スケールの大きいはみ出し者達の物語。
「ドキュメント日本人」は、明治から昭和に至るまでの様々な人々を(脈絡なく)取り上げ、日本にとっての近代化・現代の意味を浮かび上がらせるシリーズ。本書はその第6巻。
取り上げられているのは、川上音二郎、五無斎保科百助、村岡伊平治、添田唖蝉坊、宮武外骨、伊藤晴雨、梅原北明、宗 不旱、江連力一郎、小日向白郎の10人。
「アウトロウ」とは無法者の意だが、無法の程度にもいろいろある。例えば川上音二郎は、一般に言う無法者ではない。彼は自らの劇団を引き連れて渡米し、金がなくなって劇団を餓死寸前にまで困窮させながらもやがて認められ、米国やヨーロッパにおいて日本風の芝居で一世を風靡した人物。彼の場合は無法者というよりも、社会の埒外に生きた規格外の人物だ。
一方、完全な無法者が江連(えづれ)力一郎。オホーツクに砂金採取に行くという名目で乗組員を集めて航海に出発したものの、乗組員を騙して海賊行為を行わせ、ロシア人12人を殺害、さらに無抵抗の中国人4人、朝鮮人1人も殺害した。彼は帰国後に処罰されたがその行動には一片の同情も感じなかった。
特に印象深かったのは村岡伊平治。彼は単身南洋に渡り様々な職業を転々とした後、女衒(ぜげん=女郎屋に女性を売り飛ばす人物)として名をなした人。ところが本書収録の自伝によると、彼が女衒となっていく発端は、騙されて南洋に連れてこられ奴隷的に働かされていた女性の救出にあった。当時、南洋に行けばよい仕事があるとブローカーに持ちかけられ、良家の子女などが大勢連れてこられていたらしい。そうした不遇な女性に同情した村岡は大勢の女性を救出。ところがいざ救出しても彼には彼女らを養うすべがなかった。そこで村岡は女性達と夫婦の契りを結び(!)、しばらくの辛抱だとして女郎屋で働き帰国資金を稼ぐように持ちかける。このようにして村岡は大勢の女性を妻にして女郎屋にたたき込んだ。
さらには、南洋に出稼ぎに来ている男達は前科者ばかりで社会に害悪をもたらすとの考えから、その前科者を更正させようとする。その方法がまた無法者らしく、自分と同じく女性を掠ってきて女郎屋で働かせるというもの。それのどこが更正なのかわからないが、村岡の論理では、金を稼げば悪事は働かない、というのだ(たとえ悪事によって金を稼いだにしても!)。彼は女衒としてマフィアのボス的な存在になったが、彼なりの正義に基づいて行動した。だがその正義は今の正義から見るとやはり悪と言わざるを得ない。彼は多くの女性を奴隷からは救出したが、彼自身も女性をモノとして扱ったのである。
本書中、最も心躍ったのが小日向白朗。小日向は単身満州に渡り、ひょんなことから馬賊として頭角を現していく。馬賊というのは、日本で言えばヤクザにあたり、みかじめ料をもらう代わり街の自衛(?)を担うのである。小日向は他の馬賊との抗争に打ち勝ち、やがて馬賊の頭領となり全中国を手中に収めていくのである。彼は馬賊として確かに殺人も多くしている。しかしそれはいわばヤクザ同士の抗争であるから読んでいてもそれほど嫌悪感はない。ところが彼は恋人をもその銃で撃ち殺した。これは手違いであったのだが、一瞬の手違いで恋人を殺してしまうあたりが無法者である。しかし抗争ばかりで心の安寧を失った彼は、千山無量観(道教のお寺)で葛月潭老師に弟子入りする。本書での記載は弟子入りしたところで終わっているが、その後の彼の人生が非常に気になる所である。
全体を通じてみて、明治生まれの無法者のスケールの大きさにはびっくりさせられることが多かった。今の多くの人たちよりももっと国際的に縦横無尽に行動している。だが同時に、女性をモノとして扱う態度は多くの人に共通していて、しかもそれが無法者であるためというよりも、当時の普通の価値観としての態度なのだ。本書を読みながら、昔の女性観をも改めて考えさせられた。
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