2018年6月23日土曜日

『嵐のなかの百年—学問弾圧小史』向坂 逸郎 編著

明治から昭和初期にかけての学問・言論への弾圧についての論考集。

本書には「学問弾圧小史」の副題がつくが、大久保利謙氏執筆の「洋学の迫害」「ゆがめられた歴史」がそれにあたるもので、その他の論考については学問そのものへの弾圧というよりも言論弾圧に関する内容が多く、社会主義思想家であった向坂逸郎が編者であるからか特に社会主義思想への弾圧について詳しい。

私自身の興味は、「ゆがめられた歴史」に述べられている、重野安繹、久米邦武、喜田貞吉、津田左右吉のケースについて知りたくて本書を手に取った。

これらのケースのみならず社会主義思想への弾圧についても言えることだが、全体として弾圧された学問・言論は、特に過激なものではなかった。それどころか当時の学問水準から見ても至極妥当・穏当な見解のものが多く、 実際に著作物の発表直後は何ら問題視されなかった場合も多いのである(例:津田左右吉の『古事記及日本書記の研究』)。

ところが、そういう書物がひとたび右翼主義者の注目するところとなるや盛んに攻撃が加えられ、「国体を毀損する」「国体の明徴に疑義を生ぜしめる」などといって学説が極めて危険で、「国体」を否定するものであるかのように喧伝し、やがて当局もこれを問題視したことで発禁処分、そして大学からの追放といった厳重な弾圧が加えられていった。

しかし「国体」というあやふやで、どうとでも使える概念を使い、学説を理解することもなくその片言隻句を捉えて批判のための批判を繰り広げたことは、結局は国民の自由を自ら狭めていくことになった。「国体」は神聖不可侵のものとなり、国家の根幹に思考停止せざるを得ない領域ができてしまったことで我が国の思想は著しく退歩し、ファシズム国家へと変容する原因となった。

本書は、学問・言論への弾圧の歴史をまとめたものというより、弾圧の個別のケースについての小論といった性格が強く、全体的な弾圧史の見通しはよくない。具体的には、時系列的に何があったということが書いていない場合が多く、弾圧の事実については既知のものとして論評が中心になっている小論もある。

ただし、昭和の言論弾圧の歴史について書いた本は多いが明治・大正の学問の弾圧についてまとめた本はあまり多くなく、この部分だけでも本書の価値は大きいと言えよう。また、美濃部達吉の「天皇機関説」については息子の美濃部亮吉がまとめており、津田左右吉の研究については本人を訪ねて取材しているなど、関係者に直接取材しまとめているので、そういう点でも本書には価値がある。

いかにして言論の自由が失われていったか克明に知らされる良書。

【関連書籍】
『続・発禁本』城 市郎 著
http://shomotsushuyu.blogspot.com/2017/11/blog-post_24.html
明治以来の様々な「発禁本」を紹介。
発禁本から権力と言論の対峙を考えさせる奥深い本。


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