徳富蘇峰(猪一郎)がその交友した人物について語った本。
徳富蘇峰は反体制派のジャーナリストとして頭角を現すも、やがて体制に取り込まれて一種の御用記者となり、それは「蘇峰の変節」と批判されるのであるが、これは体制を内部から眺めるという機会を得ることにもなった。
本書は、そういう蘇峰の体制内部における交友、すなわち山県有朋、井上毅、伊藤博文、大隈重信などの要人との個人的な思い出やその人物評を語るものである(口述筆記)。
私自身は、これらの人々についてはあまり詳しくなく、ここに語られている内幕の話にどれほどの価値があるのか判断ができないけれども、面白かったのは勝海舟と新島襄の話。
私も本書によって初めて知ったのだが、徳富蘇峰は若い頃に勝海舟の家に借家していた。同じ家に住んでいたのではなくて、勝海舟の屋敷内にあり本宅と隣接していた別宅を借家していたのだがその書斎が隣同士で、同じ敷地内に住んでいたのだから勝海舟とはかなり濃密な付き合いがあった模様である。勝海舟の人柄については多くの人が述べているが、これほど近しかった蘇峰の論評には独自の価値があるだろう。
新島襄については、蘇峰が生涯で心酔したただ独りの先生であったようだ。蘇峰は新島に会ったその日に強く惹かれた模様である。そして、政府の要人と親しく付き合うようになって、偉人とされる人と親炙するようになっても、新島以上に尊敬した人はいなかったように思われる。彼は、新島の能力や知識に感服していたのではなくて、ひたすらに人柄に惹かれていた。
当時学生であった蘇峰は、キリスト教のことはよくわからないまま、新島の勧めに従って洗礼を受けている。蘇峰は一時期キリスト教徒だったのである。しかも記者としての出発は、キリスト教系の新聞社への就職にあった(しかしこれはすぐに辞職している)。ところが次第にキリスト教への抑えがたい疑問が湧いてきて、やがて棄教する。それでも新島への敬慕は持ち続け、新島が同志社大学を設立せんとするやそれに熱心に協力したのである。
私にとって蘇峰といえば『近世日本国民史』の作家という存在感が大きいのであるが、本書ではそれ以外の、どちらかというと私的な面での蘇峰を知ることができた。
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