2018年9月4日火曜日

『密教―インドから日本への伝承』松長 有慶 著

密教が日本に伝わってくるまでの、その教えを受け継いだ人々について述べる本。

密教では相承ということを非常に重視する。それは教義や仏典の内容を理論的に分かるだけでは不十分で、師によって一種の神秘体験を経て、言葉を超えたレベルで教えを理解することが必要であるから、相承の関係が重要なのである。

であるから密教では、日本に密教が伝えられるまでのそういう相承関係をいろいろと整理し公認した(宗派によって異なる)。本書では、その中から各宗派で共通して相承者と見なされている人物、すなわち、(1)大毘盧遮那如来、(2)金剛薩埵、(3)龍猛菩薩、(4)龍智菩薩、(5)金剛智三蔵、(6)不空三蔵、(7)善無畏三蔵、(8)一行禅師、(9)恵果和尚、を取り上げて詳しく解説している。

(1)(2)は、いわば密教の神話であって実在の人物ではない。(1)大毘盧遮那如来は真理の神格化で普遍的な存在であるから、そこから教えを受けて真理を具現化させるために、同じく実在はしないがより人格化させた(2)金剛薩埵が置かれたのだという。

(3)龍猛菩薩も、やはり伝説上の存在で実在性は薄い。古来龍樹(ナーガルジュナ)と同一視されてきたため、その意味では実在の人物であるが(ただし活躍の時代に開きがある)、龍猛菩薩は龍樹そのものというよりは、龍樹に付託されて生まれた伝説的な相承者である。

(4)龍智菩薩は、(3)龍猛菩薩あるいは龍樹の弟子とされた、半ば実在の、半ば伝説的な人物で、驚異的な長寿であったとされる。

(5)(6)は、密教の中でも「金剛頂経」を相承したものである。密教には、「金剛頂経」と「大日経」という別の教典がそれぞれ思潮を形作り、しかしそれがデュアル・スタンダードのような形で発展してきた。(7)(8)が「大日経」の相承者である。本書では、教義面はあまり立ち入って述べていないためこの2つの流れが思想史上でどう交錯しているのかよくわからないが、(5)〜(9)は実在の人物であるためそれぞれ興味深い。

(5)金剛智三蔵と、(7)善無畏三蔵は、それまで現世利益的だった密教に「成仏」を目的とする深遠な教理をもたらし、中国密教の転換点となった。

(6)不空三蔵は、それまで宮廷内に確固とした勢力を築いていなかった密教をさらに鞏固なものとするため、国家護持の旗印を鮮明にした。不空の訳した教典では、国家護持的な意味とするため原文の意味を変えているところもある。しかし不空は一方で、サンスクリット語と漢字の厳密な対応を確立しており、その面で中国の音韻学に貢献した。

(8)一行禅師は、密教の相承者としてだけではなく、道教にもよく通じ、さらには天文学者として「大衍歴」の作成という超一級の仕事も成し遂げている。彼は百科全書的な桁外れの人物であったが、若くして死んだ。

(9)恵果和尚は、空海の師となった人物。異国からやってきた空海に、恵果は病に倒れながら死の直前に密教の奥義を伝授したのだった。

著者の松長有慶氏は、高野山大学の学長や密教文化研究所所長も務め、高野山真言宗管長にもなった密教学の最高権威である。であるから、当然話は真言宗にひいき目に語られるのではないかと思っていたが、さにあらず。内容は非常に学問的であり、公平無私の態度で記述されている。それどころか天台宗系のことも詳しく丁寧に(むしろ非常に敬意を持って)扱っており、好感が持てた。

密教というと、伝説や神秘的なことに彩られているため、今までどことなくつかみ所がないような気がしていたが、本書ではそういった伝説が生まれた背景を考察しながらも一方でハッキリと「伝説」「事実でない」と書いており安心して読めた。そして著者は密教学の最高権威であるにも関わらず、密教をことさら特別視せずにフラットな立場から語っていて、学問とはこうあるべきと思わされた。

人物による密教の歴史をその道の第一人者から教えて貰える入門の本。

0 件のコメント:

コメントを投稿