2018年9月12日水曜日

『私はどのようにして作家となったか』アラン・シリトー著、出口 保夫 訳

イギリスの小説家アラン・シリトーのエッセイ集。

表題作「私はどのようにして作家となったか」「山脈と洞窟」など自伝的なもの、「スポーツとナショナリズム」「政府の調査書」など時事評論的なもの、「北から来た男、アーノルド・ベネット」「ロバート・トレッセル」など文芸評論的なものなど。

私が本書を手に取ったのは、ロクに本が置かれてもいないような下層の労働者階級に育ったシリトーが、どうして文学に親しみ、作家にまでなったのかに興味が湧いてである。戦後イギリスでは「怒れる若者たち」と呼ばれる一群の作家が簇生したが、社会の矛盾や格差に怒っていた彼らも、その実はインテリの出身だったのに、シリトーは本当の下層階級出身だった。

シリトーの家は貧乏だったので、学校教育も14歳で終了しなければならなかった。しかし彼は頭はよい方だったらしい。本も僅かだが読んでいた。彼は上の学校に進む希望を持ちながらも働くことになり、やがて従軍する。そして従軍生活の中で文学に徐々に親しんでいった。そして退役にあたって肺病に罹る。これがシリトーの運命を変えた。療養中には何もすることができないため読書に勤しんだのである。

そして18ヶ月の療養を終えると、今度は傷痍軍人の年金(とは書いていないが日本でいえばそういう年金にあたるのだと思う)が出た。そしてその年金をアテにして、新婚の女性と共にフランスとマジョルカ島に滞在して執筆に明け暮れる生活を送る。その中で名のある詩人から「故郷のノッティンガムについて書きなさい」とアドバイスを受け、それにしたがって出世作『日曜の夜と月曜の朝』が書かれ、シリトーは作家として大成していった。

シリトーにとって、戦争とはアンビヴァレントな意味を持っていた。それは青春時代を奪い、暗く貧しい生活に甘んじなければならなかった面もあれば、階級を飛び越える機会や学習の機会、広い世界に飛び出すチャンスでもあった。戦争がなかったら、もしかしたらシリトーは一生を工場労働者として過ごしたのかもしれないのだ。

シリトーにとっての戦争と、文学の意味を考えさせられる本。

【関連書籍】
『長距離走者の孤独』アラン・シリトー著、丸谷才一/河野一郎 訳 
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2018/07/blog-post_19.html
シリトーの第一短編集。底辺の生活を共感の眼差しで描写している。


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