江戸時代の蔵書家たちの世界を垣間見る本。
江戸時代に書物が流通するようになると、書物の収集家、それも何万巻もの書物を有し、書物を中心として文人のネットワークを築き、学問を追求する「大蔵書家」とよびうる人物が出てきた。
さらに時を同じくして国学が隆盛するようになると、歴史や神祇について諸本の異同を校勘し考証を行う必要があることから、ただ大量の書物を収蔵するだけでなくそれらを糾合していこうという動きが生じてきた。
本書は、そうした動きを「書物の集大成」「類わけの書籍目録」「書物の解題」「群書の索引」といった視点からまとめ、そこに心血を注いだ人物について述べるものである。
本書で取り上げられるそれらの成果は次のようなものだ。
『群書類従』:盲目の天才、塙保己一(はなわ・ほきいち)による国学や歴史に関する書物の集大成(叢書)。さらに塙は時の政府に働きかけ、和学の公的研究機関である和学講談所も設立した。寛永5年(1793年)より順次刊行。
『古今要覧稿』:故事や起源を考証し、分類して編集した類書(書物を類にわけて引用した書物)。塙保己一の弟子、屋代弘賢(ひろかた)編纂。八代は『群書類従』の編纂作業にも参加。
『合類書籍目録大全』:それまでの書籍目録の総合累積版として多田定学堂が刊行。分類方法として、「正史」・「神書」を筆頭にするという国学重視の類わけを採用。享和元年(1801年)。
『群書一覧』:国学を中心として刊行された書物を渉猟し、さらにそれに解題を付した編纂目録。尾崎雅嘉の編纂。明治20年代まで再版再刻され続けたロングセラー。享和2年(1802年)。
『群書捜索目録』: 50音順に並べた事項毎に、掲載された書物とその抄録を挙げた索引集。稀代の蔵書家・小山田与清(ともきよ)が自身の万巻の蔵書の集成として30年以上かけて編纂し2千巻に上ったが遂に未完に終わった。
要するに、江戸時代には「本をまとめた本」がたくさん編纂されたのである。その背景には、文人たちの自由な討議の会合とネットワークがあった。蔵書家たちは互いに書物を融通し合い、知識を交換し合った。例えば京都にあった以文会という月一回開かれた文人の会合は、参加者がレジュメを提出して研究報告(「随筆」と呼んでいる)を行うというもので、50年間も継続した。このような会が50年間も続いたというだけで、民間の文運の隆盛が分かろうというものである。
そして書物を糾合していこうという動きから感じられるのは、書物をストック(財産)と視、その書物の世界をいかに継承していくかという観点である。現代においては書物はほとんどフロー(流れ)であり、現れては泡沫のように消えていくが、江戸時代においては書物は一度刊行されたらずっと継承していくべき財産と見なされていた。だから書物の目録が幾度も編纂され、どのような書物が今存在しているかをキッチリ網羅しようとしたのである。
こうした動きを見ると、現代の書物文化が江戸時代から後退している部分があるような気がしてしまう。もちろん江戸時代の書物は今とは比べものにならない高級品であった。蔵書家たちは豪商や幕府の旗本であったし、庶民には手が届かない本が多かっただろう。蔵書家たちは自らの蔵書を公開してもいたが、図書館はなかった。
しかし江戸時代の書物の世界は、価値のあるもので充満していた。少なくとも、人びとは書物の世界は価値で溢れていると信じ、それにアクセスするための抄録や索引、一大叢書などを編纂したのである。翻って今はどうか。名著名作は数多いにしても、それと同時に書物の世界のほとんどは一顧だに値しないクズ本に埋め尽くされていないかどうか。ちょっと考えさせられる。
なお著者は、大阪府立図書館司書(著作時)であり、本書は図書館司書としての視点が面白い。「本をまとめた本」について豊富な事例を引いて書いてあるのも、本の世界をどうまとめるかという図書館の現場にいる人ならではのことだと思う。
そのため、記載は学術的ではなく親しみやすい。だがその副作用としてあまり体系的な書き方ではないので、一つひとつの事実をしっかり把握するには適さない。
体系的ではないが、蔵書家の活動を通じて文運の来し方行く末を考えさせる真面目な本。
【関連書籍】
『江戸の本屋さん—近世文化史の側面』今田 洋三 著
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/03/blog-post.html
江戸時代の出版・流通事情をまとめた本。
書商という文化の裏方から見る江戸の文化史。
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