カーの不可能犯罪の最高峰とされる作品。
訳者三田村 裕は「ミステリ・ファンならば、ミステリを語ろうという者ならば、必ず読まなければならない作品なのだ」と本書を評している(あとがき)。
これは訳者の我田引水ではない。実際、アメリカ探偵作家クラブの関係者17人が選んだ不可能犯罪のオールタイム・ベストにおいて、2位以下を大きく引き離して1位となったのが本書であり、また本書17章「密室講義」は、密室殺人ものの理論として独立した価値があり、本書はこの「密室講義」を読むためだけでも読むべき作品とされている(らしい)。
私自身の読書体験としても、かなり面白く読ませてもらった。不可解な密室殺人とだけ思われていたものが、やがて消し去られた過去の犯罪を暴く端緒となり、まるで霧の中から姿が現れるように怪奇的な全貌が紐解かれていく。しかし肝心なところは最後の謎解きまで読者には謎であり、最後まで一気に読ませる作品である。
しかも本書がミステリとして優れているところは、名探偵フェル博士が、作中に描かれないものからは推理していないということである。つまり、謎解きに必要な材料はほぼ全て作中にしっかり描かれており、読者も超人的な推理力がありさえすれば、フェル博士と同じ推理が可能となるように仕組まれているのだ。しかも、それでありながら読者にはその材料がどう組み立てられるのか最後の最後までわからないわけで、これがカーの絢爛豪華な小説技法だといえよう。
とはいえ、「不可能犯罪の最高峰」とされる作品であるだけに批判も多い。実際、あまりにも事件に手が込みすぎていてわかりにくい部分があるし、ありそうもないような偶然や、「そんなの普通できないでしょ」という無理矢理な行動(死にかけの男が自分で歩いて家に帰るなど)に頼った部分が確かにある。リアリズムを求める向きには少し「やりすぎ」な小説かもしれない。しかし、ディスクン・カー自身が、これは事実ではなくてあくまでも小説だ、というスタンスで書いているので、私としてはあまり気にならなかった。
なお、本書には新訳がありそちらの方が優れているようである(未読)。実際、本書には(日本語的に)やや頭に入って来づらい箇所がある。
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