2018年10月18日木曜日

『日本文学と仏教思想』浜千代 清、渡辺 貞麿 編

仏教思想が日本文学にどう表現されてきたかを考察する論考集。

本書は、「仏教文学会」のメンバーがそれぞれの論考を持ち寄ったもので、「日本文学と仏教思想」という壮大なテーマを掲げてはいるものの、これを真正面から体系的に考察するというよりは、主に平安時代を対象とし、それぞれのメンバーなりの視角から話題提供をしたという体裁の本である。

「序章」(渡辺貞麿)では、そもそも仏教では執着を断つということが求められるのに、文学という営みはいろんな意味で執着がなければ成り立たないわけだから、そこに緊張関係があるという認識を述べ、その緊張関係を解きほぐすことを本書の問題意識としたいとしている(ただし、この問題意識はあまり掘り下げられない)。

「第1章 因果の具現」(寺川真知夫)では、『日本霊異記』が取り上げられ、仏教説話が述べる新しい理倫理観について考察される。『日本霊異記』では、因果応報の原則を貫徹させようとする意識が強いあまり、倫理や人の内面についてはほとんど問題とされないという指摘は面白かった。また、僧を敬わないことが大きな罪とされたことは、逆に言えば僧を排撃する勢力が当時もあったことを示唆する。そうした勢力を掣肘するためにも、ほとんど残酷とも言える因果応報譚が述べられたのであった。

「第2章 『法華経と国文学』」(広田哲通)は、本書のメンバー全員の中心的な関心事である法華経の仏教説話についての考察である。法華経が日本文学に及ぼしている影響は他の教典に比べかなり大きいようだ。

「第3章 欣求浄土」(石橋義秀・渡辺貞麿)は、本書中で一番面白かった。まず平安末期の往生思想を『往生要集』などを取り上げて考察し、続いて「悪人往生思想」が法然・親鸞の思想(悪人正機説)と対置されている。往生—つまり浄土への転生ということについては、平安末期から大流行を見せるのだが、この思想の限界を文学作品(『今昔物語集』など)から探っている。本章の白眉は「入水往生」についてで、これは非常に面白い切り口の論考だった。なぜ自主的な往生(要するに自殺)をするのに入水往生が流行したのか。そこを探ることにより、当時の人の「往生」観が見えてくるのである。

「第4章 末法到来」(渡辺貞麿)は、『平家物語』についてのやや部分的な(かなり限定的なテーマの)考察。有名な「盛者必衰のことわり」の文辞的解釈や、『平家物語』作者の仏教理解についての推測など。

「第5章 自己を二つに裂くもの」(浜千代 清)では、西行、鴨長明、『閑居友』の作者という3人をケーススタディ的に取り上げている。

全体として、浄土思想・往生思想の平安期文学における巨大な存在感に改めて注目させられた。平安以来、往生伝の類は陸続と書かれたのであるが、これは日本仏教を理解する上での欠くべからざる水脈であると感じた。

日本文学における往生思想の重要性を感じさせる本。

【関連書籍】
『岩波講座 日本文学と仏教<第5巻> 風狂と数寄』今野 達 ほか編集
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/09/5.html
日本文学における仏教思想の展開を探るシリーズの第5巻。


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