出しました。鹿児島は浄土真宗門徒の割合がかなり多いのですが、これには廃仏毀釈と明治初期の宗教行政が深く関わっていることを論じたものです。現在私自身は直販していませんが、鹿児島市の古本屋「つばめ文庫」さんで取り扱ってもらっています。
→ ネット販売もあります。(日本の古本屋)
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