2022年11月12日土曜日

『大江戸庶民いろいろ事情』石川 英輔 著

江戸の実態をさまざまに述べる本。

著者の石川英輔は、『大江戸神仙伝』という小説を書くために江戸の風俗を綿密に調べ始めた。小説に書くためには、当時の人にとっては当たり前のことを知っておかなくてはならない。しかし当たり前のことはあまり記録されない。だから苦労して調べつつ小説を書くのだが、『神仙伝』の姉妹編を何冊か書き江戸の実態がわかってくるようになると、江戸時代の風俗の専門家とみなされるようになってきた。そして本業(印刷業の技術者)の観点から『大江戸えねるぎー事情』などの江戸の社会を見直す本を書くようになった。

本書もこうした一連の本の一冊で、技術者的な観点から様々な江戸時代の文化風俗を見直したものである。

本書では、江戸の実態を推測するために多くの絵図を援用している。「当たり前のことはあまり記録されない」のは文章の中だけで、絵になると皆がよく知っていることは細部に至るまで正確に描かれることが多いため、記録として非常に価値が高い。江戸時代の木版画は恐ろしく高い技術によって作られているので、江戸時代の実態を知るには必須の史料である。

特に『江戸名所図会』は質と量ともに抜群で、「『江戸名所図会』がなければ、われわれの江戸に対する知識は一桁も二桁も少なくなるのではないか(p.67)」というほど重要で、「図会ものの最高峰(同)」である。著者は偶然にこの完全な美本を手に入れ、それを底本にして田中優子氏との共同監修で評論社から原寸復刻版を刊行している。

以下、本書の内容から興味を引いたものをいくつかメモする。

江戸時代の人がどんなものを食べていたか。具体的にはどんなおかずを食べていたかという料理の種類の話になるが、これが意外なことに、現代でもそれがどんなものかわかるほど馴染みのあるものなのである。食は保守的でなかなか変わらない。

江戸時代の庶民の遊びは豊富だった。余暇が多く識字率が高かったため(江戸時代の日本は世界的に見て出版大国だった)、遊芸が盛んになり、俳句や川柳、狂歌、連句などは高度な水準に達した。

「拳」については本書で初めて知った。これはジャンケンのような遊びであるが、ルールはもっと複雑で「本拳」とか「三竦み拳」といったいろいろな種類があった。ルールからは純粋な確率のゲームに見えて、実際は高度な心理戦でありその道の名人は相当に強かったらしい。「拳」はごく一部を除いて現代ではすっかり廃れた。

著者は江戸の武家地・寺社地・町屋(町人居住地)の分類に疑問を持ち、『復元 江戸情報地図』という資料によって種目別の土地の割合を計算した。結果は、農地が第1位で、続いて武家地、町屋、寺社地、河川の順となる。考えてみれば当たり前のことだが、江戸でも農地が多い。意外なのは河川が約4%を占めていたことで、江戸は水の都だったのだと再認識させられる。

そして江戸は上水道がかなり整備されており、「江戸の水道網は当時の世界では、給水人口、給水面積、給水量のいずれをとっても飛び抜けた規模だった(p.32)」そうだ。江戸の上水道には元来の神田上水と、後からつくった玉川上水の二系統があり、本書ではその成立について詳しく書いている。江戸が当時世界一の人口を擁したのは、玉川上水のおかげが大きいそうだ。庶民も武士もちゃんと上水道料金を払っていたというのが面白い(もちろんメーターなんかはないが)。

また著者は「木戸」について詳しく実態を調べている。 「木戸」とは街のあちこちにあった区切りであり、元々は防衛上・治安上の意味があったらしい。ところが太平の世が続く中で形骸化していった。著者は絵図から、木戸には戸がほとんど失われてしまったことを解明した。

ところで、本書ではちらっと書かれるだけだが、「庶民でも、旅行の時は、一尺八寸までの脇差しを帯びた(p.321)」とあった。これは何のためなのか(護身のためなのか?)気になった。

なお全篇にわたり、「現代社会は限界を迎えているので、江戸時代の持続可能な社会の在り方を見直すべきだ」「江戸時代は不当に低く評価されてきた」といった趣旨の主張があり、その通りだと思うものの、あまりにも頻繁に書かれるのでややくどい。これがなければ本書は専門書にも引けを取らない内容を持っていると感じる。

主に絵図を使い江戸時代の実態をいろいろに語る参考書。


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