2017年8月8日火曜日

『夜明け前』島崎 藤村 著

幕末明治の社会を、ひとりの町人の一生を通して描いた大河的小説。

本書は文庫本で全4冊の長大な作品である。そのほとんど全てが、木曾街道の馬籠という宿場の、青山半蔵という人物の一生を辿るという内容。時々、時代背景を理解するための説明も展開されるが、基本的には半蔵の目で見る幕末明治、という趣だ。

半蔵は、馬籠の本陣、庄屋、問屋(といや)の三役を兼ねる旧家に生まれた。本陣とは宿場の中心で公的な宿泊場、庄屋は百姓のとりまとめ役、問屋は物流の責任者である。この3つを兼ねる青山家は、武士でこそないながら、苗字帯刀を許された名家だった。

馬籠は山深い宿場であるが、江戸と京都のちょうど中間に位置する。街道は人とものの移動を担うものであるから、その動きは世相をそのままに反映し、馬籠に居ながらにして幕末の激動は伝わってくる。 こうして、馬籠の青山半蔵の目を通じて、読者は幕末の動乱を窺い知るようになる。

半蔵は、宿場の責任者の家に生まれたが、生来学問を好み、家業に勤しむよりは学問の道に進みたいと願う人間だった。彼は国学を志し、これこそ新しい時代に必要となる思想だとして平田篤胤(没後)の一門へと入門する。しかし、名家の跡取りとして生まれた責任も強く感じている半蔵は、他の国学を奉ずる仲間のように、家業を打ち捨てて国事に奔走するようなことはできない。かといって、日々の暮らしを淡々とこなすことだけで満足できるタイプでもない。彼は今にも家を飛び出してしまいそうなはやる気持ちを抑えながら、宿場の仕事に忙殺される日々の中で王政復古を迎える。ここまでが第1部。

第1部では、半蔵は結局のところ何もしない。というかできない。彼の人生に何も起こらないわけではないが、大きな事件があるわけでもなく、足早に動いていく時代を横目で見ていることしかできない彼である。そういう、ある種退屈な筋書きでありながら、小説の筆は冴え渡っており、特に何も起こらないにも関わらず読ませる作品である。

第2部に入ると、半蔵の人生は一転して事件の連続となる。国学を奉ずるものとして半蔵が希求し続けていた王政復古は、復古というよりも旧いものの破壊としてまず半蔵の前に現れる。これまで世襲によっていたものの廃止、旧社会の仕組みの徹底的な否定の運動だった。つまり、既得権の破壊だ。国事へ奔走したい気持ちを抑えながら必死で勤めてきた本陣・庄屋・問屋は、こうしてあっさりと廃止されてしまう。それでも、半蔵は不満を抱かない。何しろ、幕府が大政を奉還し、藩主も藩を返上したくらいである。それも天皇親政の世の中にするため、復古の道を進むためである。半蔵はむしろ積極的に自らの権限を手放していく。

しかしそれは、自らが没落していくことも意味していた。半蔵は山林の使用権についての悪政を糺す活動をしていたところ、上役から目をつけられ、本陣だった関係から任ぜられていた戸長の役職も罷免される。家業を失った青山家は、どんどん没落の足を速めていく。そんな折、長女粂(くめ)の縁談がまとまり、いざ結婚という時、粂が自殺を図る。粂は、半蔵の血を強く受け継いで学問もあり、あっさりと自分の運命に身を任せるような人間ではなかった。そういう粂の気持ちをそれまで受け止めていなかった半蔵は、深く反省して斎(いつき)の道を志すようになる。

こうして半蔵は、神社への就職を斡旋してもらおうと国学者の人脈を頼って東京へ出てゆく。だが一時的に教部省に身を置いた彼が見たものは、国学の挫折であった。かつて「御一新」の精神的支柱であったはずの国学は頑迷固陋なものとみなされ、一時は政府に重んじられた国学者たちがたいした仕事もできないまま閑職へ追いやられていた。半蔵が新しい時代を開くものと頼んだ国学は、もはや無用なものとなりつつあった。目指したはずの復古よりも、新しい時代は開国と文明開化に浮かれ、国学よりも洋学が幅をきかせるようになっていた。

そんな折りに天皇の巡幸が行われた。半蔵は群衆の中、発作的に持っていた扇子を天皇の一行へと投げ入れる。社会はこれでいいのか、という意味を仄めかす歌が扇子に書かれていた。この扇子こそが、半蔵が半生をかけた国学思想の凝縮だった。この廉で半蔵は逮捕され取り調べを受ける。結果的にはさほどの咎めもなく、その後半蔵は予定通り神官へと転職するが、この事件を境に半蔵は次第に狂気へと進んでいく。

4年間の神社への奉職を終えると、半蔵は若くして家督を長男に譲った。というより、家の者から早く隠居するよう強いられた。半蔵は公共の仕事のみに奔走し、家業を顧みなかったために家の没落を早めたと見なされていた。実際、彼に経営の才はなかった。

半蔵は新しい時代に裏切られ続けた。国学は無力で、家は没落し、家族は傷つき、望んでいた社会は彼を無用の存在にした。そして遂に、青山半蔵は発狂し、座敷牢に幽閉される。半蔵は、社会はこれでいいのか、という問いを暗闇に対して突きつけながら、見えない怪物と戦う人間となった。そして、座敷牢の中で彼は絶命し、物語は終わる。

私が本書を手に取ったのは、当時の社会の中で国学がどのように見られていたのか、という興味からである。国学の興隆と挫折、それは知っていたつもりであったし、本書に描かれる国学の流転の様子は、私にとって未知なものではない。しかし藤村の歴史に対する骨太な思索は、そういう表面的な理解を塗り替えるほどの力がある。国学は、何かに対決して敗北したわけではなかった。洋学はおろか、漢学とも思想的対決をしなかった。むしろしてもらえなかった。政治的に都合のよい時だけつまみ食いされ、「旬」が過ぎてからはまともに受け取ってもらえすらしなかった。

青山半蔵という、純直な人間は、もし国学が洋学に敗北したのであれば、潔く兜を脱いだであろう。しかしそうではなかった。国学は、独り相撲をとらされていた。半蔵の人生と同じように。

そもそも、国学者たちは洋学を敵視していたわけでもなかったそうだ。外国のものを無闇に排斥しようとすることはむしろ日本らしさに反すると考えた。進んでそうしたわけではないが、半蔵自身、息子が洋学を勉強することを許した。洋学は半蔵の敵ではなかった。敵は、建国の理想を忘れた社会だった。

その社会は、かつては精神的支柱と頼んだはずの国学を、もはや真正面から批判することすらしなかった。それは黙殺ですらない。なんとなく、盛りが過ぎるのに任せたのである。国学は、いつのまにか時代遅れになっていた。そして、半蔵が暗闇に対して突きつけた問いも、もはや誰からもまともに受け取られることはなかった。

おそらく藤村がこの長大な作品を通して言いたかったことは、明治維新を問い直す、歴史を見つめ直す、ということを避けている限り、見えない怪物をやっつけることはできない、ということなのではないだろうか。本書が書かれたのは昭和の初期、国学から鬼子のごとく生まれた「皇学」が、人々を覆い尽くそうとし始めた時期だ。半蔵が座敷牢で戦った見えない怪物が、それだったのかもしれない。

青山半蔵は、藤村の父がモデルである。モデルというより、父そのものであるといってもよいらしい。本書は、藤村が父の謎多き人生を徹底的に調べ上げ、歴史を再構成することによってできた作品である。そこには大上段の問題提起は一切書かれないにも関わらず、結果的に明治維新を反省させる大作となっている。

そこに描かれた明治維新は、英傑たちが活躍する凡百の「維新」とは全く異なっている。もうすぐ明治維新から150年。我々はそろそろ、青山半蔵が残した問いに、向かい合ってもいい頃である。

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