文化財としてあやふやな位置づけのまま、保存と研究、公開と秘匿の間を揺らめいている「陵墓」が抱える課題をまとめた本。
陵墓とは、歴代の皇室関係の墓所のことであり、本書においてはその中でも古墳(陵=みささぎ)の話題が中心的に扱われる。
陵墓は、江戸時代から既に治定(ちてい=どの古墳がどの天皇の陵であるかを決定すること)がなされてきたが、幕末明治になってそのスピードが加速し、歴代天皇の陵がどんどん治定されていった。しかし、当時の学知(19世紀の学知)は、現代から見ると厳密な考証に欠け、明らかに間違った治定が行われている場合がかなりある。
具体的には、文献(『古事記』『日本書紀』『延喜式』など)の記載や現地での「口碑流伝(こうひるでん)」を無批判に受け取って治定が行われていたのである。特に記紀を神話としてではなく歴史としてそのまま信じることは、戦前には「国史」の常識であった。
ところが、そうしたウブな方法によって歴代天皇の陵が治定され、宗教的な場所として研究が凍結・秘匿されてしまうことは、学術的な誤りを修正していく機会を失うことを意味していた。
また、既に元禄時代から陵墓の補修事業も行われており、「万世一系」を視覚化するものとして、墓所が改変されている。例えば、公武合体運動の中で行われた山稜補修の事業では、歴代天皇陵109箇所が、1865年(慶応元年)までに補修され、白砂敷きの方形拝所、鳥居と燈籠など、聖域化し拝礼する場所へ墳丘が変化した。
こうしたことは、歴史的遺物を文化財として保護する、または学術的な調査をおこなって真実を明らかにする、という現代の歴史学・考古学の方法論とはほど遠い。しかし、ひとたび宮内庁の管理となってしまうとその研究は極めて限定されることになった。また、陵を公共の文化財としてではなく、あくまで皇室の私的財産(皇室用財産)の聖域であるとする整理では、文化財保護法による保護の手も届かず、「19世紀の陵墓体系」は悪い意味で保存されてしまった。
要するに、現代の学知から見ると、宮内庁により決定され、管理されている陵墓には学問的にも、保存方法的にも問題があるのに、その問題を棚上げして視て見ぬ振りがされているわけである。本書は、そうした問題がどうして起こり、現代の学知との乖離がどうなっているのか、ということを論じるものである。
書名には「陵墓と文化財の」とあり、「陵墓の問題のみならず、広く文化財をめぐる歴史認識としてとらえたい」とのことだが、実際には記載のほとんどは陵墓に尽きている。この意図であれば、もう少し文化財保護の議論も丁寧に追ってもよかったかもしれない。
また、どうして「19世紀の学知」が暴走したのか、ということについてはあまり検証されておらず、「今から見ると問題が多いが、当時としては大まじめだった」というようなことが書かれている。確かに、江戸幕府や明治政府には陵墓体系を「捏造」しようという意図はなかったのかもしれない。しかし、なぜ陵墓が「万世一系」の理念を体現するアイコンとなったのか、という点についてはこの問題の本質と思われるので、もっと丁寧に書いてもらいたかった。
とはいっても、本書はそうした「国体」の問題よりも、文化財保護の視点で陵墓が扱われており、こういう指摘はちょっと当を得ていないのかも知れない。
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