アメリカ的価値観の成立と変容を、黒人への差別など暗部の側面を取り上げて説明する本。
アメリカ的生活文化を作ったのは、WASP(白人-アングロサクソン-プロテスタント)の人たちだ。ヨーロッパから来た移民たちは、広大なフロンティアを前にして何でも手作りしていった。生活道具だけでなくデモクラシーまでだ。この経験は、アメリカ人の特徴的な気質を形作った。すなわち、「粗野で荒々しいが、独創的であり、自由と平等を信じ、自信にあふれた楽天的な性格」である。また教会がコミュニティの中心をになっていたことから、かなり信心深い社会が出来上がった。
しかしその裏では、黒人へのおぞましい搾取があった。白人は、黒人奴隷に対しては生殺与奪の権を持ち、些細な問題が起こるや凄惨なリンチが繰り広げられた。リンチの観覧のためチケットが販売され、特別列車が運行されるほどであった。リンチによってむごたらしく死ぬ黒人を、白人は喜んで見ていた。こと切れた黒人の心臓が取り出され、切り分けられて土産物として販売されるほどだったという。
差別、という言葉では表すことができないほどの、敵愾心と軽蔑があった。奴隷という経験は、もちろん黒人たちにぬぐい去ることが出来ない深い傷を残したが、一方で白人の方にも道徳的な頽廃をもたらした。取るに足らないミスを咎め、罵声を浴びせながら奴隷を鞭で打ち続ける親を子どもたちは見ていた。切り裂かれた傷からは血が吹き出、奴隷の子どもが母親を許してくれるよう泣いて縋りついても、農園主は一層ひどく鞭を振るった。そういう悪魔のような所業を日常的に見ながら、真っ直ぐに育つ人間はいない。
このような社会で育った人間には、容易には消せない差別心と、統御できないほどの攻撃性が刻み込まれていたに違いない。
一方で、奴隷は重要な労働力だった。特にアメリカ南部の州では奴隷に農園労働をさせていたから、安価に働かせられる黒人奴隷は必需品だった。それほど奴隷労働を必要としなかったらしい北部では、相対的には奴隷は貧困であったらしいが、徐々に黒人の人権が認められていた。南部と北部の対立は、やがて南北戦争を引き起こす。奴隷制度があったのはアメリカだけではないが、「国内の奴隷所有勢力が奴隷を解放しようとする勢力と国論を二分して対立し、足かけ五年、両方あわせて六〇万人の人命を犠牲にするような大戦争に突入した国は、世界のなかでただアメリカ合衆国あるのみである」とのことだ。
また、アメリカほど拝金主義と暴力がのさばった国も珍しい。拝金主義はともかくとして、本書ではアメリカの暴力的体質が様々な例を引いて説明される。暗殺された大統領の多さ、マフィアの暗躍といったものはよく知られているし、銃犯罪の多さも改めて言うまでもないだろう。だが極めてアメリカ的だと思ったのは、不法な、あるいは卑怯な暴力を使っても勝利した方を称讃しがちな所である。アメリカの領土拡張には数々のウソと暴力があるが、それらが批判されることはなく、平然と欺瞞がまかり通っている。
そうしたウソと暴力の向かった最初の先がインディアン(と本書では表記)である。インディアンと入植者の関係は最初は友好的で、むしろインディアンの助けがなくては入植がおぼつかなかったくらいであるが、次第に移民の方が多数派になり、インディアンが邪魔になってくると、インディアンと平和的に結んだ多数の条約を平然と無視して虐殺を行い、どんどん不毛地帯へと追いやっていった。
だが、こうした建国からの数々の非道は、やがて白人自身にも認識されるようになってくる。黒人の権利を守るため、白人も危険を顧みず活動をするようになった。こういう所が、日本人にはないアメリカ的な行動なのかもしれない。1960年代には黒人革命が起き、黒人の人権は認められた。インディアンに対しても、その再評価が進んでいる。かつて絶対的であったWASPの価値観は、新しい世代から挑戦を受け、反省を迫られている。
こうしたアメリカの動向を著者は3つの仮説としてまとめている。第1に、既存のアメリカ的価値観は第二次大戦後に完成し、それは建国以来進んできた道の当然の結果だったということ。第2に、そのアメリカ的価値観は1950年代を頂点として早くも凋落しつつあること。第3に、その価値観の崩壊とあわせて、混沌の中から既に新しい価値観が生まれようとしているということ。
この仮説は、本書では特に検証されていない。だが、こうした仮説を下敷きにして、本書では差別、暴力、虐殺、貧困といった、通常のアメリカ史ではあまり取り上げられない暗部を軸にアメリカ的価値観、アメリカ的生活文化を説明しており、非常な迫力がある。
裏面から見るアメリカ論の良書。
※原題は『新大陸に生きる』だが、文庫化の際に『北米大陸に生きる』に改題された。
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